九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ガザ「報復」の裏に  (朝日記事)

2009年01月17日 20時45分28秒 | Weblog
☆グループメール仲間のNODAさんから興味深いメールがありました。紹介します。
                        (ネット虫)
*********************************************************************

今日(1月17日)の朝日新聞朝刊に、”ガザ「報復」の裏に”と題する特集記事
(編集委員・川上泰徳)が掲載されました。(特集なのでWeb版には残念ながら
載っていません)

この間のイスラエルによるガザ攻撃の真相を探るという趣旨で、いままでマスメ
ディアがほとんど無視している問題点を取り上げています。

●停戦を破綻させたのはイスラエルだった。(最初にハマスの戦闘員6名を殺害
したのはイスラエルだった)

●イスラエルは昨夏から、周到な攻撃準備をすすめていた。

●イスラエルの攻撃は、民間人への攻撃を禁止したジュネーブ条約違反である。

●07年6月以降のイスラエルのガザ封鎖は、国際法違反である。

●封鎖により、ガザの70パーセントが日収が3ドル以下の極貧世帯に陥っている。

以上の点を述べた上で記事は「封鎖解除こそ和平の道である」と結論しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル、残虐兵器使用の非難にも「われわれは合法」

2009年01月17日 10時40分59秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
イスラエルが使った白燐弾、そしてDIME。民間地域で使うことを禁じられている兵器を使ったことが具体的に明らかにされ、国際的非難を浴びています。

 しかし、イスラエル軍は、これまで行った戦争の時と同様、明確な回答をさけ、「われわれは合法だ」の一点張りです。

 中東を、新種兵器の実験場として、何の痛みも感じないアメリカやイスラエルの姿勢は、人種差別主義の究極、最悪の姿だと思います。メール仲間の情報をお伝えします。(ネット虫)


*************************************************************
■白燐弾使用の非難に対し、イスラエルは使った兵器はすべて合法だと主張

 イスラエル軍は月曜日、白燐弾や他の致命的な兵器が用いられたという非難に対し、ガザの戦争に使われた兵器はすべて国際法の範囲内のものだと主張しました。

 しかしガザの医療従事者は、論議を呼んだ白燐弾で惹き起こされたと思われる火傷に苦しむ患者を50人以上治療したと述べており、そのクレームは、ニューヨークに本部を置くヒューマン・ライツ・ウォッチの報告によっても裏付けられました。
 そして、最近ガザ地区の任務から帰ってきたノルウェーの医師2人は、イスラエルはこの地域を新しい「極めてひどい」タイプの爆弾の実験場にしている、と非難しました。

 イスラエルの報道官は、白燐弾が使われたことを確認も否定もしませんでした。「イスラエル国防軍が用いた兵器はすべて国際法で認められた範囲のものです」「われわれは、他の西洋諸国が使っているものを使っている。非通常兵器は一切使っていません」と言っています。
 エフード・オルメルト首相のMark Regev報道官も、イスラエルは、他の西洋諸国の軍隊で使っているタイプの合法な兵器を使用していただけだし、
「イスラエルが使う兵器は、NATO諸国を含め他の西側民主主義国が使う兵器と全く同じか、似たようなものです。」と強弁しました。

 この報道官のコメントは、ガザ市のナセル病院の医師Yusef Abu Rishが、「少なくとも55人が白燐弾による火傷で苦しんでいるのを治療しました」と語ったことに対するものでした。
 国際法は、白燐弾を民間人に対して使うことを禁じていますが、煙幕を張る目的なら使うことができるというのがイスラエルの主張の根拠です。

 しかしヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員は、爆発した白燐弾が空中で何度も炸裂し、直径125から250mの地域に化学物質を撒き散らすのをイスラエルで観測し、ガザのような人口密集地域で白燐弾を使用するのは、民間人の負傷と命の損失を防ぐためすべての可能な措置を講じるという国際人道法の要請に違反すると述べました。
 2006年、レバノンのヒズボラ民兵との戦争においても、イスラエル軍は、民間地区で使うことを禁じられているクラスター爆弾を用いて非難されました。そのときも、イスラエル軍は、国際法で認められた範囲内の使用だと主張しました。

 白燐は、激しい火傷を惹き起こす有害化学物質です。これで多くのパレスチナの民間人とりわけ子供が死傷してます。

★白燐弾については   http://www6.ocn.ne.jp/~boogie/white_phosphorus_weapons.htm
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 家々の(習慣的)文化  文科系

2009年01月17日 10時05分49秒 | 文芸作品
昨日の朝、家の前で自家用車に乗り込んだとき、こんな光景を見た。車がやっとすれ違えるほどの生活道路を隔てた斜め北東、I家の75歳ほどの元気なお祖母さんが、家の南の舗装道路にせっせと水まきをしている。毎朝やっているのだ。昔のような地道ではない舗装道路に毎日水まきするくらいだから、I家の南道路一帯はもちろんゴミ一つ落ちていない。我が家とは大違いである。我が家門前の道路一帯は、近所でも最もきれいではないだろうという、妙な自信があるのだから。

向かってその西隣、我が家のお向かい、T家は、小さいながら前庭が立派だ。4坪ばかりの東西に長い庭なのに、いろは紅葉だとか、小さいながら枝振りの良い松とかを上手に配していて、ツゲの生け垣からテッセンなどが覗くときなどには、目が引き寄せられたりもする。すべて長野県出身と聞いている75歳ほどのご主人が手作業でやっている。
振り返って我が家の北前庭はと見れば、シュロはのび放題。その特有の枯れ葉が10本もだらしなく垂れ下がっているときさえ多い。その根締めのようなヒイラギものび放題だし、最も表に覗いている2本のわび助はもうめちゃくちゃな枝振りを道行く人に振りまいている。

さて、家々の「文化」を振り返ってみることは案外面白い。習慣的なものになっている「生活文化」は、その家の「文化的個性」を如実に表しているからだ。たとえば衣食住車などのどこにお金、労力を使うか。家々で非常に支出パーセンテージが違うものだと思う。それらの点には、家主夫婦の人格も現れているものではないだろうか。
I家もT家も、庭や住に費やす労力は我が家の何十倍だろうか。車にしてもI家の若主人(お婿さん)は大きなワンボックスだし、T家の若主人に至っては最新式のベンツである。対する我が家はスズキの軽、コストパフォーマンスが軽自動車のなかでも最もよく、ターボエンジンで5速マニュアルシフトというところにちょっと僕の個性が入っている。ここであわてて言い添えるが、我が家の収入は二人分の年金があるし、それ以上の副収入もあったりして、悪くはないと思う。

なお、衣に使う金は本当に少ない。ブランドものなどは買ったことがない。我が連れ合いは、父母が離婚して母だけで5人兄弟を育てたという育ちのせいか、特にそうである。我々夫婦で外国へよく行っているが、いわゆるブランド土産店などは覗いたこともない。あんな華やかなところ、僕などは入るのも何か気恥ずかしくて、疲れてしまう。

さて、そんな我が家はどこに金と労力を使うか。常識とはかなり隔たっているとも思うので、ちょっと細かく書いてみよう。
まず食事やお茶。吉兆、ロブション、八勝館、カモメなどなどに行くし、外食はしょっちゅう。息子夫婦は昨日の彼の誕生日をミッドランドの「オーベルジュ・ドゥ・イール何とか?」で過ごしたそうだ。お茶などでも、玉露や中国茶を最近は欠かしたことがない。なお茶については、当ブログ1月3日拙稿を参照されたい。
次いで僕の趣味。97年に更新したロードレーサーや05年に新たに買ったギターは、知らない人にはちょっと驚くような値段と思う。このギター、東京は中野区のある製作家の工房まで二回も出向いて買って帰ったものである。
これらの二つ、特にギターに費やす労力などは、I家やT家の何にたいするよりも多いだろう。もちろん、このブログに費やしている労力も膨大なものだと思うが。

さて、我が家のこうした「文化」には、どんな家でもそうであるように当然「歴史的由来」がある。
僕の父母はともに、明治生まれの転勤族の走りみたいなものであって、全国的最高学歴を得たが故に全国区に打って出たいわば成り上がり者。地縁もないし血縁からも遠く離れてしまった生涯であった。我が家さえ、完全共働きの収入で土地を買っておいて、63年に父53歳で初めて建てたものであって、父が死ぬちょっと前までは、神棚はもちろん仏壇さえもなかったのである。おまけに当時の日本としては非常に珍しい鉄筋の家だったから、地震が騒がれる今でも僕が安心して住めている。
この両親、忙しい共働きの中で親から受け継いだ文化的習慣はほとんど失い、おまけに西洋かぶれ、完全な核家族。良くも悪くも個人主義の家なのである。そういう家の中で僕だけがやはり完全共働きを続けてきたのだしして、最も両親に似た文化習慣を持っているのではないだろうかと考えている。
父も母も掃除をしなかったなー!!








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和は、遠くなりました 保守系

2009年01月17日 00時32分00秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
もう平成も21年になりました。来年には、平成生まれの大学生が、入社してきます。高校・短大生は、もう既に就職をしています。
あの戦争と私達が言っても、いつの戦争?というか、日本は、いつ戦争したの?という時代です。考えてみれば、戦後、日本は、戦争をしていません。ベトナム戦争ももう何年の時代なのかな?朝鮮戦争もいつ?というものでしょうか?
ロシアをソ連と言っても、ソ連という国はあったのかな?
ソ連とはソビエト連邦の事でしょうが、ソ連も解体して古い世界地図にしかありません。対馬の土地が韓国人に買収されているようですが、海上自衛隊の基地の隣のようです。これでは、独島(韓国の呼び名)は、韓国のものになりかねません。
現在の世界地図を見ると、ロシアのグリーン色の国境が、南樺太が消えています。南樺太は、日露戦争で、日本が勝利して獲得した領土です。
千島・樺太の交換など江戸時代まで巡ります。北方領土だけではありません。
何故なら、ロシアとは、平和条約を結んでいないからです。
昭和も遠くなりましたが、まだ未解決の問題があるのです。
文藝春秋の新書に、昭和12年の「週刊文春」「昭和20年の文藝春秋」「昭和20年後半篇」「昭和30年代編ー日本が一番輝いたあの頃ー」、東京タワーが出来たのでしょう?昭和33年(ちくま書房)は、私が高校へ入学した頃です。
「昭和の墓碑銘」新潮新書もありますが、本の帯に「人の価値は棺を蓋いて定まる」と書いてあります。この中に、昭和49年には、帝国海軍の大往生、野村直邦大将、美空ひばりのフアンだった「曲学阿世の元東大総長」ともあります。
本当に、昭和は遠くになりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする