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「普天間(ふてんま)基地閉鎖・返還(撤去)問題」の考察③──  井上澄夫

2009年11月13日 14時46分54秒 | Weblog
◆動揺する鳩山政権の沖縄政策と揺るがない「沖縄の総意」

 しかし海上ヘリポート建設計画が頓挫したあと、日米両政府が打ち出した「キ
ャンプ・シュワブ沿岸域案」に対しても、新基地建設を阻止する抵抗は粘り強く
続けられた。同案はキャンプ・シュワブの敷地にまたがり、ジュゴンが回遊する
辺野古沖と、最近、巨大なアオサンゴの群生があいついで発見された大浦湾を埋
め立てて、V字型にそれぞれ1800mの滑走路を建設するというもので、名護
市民・沖縄県民が容認するはずはない代物だった。今年10月9日、辺野古漁協
近くのテント村での座り込みは2000日を迎えた。
 海上ヘリポート案と現行案との違いでどうしても強調しなければならないこと
がある。海上基地案については、当時の稲嶺県知事と日本政府との間で「使用期
限15年」と「軍民共用化」が合意された。撤去可能な基地であることも強調さ
れた。だが現行案には使用期限はないし、民間航空の使用もない。米海兵隊の巨
大な新基地が辺野古に半永久的に固定されるのだ。

 さらにこれはぜひ付け加えねばならないのだが、日米両政府はウソをついた。
米海兵隊が辺野古の新基地にオスプレイを配備することは早くから指摘されてい
たが、日米両政府は一貫してそれを否定していた。オスプレイはヘリコプターの
ように垂直離発着ができ、しかも固定翼機のように長い航続距離を持つ最新鋭の
輸送機である。両翼のエンジンを傾けることができるティルトローター機である
が、無理な構造ゆえに、試作段階でも初期生産段階でも何度も墜落事故を起こし、
生産中止が度々検討されたいわくつきの機種である。そのオスプレイの配備が、
沖縄防衛局の環境影響評価(アセスメント)が行なわれたあと(!)、公表され
たのである。だからオスプレイがもたらす騒音はアセスメントの対象にならなか
った。そしてそのような基地の建設を日米両政府は「地元の負担軽減になる」と
うそぶいているのである。

 重ねて強調したいが、沖縄の人びとは「代替施設」を望んだのではない。沖縄
の人びとが一貫して求めてきたのは「基地のない平和な島」であり、それゆえに
こそ普天間基地の「即時閉鎖・返還(撤去)」を切望してきたのだ。
 ところが日米両政府はすでに見たように、ずるがしこくも、「返還」(既存米
軍基地内ヘリポート移設・一部機能嘉手納統合)を「代替施設の移転」にすり替
え、しかもそれをまた沖縄に押しつけた。「基地のたらいまわし」そのものであ
る。だから沖縄の世論は「県内移設反対」に凝縮されることになった。8月30
日の衆院選で沖縄4選挙区で自民党が全敗し、比例の九州ブロックでも負けた。
衆院選直後、当選した5人の国会議員はそろって「辺野古新基地建設反対」を表
明した。また昨年6月の県議選では自民・公明両党の支配を覆して野党が勝利し、
同年7月県議会で政府にあてて「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する
意見書」が採択された。県議会でも衆院選でも「沖縄県民の総意」が鮮明に表明
されたのだ。

 民主党は衆院選前、普天間基地の「県外・国外移設」を公約としてきた。それ
を具体的に以下紹介する。
▼鳩山由紀夫現首相 「(普天間の移設問題で)県民の気持ちが一つなら『最
低でも県外』の方向で行動したい」(09年7月20日、沖縄市の集会で)
 ▼岡田克也現外相  「『普天間』の県外、国外への移設実現を目指し、政治
生命を賭けて交渉したい」(05年8月25日、日本外国特派員協会で講演) 
 ▼前原誠司現沖縄担当相 「海兵隊はいろんなプロセスを踏んで最終的に国外
に持っていく」(05年4月、沖縄タイムスのインタビューで)
念のために付け加えるが、同種の発言はまだまだある。さてその民主党は鳩山
政権成立後、公約を実現しようとしているだろうか。
 北沢防衛相は就任後初めての沖縄訪問で辺野古のテント村で住民の意見に耳を
傾けることもなく、「県外移設は困難」と表明した。岡田外相も「県外は事実上、
選択肢として考えられない」と表明しつつ、「嘉手納統合の可能性を検討するし
か、残された道はない」と語った。これに対し鳩山首相は依然「県外移設」の可
能性に含みを残す発言をしているが、11月13日に予定されるオバマ米大統領
の来日前の決断は先送りするつもりのようだ。

 これに対し米国政府は苛立ちを隠さない。1996年の橋本・モンデール「普
天間返還」合意は「5年から7年以内」に実現するはずだったが、代替施設建設
は遅々として進まず、もう13年も経ったではないか、というわけだ。10月2
1日に来日したゲーツ米国防長官は、まるで植民地の総督ででもあるかのように、
辺野古案の早期実施を日本政府に強要した。その直後来日したマレン米統合参謀
本部議長も同様に振る舞った。だがそのような姿勢はアフガニスタン・パキスタ
ン侵略戦争の泥沼化(ベトナム化)でパニック状態にあることを隠すための虚勢
を張った猿芝居であるから、無視すればいい。米国政府の現在の苦境は、そもそ
もブッシュ前政権から引き続きオバマ政権でも国防長官の座に居座ったゲーツ自
身が招いたものなのだ。
 米南部テキサス州のフォートフッド陸軍基地で11月6日(日本時間)に起き
13人が死亡した乱射事件は、2001年の〈9・11〉直後に始まり、ついに
9年目に入った「対テロ戦争」で米軍自身が疲弊し崩壊寸前の状態にあることを
いみじくも実証した。

 鳩山首相が本気で「対等な日米関係」をめざすなら、同等の立場で対米交渉を
堂々とおこなえばいいのである。オバマ政権がなお居丈高な態度をとるなら、日
米安保条約の破棄を申し出ればいいだけのことだ。そうすれば条約は自動的に失
効するのだから、それまでに全米軍が日本から退去することになる。
 11月8日の沖縄・宜野湾市での県民大会(2万1000人が参加)から逃げ
て訪米した仲井真沖縄県知事は米議会や政府に「辺野古移設やむなし」を訴えて
回ったが、これほど時代が見えていない愚行は珍しい。仲井間知事とともに同じ
主張を声高に吹聴した松沢神奈川県知事は県民大会実行委員会から抗議されるこ
とになったが、まるで政府の閣僚気取りで沖縄を差別する振る舞いはもはや政治
犯罪という外はない。

◆問題の核心を改めて確認しよう

 東京の都心で10月22日、沖縄の「普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対
する県民会議」が主催する「普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念を
求める緊急集会」が開かれた。そこで「基地・軍隊を許さない行動する女たちの
会」の高里鈴代さんはこう語った。
 〈先ほど鳩山首相の選挙区がある北海道に普天間の代替施設を移設すべきとい
う発言がありましたが、私はそう思いません。私たちが求めるのは普天間基地の
「閉鎖・返還」です。そこでピリオドを打ちます。普天間の代替施設をどこかに
持っていけばいいとは思いません。
 今年、グアムで反基地の活動をしている各国の女たちが交流をおこないました。
そこでグアムの先住民チャモロの女性が過去約100年のグアムの歴史を語りま
した。米西戦争でアメリカが勝ってグアムは1898年、スペイン領から米国領
になりました。先住民は島の一角に強制収容され、広大な土地がブルドーザーで
敷き均(なら)されて米軍基地にされてしまいました。それから日本軍が占領し
た3年間を除いて、ずっと米軍統治が続いたのです。彼女の報告を聞いて貧困も
基地被害も沖縄とまったく同じだと思いました。ですから海兵隊員とその家族が
沖縄からグアムに移転するといっても、それで喜ぶわけにいきません。基地はど
こにもいらないのです。〉

 いかにも決起集会風の男たちの演説が多い中で、口ごもりながら語る彼女のス
ピーチは聴衆に問いかけ、論理的な思考を喚起する、異彩を放つものだった。集
会後、筆者は古い友人である彼女に「私にもグアムにチャモロの友人がいる。私
にとってはあなたの話が一番まともで、一番良い話でした」と伝え、しばし懇談
したのだが、本稿の読者はどう思うだろうか。沖縄県外の日本のどこかに移設す
ればいい、グアムは米国領だから大勢の海兵隊員らが移動するのは当然と考える
だろうか。

 私は海兵隊員たちを米国本土に帰還させ、十分なメンタルケアを受けさせ、人
間性を取り戻させてから除隊させるべきだと考える。普天間基地は即時閉鎖し、
米軍が土壌汚染を除去した上で返還させるべきである。「アジアや中東への米軍
の出撃拠点」をたらいまわしすることは、沖縄県内はむろんのこと、県外でも許
されない。いらないものはいらないのだから、なくせばいいのである。軍隊が住
民を守らないことは、沖縄戦での余りにも悲惨な無数の体験記によって十分実証
されているではないか。
 最後にもう一つ指摘しておこう。在日米軍は「日本の安全保障」のために存在
すると日本政府はいう。だがそのために、沖縄は戦後64年間も犠牲を強いられ
てきた。しかも沖縄は「日本の安全保障」の体制からはずされている。戦争にな
れば米軍基地と自衛隊基地が集中する沖縄が真っ先に攻撃されるからである。こ
んな割りの合わない事態に目をつぶっていていいわけがない。

【添付資料】略年表・「普天間移設問題」と北限のジュゴン ◆がジュゴン関連

◆1955年 米軍統治下の琉球政府がジュゴンを天然記念物に指定 
 1965年 米海兵隊の新たな飛行場適地を米軍が調査、辺野古沖が候補地に
      挙げられる
◆1972年 「復帰」の年、日本政府がジュゴンを天然記念物に指定
 1995年 9月 米海兵隊員3名による少女レイプ事件起きる
      10月 島ぐるみ抗議の県民総決起大会
 1996年 4月 橋本・モンデール会談で5~7年以内の「普天間返還」を
      合意
  12月 SACO最終合意で沖縄〔本〕島東海岸の「海上施設」案
      を決定
 1997年 1月 辺野古住民が「命を守る会」を結成
      12月 名護市住民投票で海上基地建設反対が圧倒的多数を占める
◆1998年   テレビが名護市の東海岸でジュゴンが遊泳しているのを撮影
      し放映
 1999年12月 名護市長が「海上施設」の辺野古地区受け入れを表明
      ・この年、「北限のジュゴンを見守る会」発足
◆2004年 日本自然保護協会と那覇防衛施設局がジュゴンの食跡(はみあと)
      を確認
 2004年 9月 那覇防衛施設局による辺野古沖ボーリング調査が始まる・
      阻止行動開始
◆2005年   環境省がジュゴンの7時間の回遊を確認
◆2005年と07年、報道機関がジュゴンを撮影
 2005年 9月 那覇防衛施設局が基地建設のための調査中止、建設阻止派
      勝利
   10月 日米両政府が「日米同盟:未来のための変革と再編」を策
      定
 2006年 5月 日米両政府が「再編実施のための日米のロードマップ」を
      策定
 2009年 2月 日米両政府が「グアム移転協定」を締結
   7月 民主党が沖縄政策で「県外・国外移設」明記
       8月 衆院選で政権交代→鳩山連立政権発足
  10月9日 辺野古テント村の座り込み2000日に達する
◆2009年10月 沖縄県アセスメント審査会が知事への答申でジュゴンの 
      「複数年調査」を要求

 ※ 国際自然保護連合(IUCN)が日本政府に対しジュゴン保護を勧告するな
ど、北限のジュゴンへの国際的な関心が高まっている。(年表作成:井上澄夫)
 

【付記】本稿は「北限のジュゴンを見守る会」のニュースレター『イタジイの森
に抱かれて』第33号(09年11月7日発行)への寄稿に若干加筆したもので
ある。本稿の執筆にあたって、沖縄現地のジュゴン調査グループ「チーム・ザン」
の浦島悦子さんと「北限のジュゴンを見守る会」代表の鈴木雅子さんの協力を得
た。特に辺野古現地を含む沖縄の人びとの抵抗の歴史については、浦島さんから
多大のご教示をいただいた。お二人に深い謝意を表明する。
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朝鮮日報より   落石

2009年11月13日 09時54分18秒 | Weblog
即位20周年を迎えた天皇陛下は、
戦争の歴史が忘れられつつある日本の現実に対し懸念を示した。
というリードで朝鮮日報は平成天皇即位20年を報道しています。

 日本のメディアが12日に報じたところによると、
天皇陛下は今月6日の記者会見で、「歴史が次第に忘れ去られていくのではないか、
という点が心配だ。
歴史的な事実について十分な認識を持ち、それを土台にして、
未来に向かう準備を進めることが重要だ」と述べた。
だが一方で、昭和天皇の戦争責任については、
「(戦争は)昭和天皇が本当に望んでいなかったのではないか、
と察する」として、皇室の戦争責任論を事実上否定した。

 日本メディアは記念行事に合わせ、現天皇の平和に向けた取り組みを強調した。
実際、第2次大戦の当事者で、「戦犯」に当たるのではないか、
として論議を呼んできた昭和天皇とは違い、
現天皇は即位から3年後の92年、反対する意見が少なくなかったにもかかわらず、
中国を訪問して謝罪の意を示し、
翌年には戦争で大きな被害を受けた沖縄県を訪問した。
終戦50周年を迎えた1995年には、原子爆弾を投下された長崎市と広島市を、
そして2005年には、激戦地だった米領サイパン島を訪問した。
このときは、日本の外務省の反対を押し切り、韓国人慰霊塔へも参拝した。

 一方、天皇陛下は韓国訪問も強く望んでいるが、
政治的に物議を醸すことを政府が懸念しているため、実現の見通しが立っていない。
日本政府は、韓国で天皇陛下の訪問に反対するデモが起こることや、
謝罪を要求することにより、天皇陛下が政治的な論争に巻き込まれることを懸念し、
韓国訪問に事実上反対している。

   

昨日、大学で玉音放送について講義をしました。
天皇即位20年の日でしたが、健康的というか、学生は一人の
そのことを入りませんでした。
(知っていても、表現しないことも考えられますが)
8月15日を終戦といい続けてきたことが
外国との歴史認識の共有を妨げていると言いましたが
どうもわかってはくれなかったようです。

わからないほうが「幸せ」でしょうが・・・

天皇は象徴という現代日本最大の不思議な存在ですが、
平成天皇は、その行動が政治に利用されないように細心の注意を
払っているように思います。
多分、父の背を見て学んだんでしょう。

明治維新、敗戦という歴史的な危機になると表舞台に登場する不思議な存在。
平素はいるかいないか気にならないのが象徴としての最善のあり方でしょうか。




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