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金融が世界を悪くした、そのあり様  文科系

2016年09月17日 09時10分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ここでの書評を予告させていただいた本「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書、ドナルド・ドーア著)の第1回目をお届けしたい。
 なお、著者はこういう方である。現在91歳のイギリス人で、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒、50年に江戸教育の研究のため東京大学に留学。以来ずっと、日本ウォッチャーを続けて来られたと、まるで同名の日本文学者ドナルド・キーン氏のような。なお、この本は題名の通りの内容を3部に別け、それぞれ『「金融化」現象』、『金融化が、社会、政治、教育などをどう変えたか』、『金融改革、弊害是正をめぐる各国、国際機関の動き』を扱っている。
 さて、第一回目に紹介するのは、この本の最大焦点。3部のうち2番目『金融化が、社会、政治、教育などをどう変えたか』における焦点箇所であるから、上の拙稿表題となった。著者は、英国経営者団体のある文書から、こういう世の中が出来たその次第をこう締めくくっている。

 以下は、日本の経済同友会に当たるイギリスのビジネス円卓会議というトップ経営者の団体が毎年出している一般教書の引用である。それも、1990年から1997年にかけてこのように激変したと。日本は遅れて急速に「こういう動き」を取り入れてきたとも説明しつつ。

『1990年はこうだった。
 法人企業の使命は、株主にも社会一般にも奉仕することである。株主の利害は主として、長期における投資への利回りに集中する。社会におけるその他のステークホルダーの利害は主として彼らの企業との関係において規定されている。 
 その他のステークホルダーとは、従業員、下請企業、債権者、地域社会および一般社会であって、それらに対する義務や責任は様々な法律、規則、契約および慣習によって規定されている。たとえば従業員に対しては、様々な労働保護法がある。しかしその法律を超えて、責任のある企業が、忠実な、そして働く意欲の強い従業員を確保するため、従業員に対して、および従業員同士の関係を構築するのは当然である。
 ところが、1997年にはこうなった。
 ステークホルダーの弱点は、各々のステークホルダーへの奉仕が必要とする費用の相互的トレード・オフを明示的に規定する目的関数に欠けていることである。したがって、そのような目的関数がないから、経営者のパフォーマンスを測る方法がなく、彼らのアカウンタビリティ(説明責任、相手の期待に応える責任)を確立させる方法もないのである。我々の意見では、経営者および取締役会の最高の義務は、企業の株主に対するそれである。他のステークホルダーの利害は、株主に対する義務に比して派生的なものに過ぎない』

 なお、この文章の1ページほど後に、こんな報告が付いていた。上記が単なる文章ではなく、加速度的に実行されて行ったというその証拠と言える。同じ円卓会議が経営者に対して行っている定期的アンケート調査と、その結果報告である
『「御社の取締役会では、社長以下の取締役が出席しない、社外重役だけの会合をフォーマルに催すことがあるか」(つまり、監督・統制する株主代表と監督・統制される経営者との利害対立を制度化するような会合)。
 2003年には、「ある」と答えたのは45%だったが、2007年には、71%に上がっていた。2010年、「企業統治原理」という、円卓会議のガイドラインでは、「そういう会合はどの会社にもあるべし」ということになっている』

 こうして、社会の大企業が、その社長でさえ参加できない社外重役会の意向だけを観るようになっていったのである。企業から、機関投資家以外の他の一切の利害関係者が切り捨てられてきたということだ。失業も増えるし、不安定雇用者も増え、下請も強烈に搾取される。その分金は、投資銀行、投資ファンド、証券会社に、そして彼らにだけ忠実だったヒラメ社長のボーナスへと、加速度的に集まっていく。同書の10ページに「(アメリカ全企業の)企業利益を金融業と非金融業に分けた内訳」の推移が載っている。1950年までは、全企業利益所得における金融業各社の割合は年平均9・5%だったが、それが最初はゆっくりと、次第に加速度的にふえていき、2002年には41%になったとあった。

 英米流の新しいこの企業スタイルを日本も後からどんどん追いかけて行ったのである。それで社会全体が、特にケインズ言う所の有効需要があってこそ成り立つ景気も含めて、急速に劣化してきたということだ。一般消費がこれだけ減っているのに、その分丸々と太った金融をどこに投資できるというのだろう。サブプライムのような金融商品をめぐって機関投資家同士が欺し合い、殺し合いのギャンブルをするしか、有り余った金の使い道がないような社会。普通の人々はそこから跳ね飛ばされている。著者は、そう語っているのである。
コメント (3)
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