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随筆紹介 ある犬の生涯    文科系

2017年10月07日 07時59分31秒 | 文芸作品
 ある犬の生涯    S・Yさんの作品です

 年齢も解らず、汚れて弱った状態の犬を保護してから8ヵ月ほどが経った。
 保護犬は飼うのが難しいとは聞いていたが、やはり想像以上に大変だった。繁殖だけに利用されて他の世界を全く知らないので無理はないのだが、それでもこの犬の脅える様子には毎日やりきれなくてため息が出る。
 おすわりが出来ないのにも驚いた。繁殖以外は閉じ込められていたせいなのか、立っているか伏せることしかできない。一切遊ぶこともしない。というより何も知らないのだ。 日がな一日中、伏せたままで前足を揃えて爪を噛むか毛づくろいをするだけ。あとは、自分用のマットをひたすら掘るようにかきむしっている。絨毯やマットが剥げて破れるので叱ったら、なにも食べなくなってしまった。躾もむずかしい。
 そして、未だに抱っこしようとすると小さな悲鳴を上げ、強い力でカチコチに固まってしまう。なにもかもが理解しがたく、犬好きな私たちでも戸惑うことばかりである。
「この犬には何の罪もない。こうさせてしまったのは人間なのだから」
 自分に言い聞かせてはいるが、それでもコミュニケーションがとれないことに、つい苛立ってしまう。  
 体も不具合が多いので手術を予定していたのだが、フィラリア感染が判明した時点で全てキャンセルになった。いまはその治療を続けているが、恐らくは長生きできないだろう。
 私たちは腹をくくった。お金も手もかかるが、残されたこの犬の余生は、できるだけ穏やかに優しく寄り添ってやることにした。

 幸い散歩は気に入ったようで朝、夕、夫と嬉しそうに出かけていく。その姿を見送りながらほっとする。犬らしくなった。私は夜、寝しなに散歩に連れて行くのだが、そのとき決まって一人のオジサンに出会う。オジサンは銭湯の帰りらしく、テカテカと血色のいい顔でニコニコと私と犬に話しかけてくる。
「この犬は利口だなあ。オレに吠えてこんぞ。オレを覚えてくれたんだなあ」、「お前は幾つだ?」、「オスかメスか? なんでワンと言わん?」などといつも同じことを大声で言う。夜遅いので近所迷惑だし、保護した犬だからと何回か説明をしたのだが、いまいち理解できていないようだった。見るからに肉体労働をしている感じだが、ちょっとだけ知的に問題がある気もする。私も話を合わせていつも同じ受け答えをしながら、オジサンとだんだんと顔馴染みになっていった。尤もこの犬はオジサンだけでなく誰にも吠えないのだが。悲鳴のような金属音に似た小さい声はときおり出すが、それ以外の声は私たち家族も聞いたことがない。

 わが家の前を通るオジサンとはほんとによく会う。今夜もいつものような会話をしておやすみなさいと挨拶をして別れた。鼻唄まじりで歩き出したオジサンは、つと振り返ると
「ワンとも言わんのはよっぽど怖い目にあったのかなあ…… お前さん、いい家へ来たな」と片手を上げて犬にバイバイと言った。私はポカンとしてオジサンの後姿を見送った。
 オジサン、どこまでわかっていたの? 妙なおかしみが込み上げてきた。
コメント (1)
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