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ある書評 斜陽米の本質(5)この本の序文と「あとがき」

2018年11月02日 08時52分33秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この連載の最後として、ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2012年6月第五版)の序文の前半と、あとがきのほとんどとを抜粋してみたい。これを読めば、この本が世界・日本の民主主義信奉者にとっていかに大切な書であるかが分かるというもの。金融グローバリゼーションが作った世界が分からなければ、世界の民主主義的改善などできないはずだ。

 まずズ序文の前半。
『 2006年あたりからサブプライムローン問題でくすぶり始め、2008年のリーマン・ショックで本物のパニックに発展した金融危機は、たしかに世界政治経済史の画期的な出来事だった。それは、1930年代の不況、第二次世界大戦、ベルリンの壁の崩壊に匹敵する画期的な事件であった。そこでは、「アングロ・サクソン資本主義の終焉」が叫ばれ、金融危機が世界経済にとって重要な転機となるように見えた。
 資産価格が急落し、国によっては、翌年の成長率がマイナス2%からマイナス5%、1000万人の新しい失業者が生まれた。銀行救済のために膨大な公共資金がつぎ込まれ、先進国平均で国民総生産(GNP)が3%減、何百万という人たちが持ち家を失いホームレスになった。災難としての規模は決して小さくなかったのである。
 しかし、2011年の今現在、世界経済の仕組みは大して変わっていない。1945年の時のような、「終止符を打って再出発」の感が、全くと言っていいほどない。・・・・』


 次に「あとがき」を転載すると、
『「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が7000万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。
 将来、金融化経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく7000万人を殺さないで。歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」、であるし「大きな戦争がなければ大きな社会変化もない」である。
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロ・サクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国家であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
 詳しく論じる余地はなかったが、3、40年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手を上げたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
 ○ 今後の米中の相対的経済成長力
 ○ 政治的課税力ー国庫歳入の成長力
 ○ 国威発揚の意思の強さー軍事予算拡大の用意
 ○ 人的資源・・・・・・・・
 西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。

①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済が委ねられるだろうか。
・・・・・・・・・
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

 「新書」の目的が、挑発的な問いかけで読者を考えさせることだとしたら、挑発はこのくらいで十分だろう。このあたりで筆を置いていいと思う。』


 この本によれば、「アメリカではこうだ」という理屈の下に、日本が米国共々経済から外交、軍事にいたるまでいかに危ない橋を渡って行きつつあるか。そのことが、日本経済最新変化の解明を通じてとてもよく分かる本だとつくづく考え込まされている。
 なおこの著者は、ケインズなど伝統的なイギリス経済学界の伝統を継承する「ロンドン大学LSE」を出て、そこのフェローの資格を得ているイギリス人。かつ、若いころの東大留学時代(江戸時代の教育制度を学びに来た)からの日本オッカケでもあって、日本文学者ドナルド・キーンのマクロ経済版のようなお方だ。本書を書き上げたころは85歳と推定されてなお、この「日本語」健筆。本書中には、60年前の日本にこんな生き生きとした「論壇」があったとして、こんな下りもあった。
『一方に、「岩波文化人」(私の親しい友人であった丸山真男や加藤周一や、まだ珍しく元気であった鶴見俊輔をはじめとして)、他方に、彼らを「進歩的文化人」と野次って、その愚かさを攻撃する「保守派」の福田恒存や江藤淳など、その間の論争を懐かしく思い出す』(P109)


(終わりです。ここまで読んで下さった300人ほどの方、大変有り難うございました。)
コメント (1)
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