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リビアでも親米反乱軍   文科系

2019年04月22日 16時09分26秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 カダフィ時代のリビアは、世界9位という埋蔵量の原油利益が国民に還元されて、アフリカでも有数の国民が豊かな国だった。そのカダフィが殺されてぐちゃぐちゃになったリビアに、今、反政府軍反乱が起こっている。このハフタルという将軍がまた、アメリカの息のかかったお人のようだ。カダフィ政権が崩壊した2011年まで20年以上アメリカに亡命していたお人で、21日朝の中日新聞によれば、トランプが改めてこう支持したとか。

『米ホワイトハウスは19日、トランプ大統領がリビア東部の民兵組織「リビア国民軍」を率いるハフタル司令官と電話協議し「テロ対策と石油資源の保護で重要な役割を果たしていると認めた」と発表した』

 アメリカがやる間接戦争は、冷戦時代のアフガニスタンでも始まっている。アルカイダを育成して、これと一緒になってソ連を追い出した後に、アルカイダ政府が出現。そして、9・11の後に今度は、ビンラディンや実行犯を匿ったとかで、戦争をおこしてこの政府を潰している。以来この国は泥沼戦争が続き、大量難民が生まれる土地になった。リビアもまた、こうなるのだろうか。同じく難民を生んで世界を悩ませたイラク、シリアに加えて、ベネズエラ、ニカラグア・・・。アフガンとイラクで、米軍直接の戦争はよほど懲りたのだろう。
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随筆  「孫はなぜ面白くて、可愛いいか」   文科系

2019年04月22日 15時57分42秒 | 文芸作品
「じい、今日は満月なんだねー、いつも言うけど本当に兎がいるみたい……」。
 小学三年生になったばかりの孫のはーちゃんがしばらく夜空を仰いでいたが、すぐにまた「馬跳び」を続けていく。綺麗に整備された生活道路の車道と歩道とを分け隔てる鉄の棒杭をぽんぽんと跳んで行く遊びで、俺はこの光景が大好き。確か、四歳ごろから続けてきたものだが、初めはちょっと跳び上がって片脚だけをくぐらせるように下手だった……。我が家から五百メートルばかり離れた彼女の家まで送っていく途中の道なのだ。それが今では、学童保育に迎えに行って、我が家でピアノ練習、夕飯、宿題の音読に風呂も済ませて、俺は一杯機嫌で送っていく日々なのである。今夜もこんなことを振り返りながら。

 学童保育でやってくる宿題や、音読は好きだからよいのだが、ピアノ練習は今日も大変だった。これがまた娘も俺も、勉強以上というか、ここで勉強の態度もというか、とにかく物事に取り組む態度を身につけさせようとしているから、闘争になってしまう。憎しみさえ絡んでくるようなピアノ闘争だ。はーちゃんは娘に似て気が強く、『嫌なものは嫌』が激し過ぎる子だしなー。ピアノの先生の部屋でさえ、そう叫んであそこのグランドピアノの下に何回潜り込んでしまったことか。そんなふうに器用でも勤勉でもない子が、馬跳びや徒競走となるとまー凄い執念。
と、最後を跳び終わった彼女が、ふっと、
「じいが死んだら、この馬跳びやお月様のこと、きっと良く思い出すだろうね」
 俺が死んだらというこの言葉、最近何回目かだが、この場面ではやはりちょっと驚いた。俺が折に触れて口にして来た言葉だから?またこの意味がどれだけ分かっているのか? などなどとまた考え込んでいた時、「孫は、何故これほど面白く、好きなのか」という積年の問題の答えがとうとう見つかったような気がした。
『相思相愛になりやすい』
 一方は大人の力や知恵を日々示し、見せる。他方は、それに合わせてどんどん変化して行く姿を見せてくれる。それが孫と爺であってみれば、それまでの人生が詰まってはいるが寂しい晩年の目で、その人生を入れ込んで行く相手を見ているのである。これは人間関係にも良くある相思相愛の良循環そのものだろう。これに対して、あのピアノには明らかに悪循環がある。憎しみにさえ発展していきかねない悪循環。という所で、ふっと気づいたのが、この証明のような一例。最近小学四年生だったかの女の子をDVの末に殺してしまった父親はどうも典型的な教育パパだったようだ。教育パパが転じて憎しみの権化になる。そう、俺らの良循環とピアノの悪循環は、あの父と子の悪循環と兄弟なのかも知れない。だから、思春期の子どもに昔から良く起こってきた激しい家離れも、家への憎しみも、この兄弟の一方・悪循環の結果でもあるのだろう。
「可愛さ余って憎さ百倍」
 こんな風に、俺にもあった激しい家離れ、家への憎しみとも言えるものを抱いていた時を思い起こしていた。

 さて、それからの俺は激しいピアノ闘争の後などに度々こう付け加えることになった。
「大好きだからこそ、貴女にとって大事なことでは特に強烈に、怒るんだからね」
 でも、このやり方が思春期まで成功するとは到底思えない。ゲームとか動画、録画とか、成長期にやり過ぎてはいけないものが今の世には溢れ過ぎている。今の子育てに、我々年寄りは何て不向きなんだろうとも、度々悩んできたところだ。

さて、こう言い続けてきたせいか、あるいは彼女がそういう年になったということなのか、暫くしてこんなことが起こった。自分からピアノに向かうようになったし、その時間も長くなった。そして、先日のピアノ・レッスンに久しぶりに俺が頼まれて連れて行ったのだが、初めてという光景を見ることになった。先生のいつにない静かだが厳しく、長い小言を我慢して聞いているのである。ピアノの下に潜っていかないか、トイレに逃げ出さないかと俺はハラハラしていたのだが、結局頑張り通した。そして、終わった後、帰りの車で静かに泣き出した。そう、これがちょっと大人に近づいた涙。これからはこれを一杯流して、素敵な大人、人間になってゆけ……。などと思いながら黙ってその横顔を見ていたら、俺も涙ぐんでいた。

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