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「メディアの憲法報道を問う」最終回

2008年12月26日 09時37分44秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の最終回です。


小さな積み重ねが未来を開く
 
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って
僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、
憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。
まして、制定の背景まではなかなか知らない。
それを僕はけしからんと云うことは出来ない。
むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、
という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。
一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、
若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、
ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。
愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。
地方から来てる人も結構いるんですよ。
大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。
方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で
昔の経験を聴いたりなんかするんですね。
そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁと
いう気はしています。

若い記者たちの実践

ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事を
ご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、
東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で
連載記事を何回も組みました。
例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、
戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、
戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、
その意味を連載していったり、
それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を
歩いてルポルタージュをする、
それから有識者にインタビューを次々として
「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。
部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。
憲法改正という問題が出てきましたから、
若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って
自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、
直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、
「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。
それを聴いたとき僕は泣きましたね。
それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、
若い人たちに自分たちの経験を、
つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、
若い者と経験を共有するということを意識することによって
憲法問題というのはやっていけるんだろう。
つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。

いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。
憲法は時代の道しるべだ、とか。
前に社説にも書いたことがあるんですけれども、
道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、
この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、
という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
失礼しました。

                  終り

とても興味あるお話でした。
「平素が肝心」という子供時代に読んだ本の
小見出しをおもいだしました。
毎日の生き様が将来を方向付けていくんですね。

飯尾先生、ありがとうございました。落石

 





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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-12-29 18:54:22
アメリカの占領軍と極一部の日本人が決めてその後一度も改正されていないのだから、「憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない」日本人は、事の始めから、ほぼ全てなんだけどね。
戦前の生まれだろうが、護憲派だろうが、そんな事は全く関係無いんだよ。
そーいったトコで微妙に偽装を挿むのが、いかにもジャーナリスト。
思えば「‥あるある‥」の捏造も同じノリだったよね。
納豆がダイエットに「悪い」とは誰も言っていないんだけど‥
次の世代は、「No Editors No Journalists」であろう事は、見えてきているし、
これは、「あるジャーナリストの遺言」或は「ボケ爺のタワ事」として聞くべきかな。
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