「各業界有力三四社の幸口評価
杉田望(すぎた のぞむ)
1943年生れ。早稲田大学文学部中退。「重化学工業通信』元編集長。ハイテク産業や通商問題などの評論のほか、経済小説に「小説・半導体戦争」や最近作『香港密約」などがある。
就職戦線の虚と実
六月ごろから大手町や丸の内界隈では例年のように、1992年も同じ光景が見られた。男子学生は紺かグレーのスーツ、女子学生の場合も決まって上下お揃いの紺かグレーの、いわゆるリクルート・ルックというやつで、企業訪間が始まるのだ。テレビがカメラを向けると、Vサインを返してくる。明るく屈託がない。偏差値の後遺症というべきか、そこには有名大学から有名企業にまっしぐらにつき進む 未来のビジネス・エリートの姿がある。しかし、就職戦線を闘うのは有名大学の学生だけではない。実をいうとい丸の内や大手町で繰り広げられる就職戦線とは、ちょっと様相のことなる、もう一つの就職戦線がある。そこには有名でもない大学の学生と、これも有名でもない企業の人事担当者との間で繰り広げられている就職戦線だ。マスコミも彼らを注目するようなことはない。
だが、これからの日本経済を担うのは彼らなのである。というのも、彼らは日本の労働力市場でマジョリティを占めるということだけではなく、企業社会の中にあってはもっとも頼りになる働き手と期待されるからだ。その意味でいうならば、むしろ大手町や丸の内で繰り広げられているのは、少数派の就職戦線ということになるのかもしれない。そのことはちょっとデータをみればわかることで、企業の数からいえば、東証に一部上場するような有名企業というのはごくわずかだからだ。大半の企業は従業員300人以下の中小企業。大卒も高卒も 大部分の人間は、その中小企業を職場に選ぶ。それに比べると、有名企業出身の学生というのはほんの少数なのである。どういうわけか、就職シーズンになると、丸の内界限に出没する彼らの存在が大きく クローズアップされ、就職戦線というと彼らのことのように扱われる。だが、そこで演じられる学生と企業側との攻防というのは茶番にすぎないのだ。
有名大学の一つ 、東京大学工学部の学生を例にとるならば、こういう具合である。たとえば、A君の場合だと、既に三年の夏休みに入る前には就職を決めている。同学科の学友のほとんども、大学院に進学するとか、公務員の道を選ぶとか、東証一部の重機械メーカーに就職するとか、あるいは銀行に就職するとか、各々これから歩むべき道を決めている。もちろん、主任教授や先輩たちのひいきがあってのことだが、あとは卒業に必要な単位を修得し、たとえば、大学院に進学するような学生は卒業論文を作成するため実験に明け暮れ、卒業を待つ 。
これに対して、有名でない大学のB君の場合はどうか……。B君は東京都下の文系大学の学生。今年は「厳しい」と就職担当から聞かされていたが、それにしても、大学4年の夏を過ぎても、まだ就職は決まっていなかった。もちろん、丸の内界隈の有名企業を訪ねてみた。B君はそこで、有名大学と有名でない大学を、有名企業はどのように扱うか、同じ大卒でも、天と地ほどの違いのあることを思い知らされるのだった。
まず「 指定校」という壁に阻まれる。面接どころか、書類さえも受け取ってはくれない。ようやく面接までこぎつけたとき、もう一度屈辱を味わう。有名校の学生は昼食つきの面接。B君が受けた面接というのは、B君と同じような有名でない大学の学生を大勢集めた、広い講堂での集団面接だった。それをやるのは形式であり、企業側の人事担当者も採用するつもりのないことを露骨に態度で示す。いって みればマスコミから「 指定校」制度を批判され、それでしかたなくやっているという態度だ。だから会社説明もお座なりで、もちろん、質問もいっさい受け付けない。それで「面接」なるものは10分あまりで終わった。バカにされたというよりも、なんだか、アリバイ証明のために利用された、というのがB君が抱いた率直な感想である。
話をA君にもどそう。4クラス120人のうち、たとえば、名門のM重工業に3名、競合するH製作所に3名、電気通信系のF社に3名、都市銀行に4名、大学院進学7名、通産省の研究所に1名と通産行政に3名という具合に見事に割り振られ、結局100%がきちんと納まっている。いつもとちょっと違うのは経済の低迷を反映してか、公務員志望者が若干名増えたことくらいか……。そのことを除けば、 ほぼ例年通りに定数配分が行われている。要すれば、どの企業にどれだけ学生を配分するか、この学科にはいわば「 就職先カルテル」というべきものが存在しているのだ。
B君がようやく就職を決めたのは、10月半ばに入ってからのことだった。採用を決めてくれたのは機械工具を取り扱う従業員200人という中堅の専門商社だ。B君は指を折って数えてみる。有名企業を含め中小企業など企業訪間したのは実に67社。それでもB君は恵まれた方だといえるかもしれない。クラスの仲間で就職を決めていないのはまだ20%ほど残されているからだ。とくに厳しかったのは女子学生。クラス仲間のC子の場合も、まだ就職を決めていない。就職活動を通じて、B君が改めて実感できたのは、有名企業が広く門戸を学生に開いているというのはまったくのまやかしであったことだ。受験の足切り、指定校制度、推薦制度などにより、非有名大学の学生や女子学生は事実上排除されている。だから「就職戦線」というのは二つの面がある。一つはいわゆる有名大学から有名企業への就職。もう一つはB君のようないわゆる非有名大学から中小企業や非有名企業への就職である。
B君が戸惑ったのはもう一つ、有名企業の情報は山ほどあるのに中小企業の実態についてほとんど情報らしい情報がなかったことだ。自分の将来を決める就職だ。だから選ぶ会社のことはよく知っておきたいし、納得のできる就職をしたいと考えるのは人情というものだ。中堅の機械工具の専門商社の場合だと、会社の募集要項には、所在地、資本金、売上高、取扱品目などが示されているだけで、得意とする英語を生かすことができるかどうかなど、さっぱりわからない。もっとも知りたいのは、やはりこの企業の生い立ちであり、自分の性格にマッチするかどうか、この企業の企業風土のことだった。それだけに面接のときB君は真剣だった。
B君の経験が示すように、有名大学の学生たちは「青田刈り」の対象になり得ても、非有名大学の学生は、地を這う就職活動を余儀なくされる。このことは非有名企業は有名大学の学生を採れないことを意味し、逆に非有名大学の学生は自分の希望する企業や職業から事実上排除され、だから人材配分の社会的不公平が起こり、学生の職業選択の自由が脅かされる。
それでもB君はがっかりなどはしていない。識者もマスコミも、決して触れることのない就職戦線の虚と実……。そのことを就職活動を通じてわかっただけでも、大学のカルテル制度で就職を決めたA君に比べれば、これから社会で生きていく上でB君には大きな収穫であると思えたからだ。
こうした実情を踏まえた上で、いわゆる大企業をウォッチングしてみた。企業は個々に特異性をもつが、こうした有力企業を眺めてみると見えてくるものがあるのではない だろうか。 なお、各社冒頭のデータは、本社所在地・ 資本金。 従業員数。平均年齢。平均賃金は東洋経済新報社 『会社四季報』95年春季号、大卒初任給は日本経済新聞社『 日経会社情報』九五年春号に従い、いずれも1994年9月期のものである。ただし、西武百貨店は日本経済新聞社『流通会社年鑑1994』、日本生命保険・ 朝日新聞社・日本経済新聞社は日本経済新聞社『会社総鑑1994』に従い、いずれも1992年度のものである。」
各企業評価の文面は続いていきます。
これずっと書きたかったです。2017年の現在も繰り広げられている光景の基本は同じなのではないでしょうか。こうして大企業に就職・就社したものの、最速1年未満、数年で去っていく若者に、13年間の間にぞろぞろと出会いました。日本株式会社は、いつまで若者にこんなことをやらせるんでしょうか。
(内橋克人・奥村宏・佐高信編著『就職・就社の構造』岩波書店、 1994年3月25日第1刷発行、 163‐167頁より。)