それまで性別による採用を行ってきた多くの企業は、人事面で性別による処遇の差を禁止する均等法をクリアしなければならなかった。その結果考え出されたのが、社員を幹部候補の「総合職」と補助業務の「一般職」の二つに分ける「コース別人事制度」である。男女別で働き方を分けると均等法違反になるなら、コースで分ければいいではないかというわけだ。
戦後大手企業では、大卒男性事務職を「終身雇用」の幹部候補社員として採用してきた。これらの男性は、何でもこなすゼネラリストとして様ざまな部署を異動する。この際には、厳密な生産性や機能、一つ一つの仕事の結果によって評価や賃金が決まるわけではなく、定年までを織り込んだ漠然とした評価がモノを言い、また、男性の大卒は全て何らかの管理職になるものとされてきた。このように、学歴や性別を超えた個々の業績を評価するノウハウを持たない大手企業において、均等法導入後も根底にある基準の取り方そのものが見直されることはなかった。ただ、男性と同じ管理職候補になり得る「資格」を持つ少数の女性を「総合職」として導入しようとしたのである。
振り分け基準は、「大卒」はすべて総合職扱い、「高卒以下」は一般職扱いと最終学歴で分ける方法や同じ大卒でも会社の判断や本人の希望で「一般職」に配属する場合など、企業によって異なる。分ける時期も入社時の場合と当事者の希望や勤務成績などからコース転換する入社後の振り分けとに分かれる。この制度は性別人事制度を敷いてきた大手企業を中心に相次いで導入され、90年8月に労働省が発表した「コース別雇用管理に関する研究報告」87年の調査対象148社のうち27%が導入、これからの導入を検討している企業も49%に及んだ 。1)「コース別人事管理制度」は能力と意欲がある女性に男性と同じような昇進・昇格の機会を開くものとして大きく宣伝された。しかし、女性は圧倒的に中小企業で働く割合が高いことを考えると、コース別人事管理制度は大企業特有の日本的経営システムの対応であり、第一章の雇用形態の多様化・パートタイマー労働者のところでも触れたが、コース別雇用管理も間接差別に当ると考えられる。
均等法施行後の定着状況を調査した結果によれば、コース別雇用管理制度を導入している企業における雇用管理のコース別の募集状況について、1995年(平成7)では、「企画的業務に従事し、全国的規模の転勤のあるコース」については女性のみを募集した企業はないが、逆に「定型的業務に従事し、転居を伴う転勤のないコース」については、女性のみを募集した企業の割合は63.3%と高い。この結果を1992年(平成4)の調査結果と比較すると「定型的業務に従事し、転居を伴う転勤のないコース」については女性のみを募集した企業が17.5ポイント増加しているのに対し、これ以外のコースについては男女とも募集した企業も増加している。
施行開始から6年の時点で補助的業務については女性のみを募集する、基幹的または専門的業務については男女とも募集するという企業が多くなっていた(表3-5)。コース別雇用管理の名の下に、大多数の女性は賃金が低く昇進もない一般職のコースに振り分けられていったのである。その結果、男女の賃金格差はいっそう拡大し、固定化されるケースが増えてしまった。「性」を直接の基準にしていなくても、一方の性が圧倒的に不利になるように扱われればそれは間接差別である。コース別雇用管理が間接差別に当るかどうかは、1999年4月に施行された改正均等法の指針でも、雇用管理区分ごとに判断されるとされてしまった。
コース別雇用管理が、女性差別の意図で導入されたことが証明されれば直接差別だといえるが、証明されない場合は、間接差別に当るかどうか検討することになる。例えば総合職になるためには、「いつでも転勤が可能で長時間労働や深夜業もできる」という「生活態度としての能力」が必要となれば家庭責任を負う女性の多くは総合職になることは困難だということになる。男性の長時間労働という根本的問題の改善なしにコース別雇用管理は導入されたので、総合職に採用された女性は家庭責任との両立が困難な働き方を要求されることになり、退職する女性が続出した。
この制度への不満は、総合職に選ばれなかった女性たちからよりもむしろ総合職たちから巻き起こったのである。高学歴の女性たちはどんどん社会に進出していったが、例えば、大手生命保険会社では総合職として採用した女性の半分以上が1.2年で退職してしまったという。また、ある有名私立大学の就職担当者は、「総合職に採用された卒業生が後輩にはやめた方がいいと勧めている」と教えてくれたとの逸話を竹信三恵子は紹介している。2) 総合職の第一期生として入社し、「男性並み」を期待していた意欲的な女性に本来の趣旨からすればプラスに働くはずの制度が当の女性たちに嫌われた。
竹信三恵子が取材した中から総合職として採用された女性の苦悩を少し紹介したい。都内の女子大を卒業後大手電機メーカーに入社したある女性。入社時、彼女の立場は「ねじれ」に満ちていたという。当初の仕事は一般職と同様、事務が中心であった。教えてくれるのは一般職の先輩女性である。ところが教えられる立場の自分の方が総合職であるというだけで給料が高い。仕事の評価がもし社員の生産性によって量られるならばその時点では当然一般職の先輩女性の方が給料が高いはずだが、仕事と賃金とは対応していなかった。どんなに努力しても意欲があっても女性社員の圧倒的多数を占める一般職は次の段階に挑戦する機会を与えられてはいなかったのである。しかも、男性並みであるはずの総合職の中にも、大口の仕事は男性に割り振られるなど男女の壁はあったのである。会社では男は男、女は女でしかない。性による差別は根強くあった。性別や「コース別」など、個人にはどうしようもない属性で評価が左右される仕組みのなかでは、たとえ総合職の看板をもらっても、「女性」であることはつきまとうのだ。ところが、性別配置から「コース別配置」に看板が変わったので、性差別を理由に会社を批判することはできないという、ゆがんだ状況がどこに批判の矛先をむけていいのかわからない戸惑いを生んでいた。ひたすら私生活をすり減らした先に何もなければ人生の収支として割が合わなさ過ぎると考えた彼女は、「結婚退職」という表面上は見事なまでに伝統的な解決パターンを選んだ。 3)大手金融機関を3年で退職した別の女性は言う。「当時の女性社員の立場といったら、明治時代の不平等条約の時の日本みたいでした」。 4)
制度そのものが女性に不利だったのである。竹信は彼女たちの姿をこうまとめている。そこに見えたのは、「女には厳しい男の世界から脱落した」総合職の姿ではない。むしろ、男女双方に納得のいく透明度の高い評価の方法を持たず、従来の手法からの脱皮もできないまま「習慣」に頼り続けようとする会社組織の無気力に対する、意欲的な女性たちの根深い軽蔑の感覚のように思えた。 5)
では、従来から事務職として勤務してきた女性にとって均等法はどう影響したのか。『クロワッサン症候群の女たち』のインタビューの中から一つ紹介したい。大手生命保険会社に勤続14年の35歳の女性はこう言っている。「均等法ができてからかえってきびしくなりました。均等法前は、男女が一緒に肩を並べて仕事をしている。そのうちだんだん差がでてくる。そういう感じでしたけど、今は最初から総合職と事務職に分かれる。総合職の人、
つまり男性たちは事務職を下に見るようになりましたね。事務職だって、結局は同じような仕事をしているのに・・・」。6) 均等法施行後は、「女性の戦力化」という掛け声の下で賃金・昇進・昇格などにおける改善なしにこのような一般職の女性にも過大な残業や責任が求められる結果となった。
ちなみに諸外国における男女雇用均等関係の法制をみると、国情により雇用環境等が異なる面があるが、アメリカ、イギリス等では法律で性による差別的取扱いを禁止している。例えばアメリカでは、1964年(昭和39)に制定された公民権法(第7編、雇用における差別禁止)に基づき、性別、人種等を理由として、①個人を雇用せず、その雇用を拒否し、解雇すること、②雇用に関する報酬、期間、条件等について差別待遇を行うこと、③個人の雇用機会を奪う、または奪う可能性のある方法で被用者または就職応募者を制限し、分離し、類別すること、あるいは被用者の地位に不利益を及ぼすことは、事業主の違法な雇用慣行として禁止されている。 7)
引用文献
1)竹信三恵子『日本株式会社の女たち』15-16頁、朝日新聞社、1994年。
2)竹信三恵子、前掲書、15-16頁。
3)竹信三恵子、前掲書、18-24頁。
4)竹信三恵子、前掲書、30頁。
5)竹信三恵子、前掲書、32頁。
6)松原惇子 『クロワッサン症候群の女たち』文庫版、文春文庫、1991年(原著は1988年)。
7)総務庁行政監察局編『女性の能力発揮を目指して-雇用の分野における女性の現状と課題』13頁、大蔵省印刷局、1997(平成9)年。
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わたしが13年間も働いてしまったクソな会社では、一般職を「担当職」としていました。古い体質から抜け出せない大会社ね。今の就労場所にはこういうあからさまな男女差別がなく、むしろ女性の方が活躍しています。こうして読み返しながら、会社で働く人に戻ることはもうできないのだとあらためて思うしだい。
戦後大手企業では、大卒男性事務職を「終身雇用」の幹部候補社員として採用してきた。これらの男性は、何でもこなすゼネラリストとして様ざまな部署を異動する。この際には、厳密な生産性や機能、一つ一つの仕事の結果によって評価や賃金が決まるわけではなく、定年までを織り込んだ漠然とした評価がモノを言い、また、男性の大卒は全て何らかの管理職になるものとされてきた。このように、学歴や性別を超えた個々の業績を評価するノウハウを持たない大手企業において、均等法導入後も根底にある基準の取り方そのものが見直されることはなかった。ただ、男性と同じ管理職候補になり得る「資格」を持つ少数の女性を「総合職」として導入しようとしたのである。
振り分け基準は、「大卒」はすべて総合職扱い、「高卒以下」は一般職扱いと最終学歴で分ける方法や同じ大卒でも会社の判断や本人の希望で「一般職」に配属する場合など、企業によって異なる。分ける時期も入社時の場合と当事者の希望や勤務成績などからコース転換する入社後の振り分けとに分かれる。この制度は性別人事制度を敷いてきた大手企業を中心に相次いで導入され、90年8月に労働省が発表した「コース別雇用管理に関する研究報告」87年の調査対象148社のうち27%が導入、これからの導入を検討している企業も49%に及んだ 。1)「コース別人事管理制度」は能力と意欲がある女性に男性と同じような昇進・昇格の機会を開くものとして大きく宣伝された。しかし、女性は圧倒的に中小企業で働く割合が高いことを考えると、コース別人事管理制度は大企業特有の日本的経営システムの対応であり、第一章の雇用形態の多様化・パートタイマー労働者のところでも触れたが、コース別雇用管理も間接差別に当ると考えられる。
均等法施行後の定着状況を調査した結果によれば、コース別雇用管理制度を導入している企業における雇用管理のコース別の募集状況について、1995年(平成7)では、「企画的業務に従事し、全国的規模の転勤のあるコース」については女性のみを募集した企業はないが、逆に「定型的業務に従事し、転居を伴う転勤のないコース」については、女性のみを募集した企業の割合は63.3%と高い。この結果を1992年(平成4)の調査結果と比較すると「定型的業務に従事し、転居を伴う転勤のないコース」については女性のみを募集した企業が17.5ポイント増加しているのに対し、これ以外のコースについては男女とも募集した企業も増加している。
施行開始から6年の時点で補助的業務については女性のみを募集する、基幹的または専門的業務については男女とも募集するという企業が多くなっていた(表3-5)。コース別雇用管理の名の下に、大多数の女性は賃金が低く昇進もない一般職のコースに振り分けられていったのである。その結果、男女の賃金格差はいっそう拡大し、固定化されるケースが増えてしまった。「性」を直接の基準にしていなくても、一方の性が圧倒的に不利になるように扱われればそれは間接差別である。コース別雇用管理が間接差別に当るかどうかは、1999年4月に施行された改正均等法の指針でも、雇用管理区分ごとに判断されるとされてしまった。
コース別雇用管理が、女性差別の意図で導入されたことが証明されれば直接差別だといえるが、証明されない場合は、間接差別に当るかどうか検討することになる。例えば総合職になるためには、「いつでも転勤が可能で長時間労働や深夜業もできる」という「生活態度としての能力」が必要となれば家庭責任を負う女性の多くは総合職になることは困難だということになる。男性の長時間労働という根本的問題の改善なしにコース別雇用管理は導入されたので、総合職に採用された女性は家庭責任との両立が困難な働き方を要求されることになり、退職する女性が続出した。
この制度への不満は、総合職に選ばれなかった女性たちからよりもむしろ総合職たちから巻き起こったのである。高学歴の女性たちはどんどん社会に進出していったが、例えば、大手生命保険会社では総合職として採用した女性の半分以上が1.2年で退職してしまったという。また、ある有名私立大学の就職担当者は、「総合職に採用された卒業生が後輩にはやめた方がいいと勧めている」と教えてくれたとの逸話を竹信三恵子は紹介している。2) 総合職の第一期生として入社し、「男性並み」を期待していた意欲的な女性に本来の趣旨からすればプラスに働くはずの制度が当の女性たちに嫌われた。
竹信三恵子が取材した中から総合職として採用された女性の苦悩を少し紹介したい。都内の女子大を卒業後大手電機メーカーに入社したある女性。入社時、彼女の立場は「ねじれ」に満ちていたという。当初の仕事は一般職と同様、事務が中心であった。教えてくれるのは一般職の先輩女性である。ところが教えられる立場の自分の方が総合職であるというだけで給料が高い。仕事の評価がもし社員の生産性によって量られるならばその時点では当然一般職の先輩女性の方が給料が高いはずだが、仕事と賃金とは対応していなかった。どんなに努力しても意欲があっても女性社員の圧倒的多数を占める一般職は次の段階に挑戦する機会を与えられてはいなかったのである。しかも、男性並みであるはずの総合職の中にも、大口の仕事は男性に割り振られるなど男女の壁はあったのである。会社では男は男、女は女でしかない。性による差別は根強くあった。性別や「コース別」など、個人にはどうしようもない属性で評価が左右される仕組みのなかでは、たとえ総合職の看板をもらっても、「女性」であることはつきまとうのだ。ところが、性別配置から「コース別配置」に看板が変わったので、性差別を理由に会社を批判することはできないという、ゆがんだ状況がどこに批判の矛先をむけていいのかわからない戸惑いを生んでいた。ひたすら私生活をすり減らした先に何もなければ人生の収支として割が合わなさ過ぎると考えた彼女は、「結婚退職」という表面上は見事なまでに伝統的な解決パターンを選んだ。 3)大手金融機関を3年で退職した別の女性は言う。「当時の女性社員の立場といったら、明治時代の不平等条約の時の日本みたいでした」。 4)
制度そのものが女性に不利だったのである。竹信は彼女たちの姿をこうまとめている。そこに見えたのは、「女には厳しい男の世界から脱落した」総合職の姿ではない。むしろ、男女双方に納得のいく透明度の高い評価の方法を持たず、従来の手法からの脱皮もできないまま「習慣」に頼り続けようとする会社組織の無気力に対する、意欲的な女性たちの根深い軽蔑の感覚のように思えた。 5)
では、従来から事務職として勤務してきた女性にとって均等法はどう影響したのか。『クロワッサン症候群の女たち』のインタビューの中から一つ紹介したい。大手生命保険会社に勤続14年の35歳の女性はこう言っている。「均等法ができてからかえってきびしくなりました。均等法前は、男女が一緒に肩を並べて仕事をしている。そのうちだんだん差がでてくる。そういう感じでしたけど、今は最初から総合職と事務職に分かれる。総合職の人、
つまり男性たちは事務職を下に見るようになりましたね。事務職だって、結局は同じような仕事をしているのに・・・」。6) 均等法施行後は、「女性の戦力化」という掛け声の下で賃金・昇進・昇格などにおける改善なしにこのような一般職の女性にも過大な残業や責任が求められる結果となった。
ちなみに諸外国における男女雇用均等関係の法制をみると、国情により雇用環境等が異なる面があるが、アメリカ、イギリス等では法律で性による差別的取扱いを禁止している。例えばアメリカでは、1964年(昭和39)に制定された公民権法(第7編、雇用における差別禁止)に基づき、性別、人種等を理由として、①個人を雇用せず、その雇用を拒否し、解雇すること、②雇用に関する報酬、期間、条件等について差別待遇を行うこと、③個人の雇用機会を奪う、または奪う可能性のある方法で被用者または就職応募者を制限し、分離し、類別すること、あるいは被用者の地位に不利益を及ぼすことは、事業主の違法な雇用慣行として禁止されている。 7)
引用文献
1)竹信三恵子『日本株式会社の女たち』15-16頁、朝日新聞社、1994年。
2)竹信三恵子、前掲書、15-16頁。
3)竹信三恵子、前掲書、18-24頁。
4)竹信三恵子、前掲書、30頁。
5)竹信三恵子、前掲書、32頁。
6)松原惇子 『クロワッサン症候群の女たち』文庫版、文春文庫、1991年(原著は1988年)。
7)総務庁行政監察局編『女性の能力発揮を目指して-雇用の分野における女性の現状と課題』13頁、大蔵省印刷局、1997(平成9)年。
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わたしが13年間も働いてしまったクソな会社では、一般職を「担当職」としていました。古い体質から抜け出せない大会社ね。今の就労場所にはこういうあからさまな男女差別がなく、むしろ女性の方が活躍しています。こうして読み返しながら、会社で働く人に戻ることはもうできないのだとあらためて思うしだい。