赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-『アン』の妖精について
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ac3063546e49deb1c259aa61c3177149
「『アン』の舞台は、カナダのプリンスエドワード島にある小さな村、アヴォンリー(Avonlea)だ。
アヴォンリーという地名は、島にはない。実際にモデルとなったのは、キャベンディッシュという村で、アヴォンリーという地名は、モンゴメリの創作だ。英語の辞典、百科事典にも出ていない。
ここで思い当たるのは、ウィリアム・シェイクスピアの生まれ故郷、ストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)だ。これは「エイヴォン川のほとりのストラットフォード」という意味の地名で、イングランド中部のウォリックシャー州にある。ストラットフォードという地名は、比較的よくある名前で、イギリスはもちろん、今ではカナダ、アメリカのもある。そこでシェイクスピアの生地といえば、ただのストラットフォードではなく、「エイヴォン川のほとり」と特徴づけられる。
アヴォンリー(Avonlea)は、この生地のエイヴォン川(Avon)に、leaをつけた変形ではないだろうか。leaとはイタリア語的な変形とも読めるし、またleaは英語では、草原、草地をあらわす詩的な言葉だ。
もちろんモンゴメリは、エイヴォン川を知っていたはずだ。ハリファックス大学ではシェイクスピアについて学び、『アン』を書く前に全集もそろえているからだ。
アヴォンリーが、シェイクスピアの生地ストラットフォード・アポン・エイヴォンだとすると、『アン』の物語はすべて、シェイクスピアが生まれ育った有名な故郷の上で、くり広げられることになる。シェイクスピアの生地は、モンゴメリのような英文学愛好家にとっては聖地さながらの土地だ。シェイクスピア自身もまた、自分の故郷を、芝居の舞台イメージとして書いている。
シェイクスピアは、人生の歓び、怒り、悲しみ、愉しみ、そして栄華盛衰を劇的に描いた。モンゴメリは、1911年に新婚旅行で渡英したとき、シェイクスピアの生地を訪れている。モンゴメリはその生地を『アン』の舞台に定め、草原を示すleaをつけたことで、「エイヴォンの草原」を『アン』の舞台装置として創り上げ、シェイクスピアさながらの物語性に満ちた作品を書こうとしたのだ。大作家にちなんだ名付けからは、モンゴメリの作家としての志が感じられる。ちなみに、エイヴォンとは、もともとは古いケルト語で、川という意味である。
アン・シャーリー最後の巻『炉辺荘のアン』の末尾にも、生地はとりあげられている。この巻末では、アンは近いうちにイギリスに旅立とうとしている。そこで、「シェイクスピアが眠るエイヴォン川のほとりの教会」へ生き、そこにふりそぞぐ月の光を見るであろう、という一節がある。つまりアン本人がエイヴォン川ほとりの生地へ行くのだ。
ストラットフォード・アポン・エイヴォンへは、私も1994年に行ってみた。街の中央をエイヴォン川がゆったり流れ、ほとりには、彼が埋葬されている聖トリニティ教会がある。近くに彼の正家跡、晩年をすごした家が残されている。そしてエイヴォン川に面したロイヤル・シェイクスピア・シアターという劇場で、喜劇『十二夜』を観た。少し郊外へ出て、シェイクスピアの妻アン・ハサウェイの実家へも行ってみた。立派な豪農の屋敷だった。 」
(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、62-64頁より)