『アンナ・カレーニナ(中)』-第五篇-8より
「リョーヴィンが結婚してから、三月めになった。彼は幸福だったが、それは期待していたようなものとは、まるっきり違っていた。彼はことごとに以前の空想の幻滅と、新しい思いがけない魅惑を感じていた。彼は幸福だったが、いざ結婚してみると、自分が想像していたものとはまったく違うということを、ことごとに思い知らされた。彼がことごとに味わった感じというのは、湖上をなめらかにすべる小舟の、幸福そうな動きに見とれていた人が、そのあとで実際にその小舟に乗ったときの感じと同じようなものであった。つまり、それはからだを動かさずに、じっと平均を保っているだけではだめで、どの方向へ行かねばならぬとか、足の下には水があり、その上を漕いで行かねばならぬとか、慣れぬ腕にはそれがつらいことだとか、ただ見た目には楽しそうだが、いざ自分でやってみると、とても楽しいものの、なかなかむずかしい仕事だとかいうことを、片時も忘れずに、ずっと気を配っていなければならないと悟ったからである。
彼も独身だったころには、よく他人の結婚生活をながめながら、そのくだらない心配やら、いさかいやら、嫉妬やらを見ると、内心そっとさげすみの笑いを浮べ、自分の未来の結婚生活には、そうしたことはいっさいありえないばかりか、その外面的な形式までが、あらゆる点において、他人の生活とはまったく違っていなければならないと確信していた。ところが、いざとなると、その期待に反して、彼と妻との生活は特別な形式をとらなかったばかりか、かえって以前あれほど軽蔑していた、取るに足らない、くだらないことで成り立ってしまったのである。しかも、そのくだらないことが、今では彼の意思に反して争いがたい、なみなみならぬ意義をもっているのであった。リョーヴィンは自分が結婚生活について、きわめて正しい観念をもっているように思いこんでいたにもかかわらず、やはりあらゆる男性と同様、結婚生活を、いつのまにか、なにものからも妨害されない、またくだらない心づかいにわざわいされない、単なる愛の享楽と考えるようになっていた。彼の見解によれば、自分は仕事にいそしんで、その休息を愛の幸福の中に求めればよかったのである。妻は愛せられるものとして、それ以上のものであってはならなかった。ところが、彼はあらゆる男性と同様、妻も働かなければならないということを、忘れていたのである。そのため、リョーヴィンは、この詩的で美しいキチイが、結婚生活の最初の週から、いや、それどころか最初の日から、テーブル・クロスや、家具や、来客用のふとんや、お盆や、料理人や、食事その他のことを考えたり、覚えたり、心配したりすることができたのには、すくなからずびっくりした。まだ婚約時代にもキチイが自分にはほかになにか大事なことがあるからと、外国旅行を断って。田舎行きを決定したときの決断ぶりに、また恋以外の別のことを考えることもできたその余裕のある態度に、驚いたものである。そのときも、彼はそのことに腹立たしさを覚えたが、今も彼はキチイがこまごましたくだらぬことに心を労しているのを見て、腹立たしくなった。しかい、彼はキチイにとって、それがやむをえないことを悟った。したがって、彼はキチイを愛していたので、それがなぜかはわからず、またそうした心づかいを冷笑していたにもかかわらず、やはり、それに見とれないわけにはいかなかった。彼はキチイがモスクワから持ってきた家具を並べたり、自分と夫との部屋を新しく模様がえしたり、カーテンをかけたり、来客やドリイのために、あらかじめ部屋の割当てをしたり、自分の新しい小間使に部屋を整えてやったり、年寄りの料理人に食事をいいつけたり、食料の買いこみにアガーフィヤを除け者にして、老婆といい争ったりしているのを見た。彼はまた、年寄りの料理人がキチイに見とれながら、そのいかにも不慣れなとてもできない命令を聞いて苦笑しているのも、またアガーフィヤが、若奥さまの食料貯蔵に関する新しいやり口に驚いて、考えぶかそうに、優しく首を振っているのも見た。さらにキチイが、泣き笑いしながら、小間使のマーシャが前からの習慣で、自分をお嬢さんと呼ぶので、だれも自分のいうことをきいてくらないといって、彼のところへに泣きついて来たときには、彼女がいつにもましてかわいらしいことを見てとった。彼にはこうしたことがかわいらしく、それと同時に、奇妙なことにも思われた。彼はいっそこうしたことはないほうがいいのにと考えた。
彼は、キチイが結婚してから境遇の変化によって経験した感情を、知らなかったのである。キチイは実家にいたころには、ときにクワスを添えたキャベツやお菓子をほしいと思うことがあっても、そういうものをあれもこれも自由に手に入れることはできなかった。ところが、今はなんでも好きなものを注文することができるし、お金も好きなだけ使うことができ、ケーキなども山ほど、なんでも好きなのを注文することができたのである。
キチイは今、ドリイが子供たちを引き連れてやって来るときのことを、楽しい気持で待ちわびていた。それがとくにうれしかったのは、子供たちにめいめい好きなケーキをつくってやろう、それに、ドリイは、きっと、自分の新しい世帯ぶりをほめてくれるだろう、と思ったからであった。キチイは自分でもそれがどういうわけか、またなんのためか知らなかったが、家政という仕事に、否応なくひかれていった。彼女は本能的に、春が近づくのを感じなかった、それと同時に、不幸や災厄の日があることも知っていたので、分相応に、巣ごしらえに努め、巣ごしらえをすると同時に、そのこしらえ方をも覚えようと、一生懸命であった。
このようなキチイのこまごました心づかいは、リョーヴィンがはじめいだいていた崇高な幸福に理想に反していたので、彼の味わった幻滅の一つとなった。もっとも、このかれんな心づかいは、その意義こそ彼に理解できなかったが、彼には愛さないではいられない新しい魅力の一つとなった。
もう一つの幻滅と魅力は、いさかいであった。リョーヴィンには、自分と妻とのあいだに優しい愛と尊敬以外の別の関係がありうるとは、とても想像することができなかった。ところが、結婚早々から、ふたりはけんかをはじめて、キチイは彼に向って、あなたはあたしを愛しているのではなくて、ただご自分をかわいがっているだけだといって、泣きくずれ、両手を振りまわす始末であった。
このふたりの最初のいさかいは、リョーヴィンが新しい農園を見にでかけ、近道をしようとして道に迷い、半時間ばかり遅れて帰って来たのが原因だった。彼はただキチイのことや、彼女の愛のことや、自分の幸福のことばかり考えながら、わが家へ急いでいたので、家へ近づくにつれて、彼の心の中にはキチイに対する優しい気持が、ますます激しくもえたっていた。彼はかつて結婚の申し込みをしに、シチェルバツキー家へ出かけたときのような、いや、それよりもっと激しい愛情をいだきながら、部屋の中へ駆けこんで行った。すると、いきなり、彼を迎えたのは、今までついぞ見たこともないほど暗い妻の表情であった。彼は接吻しようとしたが、キチイは彼をつきのけた。
「どうしたんだい?」
「あなたはご気分がよろしくて結構ですこと
・・・」キチイは毒を含んだ落ち着きはらった態度を装いながら、いった。
しかし、キチイがいったん口を開くと、無意味な嫉妬と、彼女が窓に腰かけて身じろぎもせずに過した半時間のあいだ、その胸を苦しめていたとありとあらゆるものが、激しい非難の言葉となって、とびだしてきた。そのときになってはじめて、彼は式のあとでキチイを教会から連れだしとときに、どうしても理解できなかったことを、ようやくはっきりと悟ったのであった。彼は、キチイが自分にとって身近な存在であるばかりでなく、今ではもう
どこまでが彼女で、どこまでが自分なおかわからないということを理解したのであった。彼はこのことを、その瞬間に経験した苦しい自己分裂の感情から理解したのであった。はじめは彼も少しむっとなったが、すぐその瞬間、自分は妻に腹を立てることはできない、彼女は自分自身にほかならないのだからと、感じたのであった。彼が最初の瞬間に味わった気持というのは、いきなり、うしろから強打された人が、かっとなり、仕返しのために相手を見つけようと思って、うしろを振り向いてみたところ、それはなにかのはずみに自分で自分を撃ったので、だれに腹を立てるわけにもいかず、その痛みをじっとこらえて、しずめなければならない、と悟ったときに、味わうような妙な気持であった。
その後はもう彼もそれほど強くそうした感じを味わわなかったが、はじめてのときは、長いことわれに返ることができなかった、彼は自然な気持として、自分を弁護して、彼女にその非を悟らせようとした。ところが、彼女に非を悟らせることは、ますます官女をいらだたせて、すべての不幸の原因となったその決裂を、いよいよ大きくするばかりであった。彼はその罪を自分から取りのけて、彼女のほうへ移そうと、つい今までどおりの習慣で考えたが、いったん生じた決裂を大きくさせないで、早いところ、いや、一刻でも早く、それをしずめなければならぬという気持に激しくおそわれた。そうした不当の非難に甘んずることは、苦しいことであったが、自己弁護をして彼女に痛みを与えることは、それよりもさらに悪いことであった。夢うつつのうちに、痛み苦しんでいる人のように、彼はその痛みの個所をひきちぎって、投げ捨ててしまいたいと思った。が、われに返ってみると、その痛みの個所は彼自身であることを感じた。もう今はただできるだけ辛抱して、その痛みを楽にすることよりしかたがなかった。そこで、彼はそうするように努めた。
ふたりは仲直りした。キチイは自分の罪を悟ったが、それを口に出してはいわず、ただ前よりも、彼にいっそう優しくなった。こうしてふたりは旧に倍した新しい愛の幸福を味わった。しかも、こうした事態は、このような衝突が繰り返されるのを、防ぐ助けにはならなかった。いや、それどころか、まったく思いがけない、些細な原因で起ることが、よくあった。このような衝突は、お互いにとってなにが大事なのかを、ふたりが知らないためでもあったし、またはじめのころふたりともふきげんでいることが多かったかれでもあった。一方が上きげんで、他方が不きげんという場合には、平和は破られなかった。ところが、ふたりそろって不きげんのときには、まったく納得がいかぬような、つまらない原因からでも衝突がはじまるので、あとになってなんでいい争ったのか、まったく思いだせないほどであった。もちろん、ふたりながら上きげんのときには、生活の喜びはいつもの何倍にもなった。しかし、なんといっても、この結婚したてのころは、ふたりにとって苦しんでいる時期であった。
最初のころはずっと、ふたりが互いに結び合されている一本の鎖を、両方からひっぱっているような緊張が、とくにはっきりと感じられた。世間一般の話によって、リョーヴィンがあれほど多くのものを期待していた蜜月、つまり結婚後の一か月は、生涯におけるもっとも重苦しい屈辱の時期として、お互いの記憶に残ったほどであった。ふたりはともに、その後の生活にはいってから、この不健全な時期の、醜く恥ずかしい数々の出来事、記憶の中からかき消そうと努めた。それほどこの時期のふたりは正常な気分でいることがまれで、ふたりながら自分を失っていたのであった。
ようやく結婚生活三月めになって、ふたりがひと月ばかりモスクワへ行ってきてから、ふたりの生活は前より順調になった。」
(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、446-452頁より)