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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

外国人に手厚く、日本人に冷たい日本、外資による乗っ取りはすでにかなり進んでいる?

2024年11月13日 14時42分41秒 | 気になるニュースあれこれ

「日本政府の「国費外国人留学生」に選ばれ、「留学の在留資格」を取ると、 ・往復の航空券

・外国人留学生学習奨励費として学部レベルで月額11万7000円、大学院レベルで同14万3000~14万5000円

・大学の学費 まで日本(文部科学省)が負担する。」

2024年11月13日JBpress

留学生の中国人比率60%超の衝撃、いつの間になぜここまで偏ったのか 国防動員法と国家情報法で義務を背負う留学生はトロイの木馬の可能性も(1/6) | JBpress (ジェイビープレス)

 

 記事によれば2008年の福田首相が中国人留学生30万人という目標を掲げたそうです。日本人は奨学金という名前の借金を何百万も背負い、卒業後何年もかけて返済しなければなりません。大学ばかりでなく、高校も片親、特に母子家庭で資金力がない場合利子はつきませんが借金を背負わなければなりません。十代の子どもに百万単位の負債を負わせて外国人にはこんなに手厚いってどこの国の政府でしょうか。

 月曜日に3年ぶりでバスを降りて立ち寄ってみた観光スポットが外国人だらけで震えがきました。中国人がコンビニの前でたむろしていたり、スーパーへ買い物に出るだけも外国人を見かけない日はなく、中国人ばかりでなく東南アジア?中東?中近東?からきていると思われる人々が歩いています。団地内に続々と増えてきているようです。

静岡県の熱海市長選挙に中国人生れが出馬予定だそうです。熱海の土砂災害の被災者のようですが、災害の原因は、絶対ニュースで言いませんが山の斜面に敷かれていた中国製太陽光パネルだと言われています。帰化しているとしても、よほど日本に愛国心のある人でないかぎり外国人を自治体の首長に据えるなどあってはならないでしょう。外資によって日本の土地が買われまくり、安藤裕チャンネルによれば自衛隊の駐屯地の回りの土地もどんどん外資がはいってきているとのこと。国防ダダもれ。すでにかなり侵略は進んできていて、気づいた時には手遅れではないでしょうか。福田政権で始まった売国政策は岸田政権によってすでにほぼ完成していると言えるのかもしれません。法的になんらかの手を打たないと危ないですが左翼の売国議員ばかり。危機を訴えているのは参政党だけです。

 

Xユーザーの西澤 nishizawaさん: 「熱海市長選に、1993年中国生まれが立候補! 熱海日中友好協会会長で、影響を受けた政治家は、日本共産党の本村伸子衆議院議員。 熱海市、選挙に名を変えた侵略ですよ。大丈夫ですか。 https://t.co/vpryfxTvk5」 / X

「熱海市長選に、1993年中国生まれが立候補! 熱海日中友好協会会長で、影響を受けた政治家は、日本共産党の本村伸子衆議院議員。 熱海市、選挙に名を変えた侵略ですよ。大丈夫ですか。」

Xユーザーの髙橋𝕏羚@闇を暴く人。さん: 「この在日中国人は熱海市の市長選に出馬するらしいが「高齢者の医療費無料化を目指す」とかアホな事言ってるぞ? そもそもお前、車を歩道にとめて40分放置とか交通ルールを守らないと市民からタレコミ入ってるぞ? ってか熱海市民、大丈夫? 投票しないよね? https://t.co/oZCpsQNBKe」 / X

「この在日中国人は熱海市の市長選に出馬するらしいが「高齢者の医療費無料化を目指す」とかアホな事言ってるぞ? そもそもお前、車を歩道にとめて40分放置とか交通ルールを守らないと市民からタレコミ入ってるぞ? ってか熱海市民、大丈夫? 投票しないよね?」

 

参政党マンガ#3 外国に買われる日本の土地


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-苦痛

2024年11月13日 08時20分08秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第二段階収容所生活-感動の消滅(アパシー)

「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、ほどなく毎日毎日殴られることにたいしても、なにも感じさせなくさせた。この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。なぜなら、収容所ではとにかくよく殴られたからだ。まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。

 たとえを挙げよう。わたしが働いていた建設現場で「食事時間」になった。わたしたちは列を作った。わたしのうしろの男は一列ほど列から横にはみ出して立っているらしく、それが親衛隊の監視兵には、たぶんシンメトリーの感覚にてらして気に入らなかったのだろう。そんなことは規律を重んじる立場からしてもとやかく言うほどのこともない。どうでもいいことだし、だいい足元は整地されていず、でこぼこだった。しかし、その監視兵には気に食わなかったのだ。とにかく、行列のわたしのうしろで、ましてや監視兵の心のなかでなにが起こったか、さっぱり見当がつかないままに、突然わたしは頭のてっぺんから二度したたかに殴られた。それからようやく、すぐそばに監視兵の姿を認め、この男が棍棒を振るったのだと知った。

 殴られる肉体的苦痛は、わたしたちおとなの囚人だけでなく、懲罰をうけた子どもにとってすら深刻ではない。心の痛み、つまり不正や不条理の憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむのだ。だから、空振りに終わった殴打が、場合によってはいっそう苦痛だったりすることもある。たとえばあるとき、わたしは所外の線路にいた。吹雪が襲った。にもかかわらず、作業を中断することは許されなかった。体が芯まで凍えてしまわないように、わたしはせっせと線路の間を砕石で埋めた。ほんの一瞬、息をつくために手を休め、つるはしにもたれた。運の悪いことに、同じ瞬間に監視兵がこちらを振り向き、当然、わたしが「さぼっている」と思いこんだ。そして、とっくに感情が消滅していたはずのわたしが、それでもなお苦痛だったのは、なんらかの叱責や、覚悟していた棍棒ではなかった。監視兵は、このなんとか人間の姿をとどめているだけの、尾羽(おは)打ち枯らし、ぼろをまとったやつ、彼の目に映ったわたしというやつを、わざわざ罵倒する値打ちなどないとふんだ。そして、たわむれのように地面から石ころを拾いあげ、わたしに投げた。わたしは感じずにはいられなかった。こうやって動物の気をひくことがあるな、と。こうやって、家畜に「働く義務」を思い起させるのだ、罰をあたえるほどの気持ちのつながりなど「これっぽっちも」もたない家畜に、と。」

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、37-39頁より)