たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

いまできる最大限なのか・・・

2020年04月26日 21時49分31秒 | 日記
 緊急事態宣言が出される状況になるまでは4月に入ったら、日比谷の東京宝塚劇場で観劇して、その前後にぶらっと訪ねてみようとしていた就労場所の求人への応募書類の第二段の小論文をカフェで一応まとめました。パソコン可とあるのは時代にあっていてよかったです。4月の最初の水曜日に応募申込書を簡易書留で送ってから一週間ほどして電話がありました。一年間就労したところなので電話帳に登録してあり、応募したから電話があったのだと着信履歴に気がついた時すぐにわかりました。夕方の7時を過ぎていたので翌朝勇気を振り絞って折り返しの連絡。最初に電話に出た方は、私が契約終了間近となった頃に採用された方で、2-3週間しか御一緒しませんでしたが、「アルバイトでお世話になったたんぽぽです」と名乗ったら、あらたんぽぽさんとすぐにわかってくれました。「おぼえていてくださるのですか」とたずねると「もちろんおぼえてますよ」とのこと、少し涙なりました。採用担当の役職者は知らない人に替わっていました。たぶん若い。緊急事態宣言が出された直後のタイミングでしたかね、もうわからなくなってきましたが、5月1日付の採用は延期、現時点で面接に替わる選考方法を検討している、他にも応募先などあるだろうから辞退してもらっても全然かまわないことを連絡したかったとのことでした。先のことが誰にもわらなくなってきたので、決められないだろうなと思いました。その後昨日特定記録の速達で、面接に替わって小論文による選考とする旨記載された書面と課題が届きました。28日(火)必着とあります。考えている時間はありません。辞退する旨をしたためたお手紙をつけて課題を出すことにしました。お題は二つ。小論文と呼べるようなものではなく作文レベルですが一応まとめました。あわせて治療薬が開発されるまで自分が感染源となる不安をぬぐい切れないので今は辞退する、自粛要請が緩和された時またご縁があれば戻って就労したいと手紙をしたためました。これが今自分にでき得る最大限なのか、わかりません。この時給でまた家賃を払いながら暮らし続けていけけるのかと考えると、わかりません。ただ車さえあれば便利で暮らしやすいよっていう郷里は車を運転しない自分にはどうにもならないわけで、駅まで遠くバスは一時間に一本、せめて横断歩道の白線をひいてほしいと警察にいってもいっこうに通らない所からこれ以上どこかに毎日通うということは無理だと自分の中で確信したわけで、またどこか駅の近くに部屋を借りて自分を食わせるため勤めに出なければなりません。

 3月末で契約終了した所から数日前ようやく離職票が届いたのでハローワークに電話してみると、10カ月就労での契約満了では失業給付を申請する資格がないとわかり、帰ってこなければよかったとまたさめざめと涙が流れました。一年以内にまた雇用保険をかける就労をしないと無効になるとの説明でした。じゃあ4月と5月時給にして半分ぐらいのアルバイトとして同じ仕事をやってくれないかという話を断らなければよかったという気持ちになることもできず、陰湿さと品性のなさはとうにわたしの中で限界を超えていたので無理でした。失業給付受けられないなら駅まで自転車で行って高い電車賃を払ってハローワークに出向く気力わかず。なす術のない自分の無力さに脱力感と涙。今家賃を払うプレッシャーから解放されているのはわたしにとって正解なのか、不正解なのか。戻れるなら仕事はある、安いけど経験を生かせる仕事はある、でも安い、でも仕事はある、誰でもできるわけではない、これから先さらに必要とされる分野であろうにと思うともどかしくて、田舎にいることがもどかしてく涙。

 コロナとの闘いは長期戦になるであろうことがわかってきました。今までの社会の仕組みはフレキシブルに大きく動いていかざるを得ないでしょう。明日のことが誰にもわからなくなりました。これからどうなっていくのか、どう生きて行けばいいのか。自分が感染源とならないように気をつけながら、社会が動いていこうとする音をききのがさないようにする、日々断捨離をがんばりながら、今自分にできることはそれだけでしょうか。在宅で完結できる仕事ってなんでしょうね、ハローワークにきいてみると今テレワークだと言われているものは本当のテレワークではないとのこと。明日以降ネットの中をまた漂います。

 幸い明日食べるものに困るわけではない。生きてさえいれば、命さえあれば悔しさを取り戻すことはできる・・・。

 写真は2015年4月14日(火)の横浜公園。背景にみえているのは横浜スタジアム。13年間心の血を流しながら働いた大会社の弁護士との、そんなつもりは全くなかった闘いにピリオドを打ち、疲弊しきった心身で街を放浪していました。



https://twitter.com/TeimurazLezhava
「ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア臨時代理大使@TeimurazLezhava
 4月25日

一週間の疲れを背中に家に帰ると、無意識のまま永遠にやりがいの見つからない郵便ポストの整理を始めた。我が家で日本語が分かるのは私だけだからその役割は自動的に私に回ってくるのだ。
いつものように公共料金の請求書や派手なチラシに力を吸い取られる。受けて嬉しいものは玄関までくるものだ。」

「ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア臨時代理大使@TeimurazLezhava
·4月25日

そんな普段とは変わらぬ古典的な憂鬱でゴミ箱の蓋を押し込もうとしたその時、突如として目の前の景色が一気に変わるような気がした。

「うちはまだ。うちは届いたよ。」
一億ものそんな会話が脳裏に浮かび、自分の手にしているものが突如として重みを増した。」

「ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア臨時代理大使@TeimurazLezhava·
4月25日

私は家に上がるやいなや、用意された食卓にマスクを並べ、家族にそのことを報告した。
今はどんなに人と人との間で距離を空けていても、人は社会という強靭な基盤でつながっているのだと感じた。そしてその社会として一緒にたたかっているのだと。
無言でこの勇気を与えてくれた日本政府にありがとう。」

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