たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年『ルーヴル美術館展』より-「キリストの受難」

2024年04月07日 20時49分26秒 | 美術館めぐり

(公式カタログより)

フランス・フランケン(子)

(1581-1642)

《キリストの受難》

1630-1635年頃

油彩、板

64.5 × 48.5㎝

署名あり

「フランス・フランケン(子)は、同じく本展に出品されている≪花輪に囲まれた聖家族≫の作者でもある。物語的展開は、本作品と共通している。中央の彩色された場面-盗賊とともに十字架に架けられるキリスト-は、多数のグリザイユ(灰色単色画」かブルナイユ(茶色単色側)の場面-そこには受難にまつわるさまざまなエピソード、たとえば、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」やキリストの嘲弄、鞭打ち、カルヴァリオへの道行などによって取り囲まれている。これらの場面は厳密に範囲が区切られた枡目の中に表されている。

 この作品は細部の豊かさにこそ価値がある。たとえば、視覚的に強調された盗賊、イエスのチュニカを賭けてサイコロで遊ぶ兵士たち、十字架の根本で悲嘆にくれるマグダラのマリア。抽象的な議論からは遠ざかり、情緒的な領域へ鑑賞者を導くこの宗教画を支配しているのは、まさに感情である。魂を誘惑し、気持ちを納得させるこのアプローチはカトリックの対抗宗教改革によって表明された原理の適用として理解されねばならない。

 この新約主題の強調は聖書そのものと並行っして信者たちへ働きかける目的がある。フランス・フランケン(子)の≪キリストの受難≫は、図像と文章とがどのように関連するかという問題を提起する。成功したと言っていいだろうが、画家は同じ画面に多くのエピソードを配することで物語を展開する手法を探求しえいた。この配慮は、時系列に沿って配された物語へと読者を導くテクストの可能性に対応している。本作品は、この問題に立ち向かった画家の巧みな能力を見せている。

 絵画に対するテクストの優位、あるいはその逆についての問題は、信者の教育においても、魂の改宗においても、根本的に、キリスト教の最初期まで遡るものである。原始キリスト教会は異教の人々を改宗あせるために何を行なったのだろう。テクストによって説いたのか、あるいは画像によってであろうか?すでに古代を通して存在していたこの問題に対する新たな考え方を見出そうと想像力を展開することは、フランス・フランケン(子)の手になる本作品をはじめとする「黄金の世紀」の幾つかの絵画において、決して低い関心に留まるものではなかった。」

 

 

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