たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1999年月組『黒い瞳』『ル・ボレロ・ルージュ』

2024年07月14日 17時04分08秒 | 宝塚

『黒い瞳』

1998年月組『黒い瞳』

 

 なつかしいチラシをデジタルで保存していました。風花舞ちゃんの退団公演、東京公演は年をまたいで1999年。わたしが観劇したのはお正月。かすかな記憶で当日券があるか問い合わせたと思います。とうにチケットは断捨離してしまいました。1月2日11時に〇つけているのでこの日だったのでしょう。以前にも書いていますが、紫吹淳さんが怪我のため休演した公演でした。代わりにブカチョフを演じたのは新人公演でブカチョフにキャスティングされていた大空祐飛さん。今のようにネットがなかったので知ったのは劇場に入ってから。真琴つばささんを相手に壮絶な生き様、死に様を演じきっていたのが鮮烈でした。忘れられません。

 


第五章岐路に立たされる女性-④35歳は女の転機

2024年07月14日 00時53分45秒 | 卒業論文

 35歳というのは、女性にとってひとつの大きな転機である。なぜなら、そろそろ先がみえてくる時期だからだ。20代はなんとなく楽しくすごしていたが、30代に入ると自分の位置というものが否が応でも見えてくる。結婚している、していないにかかわらず、女性の転機ではないだろうか。ちょうど人生が見渡せる年齢。肉体が明らかに衰えの方向に向かっているのを実感させられる年齢である。山に例えればほぼ中間地点。すそ野の景色も見渡せる地点まできたということだろうか。一生懸命上ってきたけれど、私の山はこの程度だったのか。いや、私が目指してきた山はこんな低い禿山ではなかった。人それぞれ、
様々な思いがよぎるのは35歳である。これでよかったのだろうか。この人生で終わって後悔しないのだろうか。軌道修正するなら今のうちだ。ふと、立ち止まり、考える。35歳は自分の姿を鏡に映して再び見直す時期なのだ。[1]

 35歳をはさむ前後数年間が多くの女性にとって人生の転機となっていることに注目したゲイル・シーヒィは、アメリカの男女の「中年の危機」の過ごし方についてインタビューし、『パッセージ』という本にまとめた。 シーヒィによれば、人は誰しも人生の半ばに達した頃、自分の人生が一つの分かれ道にさしかかっている、ないし「これが最後のチャンス」だという感じにとらわれ、後半生に向けて人生を再設計する。この「パッセージ」の感覚を、女性は男性よりも一足早くだいたい35歳頃に迎えるのである。なぜ35歳かという理由としてシーヒィは、1970年代のアメリカの女性の人生に即して、六つの事実を挙げている。①平均的主婦の場合、末っ子が小学校に入学する年齢、②浮気の危機年齢が始まる時期、③平均的既婚女性が職場に戻る年齢、④離婚した女性が再婚する年齢、⑤妻がもっとも蒸発しやすい年齢、⑥生物学的な限界が目に見えてくる年齢。この六つの事実は、今の日本でもかなり共通していると考えられる。[2]

 この中で、特に⑥に注目したい。生物学的限界とは、妊娠し、出産することのできる年齢がそろそろ終わりに近づくという意味である。35歳という生物学的限界が近づく年齢は、否が応でも女性に子供を産むか産まないかの選択を迫る。仕事の都合などで、子供と共に歩む人生を選ぶべきかいなかの結論を、後に先延ばしにしてきた人たちは、結論をもうあまり先延ばしにできないことに気づく。出産のタイムリミットは迫ってくる。女性は、結婚適齢期のプレッシャーからは逃れることができても、まだ出産適齢期からは逃れられない。子育ては老後の楽しみにとっておいて65歳で出産します、というわけにはいかないのである。第二章で、日本型企業社会は、女性のみが出産・育児を担うことを生物学的に規定されたものであるかのように位置づけてきたことを記した。男性なしに妊娠はあり得ないが、妊娠・出産という身体的機能は女性のみがもち、タイムリミットがあることはたしかなのである。子供を産み育てる。それは、会社で働くのとは比べ物にならないほど満足感のある仕事に違いない、と 松原惇子は述べている。私の尊敬する世界的芸術家イサドラ・ダンカンでさえ、子供を産んだ時、自分の芸術を捨ててもいいと思ったというのだから。時代がどんなに変わろうが、出産は女性にしか味わえない至高の喜び。出産が女性にしかできない限り、女性はどこまでいっても男性と同等の社会的進出を果たすことはできない気がする、[3]と。 胎児に関しては、一般に20代を過ぎた後は、加齢と共に妊娠しても、自然流産や染色体異常胎児の出現率が高くなる一方、母体に関しても、妊娠に伴う母体合併症や分娩時の困難が多くなる。とはいえ、「高年(齢)出産」が、20代の出産に比べて非常にリスクが高いというわけではないし、また個人の人生設計はさまざまであるから、この時期に「最後のチャンス」として、出産に挑戦する女性も多い。「女に生まれたからには、一度は結婚、出産をしてみたい」[4]と考えるのだ。出産のタイムリミットは女性の心を揺り動かす。

 一方、仕事との関係では、先に記した熊沢の四つの立場のうち二番目と三番目にあたるOLは大多数が、管理職につながるような育てられ方をされていないので、不況が続き、事業の縮小や企業の合併が日常茶飯事な今日的状況の中では、「会社で生き残れないのでは」と、せっぱつまった心境になる。リストラへの不安が、日々押し寄せてくるのも35歳である。「35歳は、キャリアをすでに確立していなければいけない年齢。そのうえで、最終的な自分の居場所を考える時。転職や独立の最終決断、今の会社に居続けるなら、どうポジションを維持していくかを考えるべきときにきている。ただ、実際は、これといった実績をもたずに35歳になってしまった女性が多いのが実情」[5]である。均等法第一世代の中からは管理職に就く女性も出始めてはいるが、大多数のOLは同期の男性が管理職に昇進していくのを横目にみていなければならない。性別役割分業に基づく人事配置の結果、OLはどう働きどう身を守るかを教わらないまま放置されているのである。

 いずれにせよ、自分の人生を改めて選び直せる最後の「チャンス」が、女性にとっての35歳頃だと考えられる。後半生に向けての仕切り直しの時期なのである。「このままでいいのか」という疑問を持ち、女性の心は大いに揺れ動く。

 

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引用文献

[1] 松原惇子『いい女は頑張らない』38-39頁、PHP文庫、1992年。

[2] 井上輝子『女性学への招待[新版]』172-175頁、ゆうひかく選書、1997年。

[3] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』213頁、文芸春秋、1998年。

[4] 『Yomiuri Weekly 2003年10月12日号』13頁、読売新聞社。

[5] 『コスモポリタン』2003年2月号、集英社。