「2013年4月5日(金)
忙しく働いてかなりの疲労がきている。
1985年6月19日、本を出版した前後の日記を捨てた。思い出すことができない場面ある。妹や母のことがでてくると辛い。もう忘れよう。
よくそんなエネルギーがあったもんだと思うが、一途な日々だったが、全ては過去だ。もう忘れよう。捨て去っていこう。新たに生き直していきたい。」
「2013年4月21日(日)
冬に逆戻りしたような寒さの終末。1992年5月、イギリスへの旅の日記を捨てた。ヅカのパンフも捨て始めている。『JFK&バロック千一夜』『国境のない地図』『忠臣蔵』『雪之丞変化&サジタリウス』もだったかな。20年近くたった今も出演した人達はそれぞれにたくましく生きている。私もいつまでも止まってはいられえない。前に進んでいくために捨てる。
原発事故の後、もし限られた荷物しか持てず逃げなければならないとしたら何をもっていくのか考えた。このまま全てを抱えて生きていくことはできない。だからっ捨てる。父と母の遺品を処分しながら考える。要らないんだなって。だから捨てる。軽やかになりたい。アケさんやりーりからの手紙も捨てていく。少しずつ。封印していたMちゃんからの手紙や葉書とも出会ってしまう。自分を責めるだけなので読み返すことはできない。いずれYくんと燃やそうと思う。いつかどこかでお別れしなければならない。人との出会いも、物との出会いも必ず終わりはくる。
「フタバから遠く離れて」を来往舎で途中からだったがみる。電気を使っていた関東の人間が何事もなかったかのように暮らしていて、電気を使っていなかった人達が避難している。なんとも違和感がある。貧しい海沿いの地域に原発をつくってリスクを背負わせて都会の人間があっちもこっちも電気をつけて暮らす。そういう仕組みになっていたことを愚かながら知らなかった。そんな豊かさは要らない。自分たちの手で制御できなくなるものを造ってはいけない。自分は何をすべきだろう。何ができるだろう。考え続ける。
もう少し落ち着いたらブログを始めようと思う。」
「2013年4月27日(土)
毎日どっちゃり働いているので疲れが出て辛い。それでも断捨離をやめることはできない。すごい数の日記、パンフ、勉強の資料。1986年頃の日記と写真。もう忘れたい。若かった私、愚かだった私にサヨウナラ。
高校時代の日記は今週捨てた。『二十歳の原点』に出会ってしまったのがよかったのかどうか、今となってはよくわからない。ただ私の気負いは助長されてしまったかもしれない。
妹と同じ部屋になった時のこと、母とケンカしたこと、父のがなっているのがよくわからなかったこと、妹の荷物が多くて帰りもおそくなって父が駅に迎えに行ったもののなぜか入れ違いになって3人で声を張り上げていたこと、きかん気だった妹を思い出す。信州に旅行に行って母は車酔いがひどくってほとんど食事ができなかったこと、母は病気になってからその時のことも持ちだして父に向って攻撃した、激しく。色々な場面がその後につながってしまって辛い。なぜなのか、なぜなのか。家は和やかだと高校生の私は書いている。私のなぜ?に対する答えはどこにもなく、いつまでも空をさまよう。求めてはいけない。
三人がこの世からいなくなって全ては終わった。私自身の幸せを考えよう。解放されたんだ、家から・・・。
もう少しすっきりしてきたら、ブログと哲学の勉強を始めたいと思う。
仕事は辛い。疲れたね・・・。」