たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

レプリコンは感染性をもつのか?

2024年07月22日 16時41分35秒 | 気になるニュースあれこれ

日本は情報鎖国、日本だけ7回目を接種、レプリコンワクチン承認

藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できない(@JINKOUZOUKA_jp)さん / X (twitter.com)

「先ほど公開 先日、井上正康先生と村上康文先生の雑談を撮影させていただきました。

視聴者を意識せずに話していますので、専門用語などが飛び交い難解かと思います。

あと、絶望的な気持ちになると思います。

くれぐれもご注意ください。」

【雑談を撮影】井上正康(大阪市立大学名誉教授)×村上康文(東京理科大学名誉教授) (nicochannel.jp)

 

 ウィルス学者の宮沢孝幸先生は村上東京理科大学名誉教授がばらまいているレプリコンワクチンの個体間伝播説、日本人殲滅作戦に対して非科学的だと忠告を発信しています。パンデミック条約反対、レプリコンワクチン反対を煽動している団体は怪しいと思う、いずれ厚労省にデマとして一網打尽にされるのではないかと懸念しているとも。

 

2024年5月5日宮沢孝幸先生チャンネル、

レプリコンは感染性をもつのか? (youtube.com)

3:22 までマイク不備でほぼ無音です。

 6:00 エクソソームとリプリコン」

 

 アメリカン在住のKさんという日本人の方のツィッタースペースも参考になります。彼によればアメリカでワクチン反対を唱えてきた人の多くはまがいもので本国では相手にされず日本に入り込んできているとのこと。Kさんのツィッタースペースに繰り返しでてくるドテラ、なんのことかと思ったらかつてネズミ講と呼ばれていたマルチ商法ビジネスを指しているとのこと。デモを煽動しているWCHJ、国民をワクチンから守る連合、寄付金募ったり物販へと誘導したりし始めているので宮沢先生が言うように怪しい匂いがします。鵜吞みにするのは危険でしょう。

Xユーザーの🗣🇯🇵 K - Kazumi Tanikawa 🇺🇸🗣さん: 「https://t.co/RLoNifhSwn」 / X

 

 マルチ商法ビジネス、かつてのネズミ講、新興宗教のようにまことしやかに人の心の隙間に入り込んで気がついた時には抜けることができなくなっています。若者を狙ったオウム真理教と同様。わたしの妹はお洋服を買いにいったパルコ(今はありません)で店員さんだった高校時代の同級生に勧められてネズミ講に入り込んでしまい、父と母が知らされた時には手遅れでした。結果的に母は自分の子育ては間違っていたと絶望して統合失調症を発症、妹は30年前ですが家で首つって死んでしまいました。マルチ商法ビジネスに絡み取られた末路は悲惨なので一見ものすごくおいしそうにみえるものは距離をおいてみることが大切だとあらためて自分を戒めています。村上教授の言説を信じ込んで抜けられなくなっている?国会議員、ジャーナリスト、ユーチューバーらの動画を視聴するのにずいぶん時間を費やしてきましたが言っていることをどこまで信じていいかわからないので残念ですが視聴するのはもう辞めました。ワクチン反対の中でも宮沢先生の動画にあるように、この人もあの人も個体間伝播説に取り込まれてしまっているのかと幻滅。研究者としての経験からわからないことはわからないと言明でき宮沢先生が本物なのかもしれません。警鐘を鳴らす声に耳を傾けることは大事ですがあれかえる切り取り動画にはかなりキッチュ(まがいもの)も混じっているもよう、どれが本物なのかを見分けることはできないのでほどほどにして最近は美術館、博物館、公園、絵画Botなどのツィートをフォロー。


三好春樹『関係障害論』より‐介護状況が作ったものは介護で治す

2024年07月22日 02時07分18秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐人間の目が光る?

「そうすると、理論的な背景はこれで説明がつくとして、「仮性失認」というのは心理的に起こったことですから、環境を変えれば、つまり介護の仕方を変えれば変わっていくはずです。尿意を訴えたら怒られた、だから尿意を忘れようとした、ということです。おしっこが出て気持ち悪いという感覚を訴えた、そうしたらナースコールが切られて、手足を縛られた、だから感覚をなくしたというわけです。つまり、この逆をすればいいということになります。教えてくれたら誉めてあげて、気持ちがよくなるような体験をしてもらえればいいのです。

 私のいた施設で、オムツ外しという運動が始まったのは、もうだいぶ前の話です。寮母長を先頭に、オムツ外しということをやりました。このときに、全く尿意がないとおもっている人にもちゃんと関わろうということで、どんなに呆けていても、10何年オムツをしている人にも全員をオムツ外しの対象にしていこうということでやりました。

 まず、オムツを交換するときに、必ず声をかけていきます。「いまおしっこは出ていますか、出ていませんか」と、必ず聞きます。自分のことなのに答えないですね。当時は、排尿の感覚を調べるためにと、30分おきにオムツを見に行くということから始めましたから、これは大変でした。(略)当時は”小”から入りましたから、30分おきにオムツを開けて中に手を突っ込んで、濡れているかどうかチェックをするのです。そうしたら、老人がみんな下痢になりました。冷えたのだろうという説と、30分おきに「おしっこは?」とオムツを開けられるものですから、神経質になったのではないかという説とがありました。

 最初は、「ようわからん」といいます。そのうちに、「じっくり考えてごらん。自分の身体でしょう」と言うと、「ようわからんが濡れているような気がする」なんて言います。そこで開けてみると濡れていて「ああ、よかったね」と誉めて丸をつけていくということをやります。そうすると、最初は当たる確率が50パーセントですね。濡れているかいないかのどちらかですから、適当に言っているということになります。それがだんだんわかるようになるのです。「いまはどう?」と聞くと、「いや、濡れていない」と言います。「そう、念のために見てみるね」と聞いてみると、濡れていない。「ああ、本当だ。濡れていなかったね、ごめんね」とやっていきます。

 それが進んで、今度は「濡れたと思ったらナースコールを鳴らしてくれない?」というと、鳴らしてくれるようになります。そのときに行くと、おそるおそる訴えることが多いですね。つまり、濡れていると言って知らせて怒られたという過去がありますから、「間違うとるかもしれんが、濡れとるような気がするんじゃが・・・」と、広島弁でそっと言います。そこで見てみると「ああ、よかったね、濡れていることがわかって。皮膚感覚が戻ってよかったね」となります。

 そこで、「じゃあ、時間になったら替えに来るからね」と帰ったらだめです。これをしてしまうと、皮膚感覚が戻ったことで、不快感と屈辱感を得るだけということになってしまいます。(略) たとえ食事介助をしていようが、その場ですぐオムツを替えなければなりません。濡れていることを訴えると誉めてくれて、自分も気持ちよくなるという体験をすると、またそうしようということになります。」

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、47-50頁より)