三好春樹『関係障害論』より‐人間の目が光る?
「そうすると、理論的な背景はこれで説明がつくとして、「仮性失認」というのは心理的に起こったことですから、環境を変えれば、つまり介護の仕方を変えれば変わっていくはずです。尿意を訴えたら怒られた、だから尿意を忘れようとした、ということです。おしっこが出て気持ち悪いという感覚を訴えた、そうしたらナースコールが切られて、手足を縛られた、だから感覚をなくしたというわけです。つまり、この逆をすればいいということになります。教えてくれたら誉めてあげて、気持ちがよくなるような体験をしてもらえればいいのです。
私のいた施設で、オムツ外しという運動が始まったのは、もうだいぶ前の話です。寮母長を先頭に、オムツ外しということをやりました。このときに、全く尿意がないとおもっている人にもちゃんと関わろうということで、どんなに呆けていても、10何年オムツをしている人にも全員をオムツ外しの対象にしていこうということでやりました。
まず、オムツを交換するときに、必ず声をかけていきます。「いまおしっこは出ていますか、出ていませんか」と、必ず聞きます。自分のことなのに答えないですね。当時は、排尿の感覚を調べるためにと、30分おきにオムツを見に行くということから始めましたから、これは大変でした。(略)当時は”小”から入りましたから、30分おきにオムツを開けて中に手を突っ込んで、濡れているかどうかチェックをするのです。そうしたら、老人がみんな下痢になりました。冷えたのだろうという説と、30分おきに「おしっこは?」とオムツを開けられるものですから、神経質になったのではないかという説とがありました。
最初は、「ようわからん」といいます。そのうちに、「じっくり考えてごらん。自分の身体でしょう」と言うと、「ようわからんが濡れているような気がする」なんて言います。そこで開けてみると濡れていて「ああ、よかったね」と誉めて丸をつけていくということをやります。そうすると、最初は当たる確率が50パーセントですね。濡れているかいないかのどちらかですから、適当に言っているということになります。それがだんだんわかるようになるのです。「いまはどう?」と聞くと、「いや、濡れていない」と言います。「そう、念のために見てみるね」と聞いてみると、濡れていない。「ああ、本当だ。濡れていなかったね、ごめんね」とやっていきます。
それが進んで、今度は「濡れたと思ったらナースコールを鳴らしてくれない?」というと、鳴らしてくれるようになります。そのときに行くと、おそるおそる訴えることが多いですね。つまり、濡れていると言って知らせて怒られたという過去がありますから、「間違うとるかもしれんが、濡れとるような気がするんじゃが・・・」と、広島弁でそっと言います。そこで見てみると「ああ、よかったね、濡れていることがわかって。皮膚感覚が戻ってよかったね」となります。
そこで、「じゃあ、時間になったら替えに来るからね」と帰ったらだめです。これをしてしまうと、皮膚感覚が戻ったことで、不快感と屈辱感を得るだけということになってしまいます。(略) たとえ食事介助をしていようが、その場ですぐオムツを替えなければなりません。濡れていることを訴えると誉めてくれて、自分も気持ちよくなるという体験をすると、またそうしようということになります。」
(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、47-50頁より)