「長い間、辻口家の娘として育てて下さった御恩に、何のおむくいすることもなく、死んでしまうということは、ほんとうに申しわけないことと思います。」
ついこの間、私は、
「殺されても生きる」
と申し上げました。自殺など、まちがってもしない人間だと、自分でも思っておりました。人間の確信など、こんなにも他愛ないものなのでしょうか。
自殺ということは、まちがっていると、今も思っております。どんな理由があるにせよ、自殺ということを、私は決してよいことだとは思っておりません。でも、悪いと知りつつ、私はやはり死ぬことにいたしました。
死の覚悟を決めてからは、心がひどく静かです。
私は、小学校四年生の時に、自分が辻口家の娘でないことを、ある人の話で知りました。しかし、そのことは、もっと以前から漠然と感じとっていたように思います。けれども、私は、実の娘でないからこそ、決してそんなことでひねくれたりはしまい、石にかじりついても、ひねくれたりはすまいという、強い気持で生きて参りました。
中学の卒業式の時、答辞が白紙になっていた時には、おかあさん(今は、こう呼ぶことをおゆるし下さい)の意地の悪さに驚きました。私は生意気にも、
「こんな意地悪い人のためには、どんなことがあっても、自分の性格をゆがませたりする愚かなことはすまい。私を困らせようとするならば困るまいぞ、苦しめようとするのなら苦しむまいぞ」
という不敵な覚悟で、少なくとも表面はかなり明るく振舞って生きて来たのでした。
しかし、私がルリ子姐さんを殺した憎むべき者の娘であると知った今は、おかあさんが、私に対してなさった意地悪も、決して恨んではおりません。ああなさったのは当然であると思います。当然というより、どんなにおつらい毎日であったことかと、心からお気の毒でなりません。
おかあさんは、少なくとも人間として持ち得る限りの愛情で、育てて下さったこととしみじみ思います。
誰が、自分の娘を殺した人間の子に、着物を着せ、食べさせ、学校にやって20年近くも同じ屋根の下で暮すことができるでしょう。おとうさん、おかあさんだからこそ、出来得たことで、他の人には、一日も真似のできないことでした。
ほんとうにこのことだけは信じて下さい。陽子は死を前にして、おとうさんおかあさんの心持を思うと涙がこぼれるのです。心から感謝しないではおられないのです。
しかし、自分の父が、幼いルリ子姉さんの命をうばったと知った時、私はぐらぐらと地の揺れ動くのを感じました。
今まで、どんなにつらい時でも、じっと耐えることができましたのは、自分は決して悪くはないのだ、自分は正しいのだ、無垢なのだという思いに支えられていたからでした。でも、殺人者の娘であると知った今、私は私のよって立つ所を失いました。
現実に、私は人を殺したことはありません。しかし法にふれる罪こそ犯しませんでしたが、考えてみますと、父が殺人を犯したということは、私にもその可能性があることなのでした。
自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われようと、意地悪くいじめられようと、胸をはって生きて行ける強い人間でした。そんなことで損なわれることのない人間でした。何故なら、それは自分のソトのことですから。
しかし、自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。どんな時でもいじけることのなかった私。陽子という名のように、この世の光の如く明るく生きようとした私は、おかあさんからごらんになると、腹の立つほどふてぶてしい人間だったことでしょう。
けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。
私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、『お前は罪人の子だ』というところにあったのです。私はもう、人の前に顔を上げることができません。どんな小さな子供の前にも、この罪ある自分であるという事実に耐えて生きて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気も致します。
私には、それができませんでした。残念に思いますけれども、私はもう生きる力がなくなりました。凍えてしまったのです。
おとうさん、おかあさん、どうかルリ子姉さんを殺した父をおゆるし下さい。
今、こう書いた瞬間、「ゆるし」という言葉にハッとするような思いでした。私は今まで、こんなに人にゆるしてほしいと思ったことはありませんでした。
けれども、今、「ゆるし」がほしいのです。おとうさまに、おかあさまに、世界のすべての人人に。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと「ゆるす」と言ってくれる権威あるものがほしいのです。
では、くれぐれもお体をお大事になさって下さい。これからは、おしあわせにお暮しになってくださいませ。できるなら私が霊になって、おとうさんおかあさんを守ってあげたいと存じます。陽子は、これからあのルリ子姉さんが、私の父に殺された川原で薬を飲みます。
昨夜の雪がやんで、寒いですけれど、静かな朝が参りました。私のような罪の中に生まれたものが死ぬには、もったいないような、きよらかな朝です。
何だか、私は今までこんなに素直に、こんなへりくだった気持になったことがないように思います。
陽子
おとうさま
おかあさま
北原さん
短い御縁でした。お礼の申しようもない程、やさしくしていただいて、陽子はどんなにうれしかったことでしょう。
でも、北原さん、陽子は死にます。
「陽子には殺人犯の血が流れている」との母の言葉が耳の中で鳴っています。この言葉は、私を雷のようにうちました。私の中に眠っていたものが、忽然と目をさましました。それは今まで、一度も思ってもみなかった、自分の罪の深さです。
一度めざめたこの思いは、猛然と私自身に打ちかかって来るのです。
「お前は罪ある者だ、お前は罪あるものだ」と、容赦なく私を責めたてるのです。
北原さん、今はもう、私が誰の娘であるかということは問題ではありません。たとえ、殺人犯の娘でないとしても、父方の親、またその親、母方の親、そのまた親とたぐっていけば、悪いことをした人が一人や二人必ずいることでしょう。
自分の中に一滴の悪も見たくなかった生意気な私は、罪ある者であるという事実に耐えて生きては行けなくなったのです。
私はいやです。自分のみにくさを少しでも認めるのがいやなのです。みにくい自分がいやなのです。けれども、既に私は自分の中に罪を見てしまいました。こんな私に、人を愛することなど、どうしでできるのでしょう。
さようなら北原さん。
おしあわせをお祈りいたします。
さようなら 陽子
北原邦雄さま
徹兄さん
今、陽子がお会いした人は、おにいさんです。
陽子が、一番誰をおしたいしているか、今やっとわかりました。
おにいさん、死んでごめんなさいね。 陽子
徹さま
P.S
辰子小母さんによろしくお伝えくださいね。小母さんには、死んだりしてなぐられそうな気がいたしまs。
おかあさんを責めないでくださいね。おかあさんのおかげで、陽子は自分の中のみにくさを知ることができたのです。
何も知らずに、安易に生きて行くよりも、今死ぬ方が陽子にはしあわせなのですから。
さようなら
三通の遺書を書き終わると、陽子はそれを机の上に置いた。家の中はしんと静まりかえっていた。陽子は黒いセーターに、黒いスラックスを着けて、オーバーを着た。今、死にに行くのにオーバーを着て暖かくしたいというのが、自分でも不思議だった。」
(三浦綾子『氷点(下)』昭和53年5月20日第1刷発行、朝日新聞社)