たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ルーヴル美術館

2017年06月09日 18時43分05秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 2007年10月26日(金)、日本人向けのルーヴル美術館の鑑賞ツアーに参加しました。

「12世紀の終わりごろ、パリはセーヌ河をはさんで南北に広がり、ヨーロッパでも有数の都市に発展していました。時の王、フィリップ二世は十字軍遠征で首都を離れるにあたり、この街を全長5キロの堅牢な市壁で囲うように命じます。しかし東西に流れるセーヌ河が中心部を貫通しているかぎり、街全体をぐるりと壁で囲いこむことはできない。そこで1190年頃、外敵の侵入にそなえ、セーヌ河の出入りを監視するための城壁が築かれました。これがルーヴルのはじまり。」

(『一日で鑑賞するルーヴル美術館』、新潮社発行より)。


 迷宮。とにかく広いし、天井が高い。出口がいくつもあるし、同じような雰囲気の部屋が続いているのでツアーが終わって一人になると、出口がわからなくなってしまいそうでおそろしかったです。ちゃんとホテルまで帰れるのかな、緊張。フランス語の「出口」と「お手洗い」の単語は、指差し単語帳で覚えていきました。出発前、ガイドブックを読んでここのカフェに行こうなんて考えていましたが、広くて広くてとても無理。とにかく自分が今どこにいるのかわからなくなってしまわないようにするだけで必死の冷や汗ものでした。

 美術を鑑賞するには、一日ひと部屋かふた部屋まで。そのペースでルーヴル美術館の全作品を鑑賞しようとすると何年もかかる、これだけの作品があると、駄作もあるというガイドさんの説明でした。何年だったかな。ちょっと忘れてしまいました。天井が高くて広いので、混みあっていても真ん中に置かれているソファに坐って絵と対話しながら鑑賞できる余裕あり。ルーヴルではじて、ゆっくり絵と向き合い対話するという経験をしました。この時以来わたし美術館を時々訪れるようになりました。
 
 鑑賞ツアーで出会ったのは、3階フランス絵画、2階絵画部、1階彫刻部のほんの一部。ドラクロワの『自由の女神』(『レ・ミゼラブル』でガブローシュのモデルとなったとされる少年が描かれています)、ラファエロの『聖母子像』、『ナポレオン一世の戴冠式』。サモトラケのニケ、ミロのヴィーナスにも出会いました。女性の日本人ガイドさんの説明する姿があつかったです。もちろん何もみることなく、全部頭にはいっているんですね、素敵でした。

 『モナ・リザの部屋』はさすがの人込みでした。(この部屋、日テレがお金だしているんですね。)モナ・リザを囲む半円形の手すりは人、人、人。その間をぬって小さいわたしは手すりを周りを端から端へと何度もゆっくりと往復しました。照明がいいんでしょうね、不思議ですが角度によってモナ・リザの表情が違うように感じられたんです。いい絵は鑑賞するその時々の心情によっても違ってみえてくるとか。なにか今もダ・ヴィンチがそこに息づいているような、ほんとにモナ・リザが微笑みかけてきてくれているような、モナ・リザと、ダ・ヴィンチと対話しているような不思議な感覚でした。なんとなく想像していたよりも小さい絵でしたが、ものすごいエネルギーを放っている感じがあって心が揺さぶられました。わたしの稚拙な言葉ではうまく言い表せませんが、感動のひとときでした。傷んできているので、もう海外に貸し出されることはないとのこと。日本からはるばる飛行機に乗ってここまでこないと出会うことができないというのも希少価値を高めますね。

 モナ・リザと対話するひとときを過ごしたあと、振り返れば『カナの婚礼』という壮大な絵が。作品ひとつひとつ突き詰めていこうとするときりがありません。やっとここまで書けました。 

チケット。



パンフレットは、フランス語・英語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・中国語・日本語の7か国語が用意されていたかな。日本語版があるのを当たり前みたいに思うのこわいなって思いました。翌年だったかもしれませんが仲間とはぐれてしまったらしき韓国人女性に声かけられました。なにもできませんでした。韓国語版のパンフレットはありません。



















買い物袋、B5サイズのノートを購入しました。





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