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木漏れ日が美しい秋の陽射しの中、一年ぶりでちひろさんに会いに行ってきました。往復は恐怖、平日の昼間でもすっごい人がいて、ほんとに都心は人が多すぎるなあとしみじみ。高田馬場駅の乗り換えのおそろしいこと、おそろしいこと。東京の一人当たりの面積はパリの四分の一だそうです(パリ観光で現地の日本人ガイドさんから聞いた話)。大きな自然災害におそわれたら大変や。帰りは見事に帰宅ラッシュ。なんとか無事に往復できてよかったです。
遠いので往復は恐怖ですが、美術館は閑静な住宅街にあり静かな佇まい。出遅れてしまったので3時間ほどでしたがちひろさんとの対話とお別れをしてきました。またきっと来ることができる、観劇の折に行こうと心に誓ってきました。今年はちひろさ生誕100年なんですね、第一次世界大戦が終わった年に誕生したちひろさん、宝塚少女歌劇がスタートしたのが第一次世界大戦がはじまった年で、今年が歌劇創刊100年。ちひろさんと歌劇は同い年ということなんですね。何気にわたしの中でむすびつきました。展示のテーマは今ひとつかなあって思いましたが、「あかちゃんのくるひ」の原画に出会うことができてよかったです。持っているのにゆっくり読むだけのゆとりがなくって、展示室でゆっくりと読みました。生まれたての男の子のあかちゃんの絵、原画では顔の周囲は紙にしわが寄せてあって、これを印刷するとなんともいえないきれいな色合いの緑があかちゃんを包んでいるのでした。原画の出会えるのは嬉しいですね、筆使いがそのままちひろさんの息使いとなってこちらに伝わってきます。絶筆となった「あかちゃん」の絵の前では涙がにじみました。1974年8月8日、55歳での旅立ちはあまりにも早すぎました。ちひろさんのアトリエと飾られていた写真をみながら、夫の両親、ちひろさんの母、夫、息子、お手伝いさんという大家族の主婦と画家の仕事を両立させた大変な生活がちひろさんの命を削ってしまったのでは、と思うとなんとも切ない気持ちにかられてしまいました。敗戦後27歳で一人画家として生きていこうと決意して疎開先の長野から一人上京し、練馬の地に居をかまえて生涯を終えるまでの28年間、ちひろさんは命を削りながら懸命に生きたのだと思うと、決して長くはない時間ですが懸命に生きた時間があったのだと思うと、この地でこの場所で絵を描かれていたのだと思うとなんだか胸がいっぱいになりました。着いたらまず陽射しがあったかなお庭を眺めながら、いつもいただく薬膳スープのランチをいただきました。歩き始めてまだ間もないと思われるちっちゃい女の子とお母さんが二組、女の子もおかあさんもお友達同士かな、遊んでいる姿に心がなごみました。お母さんたちはスマホで写真を撮りたいのに子どもたちは歩き回ってお母さんの思う所には行きません、がんばれママ、がんばれ子どもちゃんと心の中で応援。子どもスマホを持つ時代、ちひろさんはどんなふうにごらんになっているでしょうね、とふと思いました。
お写真いっぱいありますが引っ越し間近だし、部屋ではなんとも落ち着かないし、時間切れとなってきました。去年の5月と11月にちひろ美術館を訪れた時の写真も見事に整理できていません。家に帰ればWi-Fiつながっているそうなので広い部屋で少しずつ、たまっているもの整理していきます。今日はこれにて・・・。
ちっそくしそうな部屋にあと4泊、無事に生き延びられますように・・・。
駅からの道のりにはこんな看板があります。
遠いので往復は恐怖ですが、美術館は閑静な住宅街にあり静かな佇まい。出遅れてしまったので3時間ほどでしたがちひろさんとの対話とお別れをしてきました。またきっと来ることができる、観劇の折に行こうと心に誓ってきました。今年はちひろさ生誕100年なんですね、第一次世界大戦が終わった年に誕生したちひろさん、宝塚少女歌劇がスタートしたのが第一次世界大戦がはじまった年で、今年が歌劇創刊100年。ちひろさんと歌劇は同い年ということなんですね。何気にわたしの中でむすびつきました。展示のテーマは今ひとつかなあって思いましたが、「あかちゃんのくるひ」の原画に出会うことができてよかったです。持っているのにゆっくり読むだけのゆとりがなくって、展示室でゆっくりと読みました。生まれたての男の子のあかちゃんの絵、原画では顔の周囲は紙にしわが寄せてあって、これを印刷するとなんともいえないきれいな色合いの緑があかちゃんを包んでいるのでした。原画の出会えるのは嬉しいですね、筆使いがそのままちひろさんの息使いとなってこちらに伝わってきます。絶筆となった「あかちゃん」の絵の前では涙がにじみました。1974年8月8日、55歳での旅立ちはあまりにも早すぎました。ちひろさんのアトリエと飾られていた写真をみながら、夫の両親、ちひろさんの母、夫、息子、お手伝いさんという大家族の主婦と画家の仕事を両立させた大変な生活がちひろさんの命を削ってしまったのでは、と思うとなんとも切ない気持ちにかられてしまいました。敗戦後27歳で一人画家として生きていこうと決意して疎開先の長野から一人上京し、練馬の地に居をかまえて生涯を終えるまでの28年間、ちひろさんは命を削りながら懸命に生きたのだと思うと、決して長くはない時間ですが懸命に生きた時間があったのだと思うと、この地でこの場所で絵を描かれていたのだと思うとなんだか胸がいっぱいになりました。着いたらまず陽射しがあったかなお庭を眺めながら、いつもいただく薬膳スープのランチをいただきました。歩き始めてまだ間もないと思われるちっちゃい女の子とお母さんが二組、女の子もおかあさんもお友達同士かな、遊んでいる姿に心がなごみました。お母さんたちはスマホで写真を撮りたいのに子どもたちは歩き回ってお母さんの思う所には行きません、がんばれママ、がんばれ子どもちゃんと心の中で応援。子どもスマホを持つ時代、ちひろさんはどんなふうにごらんになっているでしょうね、とふと思いました。
お写真いっぱいありますが引っ越し間近だし、部屋ではなんとも落ち着かないし、時間切れとなってきました。去年の5月と11月にちひろ美術館を訪れた時の写真も見事に整理できていません。家に帰ればWi-Fiつながっているそうなので広い部屋で少しずつ、たまっているもの整理していきます。今日はこれにて・・・。
ちっそくしそうな部屋にあと4泊、無事に生き延びられますように・・・。
駅からの道のりにはこんな看板があります。
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