たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ガハハハッ!!

2017年05月22日 22時52分11秒 | 日記
 現実を忘れるべく、すっごく楽しい動画をみました。ガハハハッって大声で笑ってすっきりしたいところですが、手狭な集合住宅、ご近所に聞こえてしまうのでそんなわけにはいきません。こらえるのがつらいのでここに書きます。ガハハハッ!! ガハハハッ!!

 一人で待つのつらい。明日はどうしようか・・・。今夜は楽しい動画のことを思い出しながら眠りにつきたいと思います。三度目の更新、失礼しました。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』より_多神教の日本に生まれた『源氏物語』

2017年05月22日 19時17分39秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の
「多神教の日本に生まれた『 源氏物語』

河合、『源氏物語』は個人が書いた物語ですね。僕の考えでは、一神教では神の力があまりに強いから、人間の神が創りたもうた物語を生きるんですよ。

小川、神様が、人間が生きていくための物語を、あらかじめて書いているということですね。

河合、そうそう。人間のくせに物語をいじったりしたらいかんわけです。キリスト教なら聖書があるわけだから、それ以外の物語を作ってはいけない。

(略)


河合、いや、僕は女性だから書けたと考えています。なぜかというと、それぞれの時代にはその時代にスタンダードな物語があって、その物語は、男のためのものだったから。紫式部が『源氏物語』を書いた頃、男には出世していくという物語があった。 特に殿上人は、次の正月に自分が何の位になるかということが、最大の関心事でそれに乗って生きていた。男はみんなそうやって生きていたから、自分で作る必要がなかった。女の人でも、身分の高い人にはスタンダードな物語があった。つまり、いかにして宮中に入って、天皇の想われ者になるか、それで男の子を産んで、その子が次の天皇になったら、自分は天皇の母親になれる、そういう物語です。
 
 ところが、紫式部は身分としてそういうスタンダードには乗れない立場なわけです。だけど経済的な心配はない。財力がある、というのは大事なことです。そして平仮名がある。こういう条件の中で最初の物語ができたというのが、僕の考えなんです。あの頃は男は文章は全部漢文で書いていましたからね。

小川、漢文というと公式文書みたいなものでしょうか。

河合、男たちが書いている文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とかだいたいお決まりのことです。それは全部漢文で書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名ができてくるわけです。そういう条件が全部そろったところで、紫式部が出た。あの頃は清少納言でも菅原孝標女でも書いたのは女子ばかりです。読むのは男も喜んで読んでおったみたいですけどね。

小川、『源氏』より以前の世界では、人が死ぬということについては「誰それが死んだという漢文の記述でしか残っていない。『源氏』の中で初めて、どういうふうに死んだか、それをどういうふうに思ったかというように、人の死の場面が描かれたと先生がおっしゃっていて、なるほどと思いました。平仮名で、女性が心を描くということで、初めてそれが出来た。

河合、『源氏』は世界に誇れますね。(略)

小川、『 源氏物語』では 、光源氏の存在感は、物語が進むにつれだんだん小さくなって、光はむしろ女性の方を際立たせるためのもので、彼は狂言回し的な役になってきますね。

河合、そういう「光」をあてる役なんです。

小川、なるほど、光は自分にではなく、女性にあてるということですね。

河合、そうです。僕に言わせると、女性たちは全て紫式部の分身なんですね。その光の当て役として源氏がいる。確かに彼は光り輝いています。姿は美しく、文章を作っても上手く、絵を書いても上手い。分身たちの美点を描くには、それらが全部できる人でないとならん。あんな男が実在するはずがないわけですが、光の当て役としては素晴らしい。『源氏』には、女性がものすごくうまく書かれていますね。」


(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、77-81頁より)


生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
小川 洋子,河合 隼雄
新潮社

行ってきました

2017年05月22日 15時02分00秒 | 日記
 朝から真夏日の気配の一日、次なる居場所さがしのために午前中から動いて行ってきました。わたしの中で身内意識を少し持ちながらラフに話してしまったところがあったかもしれません。こうすればよかったという絶対的な正解はどこにもありません。一人で返事を待つ時間。ああいえばよかったのかしらと考え始めるとベクトルがマイナス方向にしか向いていかずつらいもんです。相談窓口の方によるとみんなこんなもんなんだそうです。まな板の上の鯉状態、あとは相手にゆだねられているのだから考えても仕方ない、もう考えない、忘れる、ほかにもトライしてみた方がいい、ということで他にもトライするところの情報をいただいてきました。明日と明後日の午後はまた郵送するための書類を作成します。考えたくなくても考えちゃいますけどね、ブログも何度か更新するかもしれません。四か月の経験が生きてご縁があるなら幸い、ないならないでまた次のことを考えればいいと言い聞かせます。自分まだまだ13年間とそのあとの争いに引きずられているところがあるんだなと気づかされます。過剰防衛に走っているところがあるようです。仕方ないです。言えませんけど、それも含めてわたし。次の居場所と出会って働くことで会社のことは自ずと忘れ去っていくことができます。完全に忘れてしまうと自分の過去を否定しているみたいでそれはそれでつらいですが、忘れていっていいんだなと思います。今日はもう考えるのやめましょう。夜になると不安がおそってきてついついあれもこれもと気になってしまいます。部屋に帰りたいけど、帰りたくないジレンマ。おひさまが高いうちは帰れません。働いているときにはわからなかったことがわかってしまうの、いやですね。

 今日まだ更新するかもしれませんが、書かずにはいられなくて徒然のつぶやきでした。

「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_復元された建物(2)

2017年05月21日 22時59分09秒 | 「大草原の小さな家」への旅
ようやくまたアップ。
復元されたおばあさんの家に展示されていた当時の生活用品。


今のように電化製品はなかったので、ミルクの搾って攪拌するのも、洗濯をするのも、全てが手作り、手作業でしたね。

















明日はまた・・・

2017年05月21日 20時20分10秒 | 日記
 晴れ渡った日曜日、日中は洗濯と掃除をすると部屋に引きこもってしまいました。断捨離は部屋でしかできないのが苦しいところ。部屋にいたいけどいたくない、帰りたいけど帰りたくないジレンマ。3時を回ってから、ようやく息抜きと遅いお昼を食べるために部屋を出ました。生活の音が聞こえてしまうのいやですね。なんだか部屋にいるのも緊張。明日はまた次なる居場所に出会っていくために出かけます。朝ぼちぼち起きたらすぐに支度してカフェでちょっとしっかりお腹を満たしながら、頭の中を整理すればいいかな。たぶんそんなに緊張する必要はないです。必要としていただけるのであれば、また有給休暇もなく一から始まるのか、って思うと溜息でますが、日中の居場所がないのはすごくつらいし、どこでどんな出会いがあるかもしれないので、つながっていきたいです、経験を積んでいきたいです。精神保健福祉士をもっていることは間接的にでもたぶん生きていくから、なんとかつながっていっておさまるべきところにおさまっていきたいです。

 全く実現できるとは思っていませんが、来年12月プリンス・エドワード島ツアーへの仮申し込みをしました。ローラツアーで添乗してくださった方が正式に募集開始となったら一番にわたしの名前をいれてくださるそうです。それだけの収入の目途は今のところ全く立たないし、
まだまだあれやこれやとぐちゃぐちゃ状態で整理できていませんが、目標を立てました。
実現できてもできなくても、こうしてまた具体的にプリンス・エドワード島に行こうという目標を立てることができるようになったことが今のわたしには大切。こうしてブログにも書いてしまいました。見守っていてください。当面のささやかな目標は8月の東京宝塚劇場花組公演。一枚はチケット手に入れました。それを楽しみに蒸し暑い夏を生き延びていけるかな。6月は蘭ちゃんとたーたん出演の『CLUB SEVEN』、7月は久しぶりにレミゼ。今度の土曜日はまた『グレート・ギャツビー』、いずれも働いていた時に予約しました。生の舞台は一期一会、替えがたい出会いです。

 「I belong to me.
わたしの命、ゆだねる、それはわたしだけに・・・」


 結局、観劇日記も旅日記も本のあれこれも書けませんでした。明日以降少しでも書けるといいな。明日はどうか無事な一日でありますように・・・。


 カフェにいるといわゆる「いい大学」の学生たちが、いわゆる「いい会社」に入るべく就活とやらの話をしきりとしていますが、それって仕事さがしとは違うでしょ、会社さがしでしょ。大きな会社ならどこでもいいですか? 大きな会社=「いい会社」じゃないよ。(〇レっていう大会社の会長は経〇連の会長じゃなかったですかね、労働者の敵ですよ、数字のためなら労働者の使い捨ての合法化を推奨するんですよ、いい会社かね・・・)。彼らの姿がなんだかすごく哀れにみえます。こんなことをやらせる日本株式会社がまちがっとるよ、と大きな会社の正体がわかったわたしは嘲笑せざるを得ません。会社で働きたかったら働けば・・・。数字、数字の会社のためにすり減るだけすり減ったわたしが会社で働くことは二度とありません。余談でした。


思い出整理中_2015年『エリザベート』

2017年05月20日 23時19分19秒 | ミュージカル・舞台・映画
2015年6月-8月帝国劇場ミュージカル『エリザベート』


 今日も部屋にいたいけどいたくない一日、土曜日なので気持ちはいくぶん楽ですけどね、ご近所が気味悪いし、平日はどこにどんな格好でいればいいのかわからなくってつらいなり。昨夜はわりと遅い時間にツィッターをチェックすると東宝さんの公演情報がいっきに解禁されていて悲喜こもごも。4月30日に宝塚を退団されたばかりの実咲凛音さん、燃え尽き症候群になったりしないのかしらと心配していたら、『屋根の上のヴァイオリン弾き』で12月に女優デビュー、古川雄大さん来年『モーツアルト』でヴォルフガング、ついにそうくるかという感じでとっても楽しみですが、『1789』で古川さんロベスピエールと再会できないのは残念。コンスタンツェのキャスティングがうーんという感じでしっくりこずなぜロミジュリキャストが・・・、と個人的には思ってしまいます。そのほかは充実のキャストで山崎さん、古川さんダブルキャストの『モーツアルト』なんて楽しみすぎます。どんどん情報がくるのでついていけませんけどね。

 わたしはまだまだ思い出整理中。2015年『エリザベート』の写真をようやく少しずつチャンネルに追加しています。たいしたことありませんが、よかったらご覧ください。観劇日記も旅日記もなかなか、まだまだ、いろいろとあふれかえり中。引き続き、少しずつ整理していきたいと思っています。ミュージカルと旅、どちらも大切な心の引き出しにしまいこまれた思い出たい、大切な心の栄養補給源。昨日は閲覧数がはじめて1,000を超えてびっくりでした。連日ぐちとつぶやきの連続なのに訪問ありがとうございます。ひとりでいると気持ちが引きこもってくる毎日、月曜日は次なる居場所に出会うために出かけます。二年前帝劇に通っていた頃にはずたずたにすり減った心身をひきずりながら『エリザベート』を観劇していました。また仕事する自分の姿を全く想像することができませんでした。とにもかくにもここまで立ち直ってくることができただけほんとによかったと今日も一人で涙があふれそうになっていたのでした。明日は明日でまたなにか書ければと・・・。

『就職・就社の構造』より_各業界有力三十四社の辛口評価_杉田望(2)_日本電信電話( NTT)

2017年05月20日 19時03分31秒 | 本あれこれ
「各業界有力三十四社の辛口評価_杉田望(2)_日本電信電話( NTT)

 本社 東京都千代田区
 資本金 7,800億円
 従業員数 110万8,028人
 平均年齢 41.0歳
 平均賃金 41万106円
 大卒初任給 19万8,950円


 中央省庁とその監督下にある民間企業は、通例、友好関係を保つ。例え本音は別のところにあっても、表向き友好関係を装う。しかし、日本電信電話(NTT)は、郵政省との関係で、この日本的官民関係をはずれた企業である。

理由はいくつか考えられるが、歴史に一因がありそうだ。かつては逓信省として同じ組織だったが、1949年に郵政省と電気通信省に分離。52年に電気通信省が日本電信電話公社になり、85年の通信自由化でNTTが誕生した。公社時代、形式上の監督権限は郵政省にあったが、実際には公社から郵政省に出向した人間が監督して、政界工作はすべて公社自身が行った。郵政省は通信自由化で役員人事や料金の認可権限を持ち、名実ともに監督官庁になったが、そんな歴史を持つNTTが素直に郵政省のいうことをきくわけではない。郵政省はNTTの傲慢な態度が気に入らず、NTTに過剰な規制をするという悪循環となっている。どちらも大人気ない点では共通している。

 この関係がもっとも象徴的に現れているのが、料金問題だ。NTTの1992年度の収支構造をサービス別にみると、市内通話が1兆6,097億円ともっとも多く、以下、市外通話1兆1365億円、基本料1兆1,283億円、公衆電話3,164億円、番号案内236億円となる。しかしこれを経常損益でみると、稼ぎ頭は市外の6,798億円で、それ以外は赤字になっている。一言でいえば、市内部門の赤字を市外通話で補っていることになる。NTTの悲願は、赤字の市内部門の値上げである。というのも、通信自由化後に参入した新電電にドル箱の市外通話のシェアをどんどん食われているからだ。92年度の総通話回数に占める新電電のシェアは、5.8%にとどまっているが、県間通話になると26.8%、東京、愛知、大阪に限ると54.4%に跳ね上がる。新電電はNTTと料金の格差をつけることでシェアを伸ばしてきた。NTTも手をこまねいていたのではシェアを食われるだけだと、92年10月に市外料金を大幅に値下げした。ということは、稼ぎ頭の市外部門の収益悪化は確実で、その分、赤字の市内部門の値上げが必要になる。しかし、郵政省はすんなりとは認めない。「利用者に負担増を求める前に合理化の余地がある」という理由で、市内部門の値上げ申請をさせない。わずかに92年10月から公衆電話料金の値上げを認めた。それまでの3分10円が20円となり、94年4月からは30円になる。

 NTTは悲願の市内料金値上げのために、なりふり構わぬ合理化に走っている。公社時代の水ぶくれ体質があることは間違いないが、合理化のためなら何でもする、PRも積極的に、という姿勢だ。92年10月には希望退職者を募集した。2年間で1万人という大規模な内容で、雇用不安が高まっている産業界に、大きな波紋を投げかけた。1年目は4,000人程度の応募があり、日標は達せられそうだという。その代わりに、料金値上げを認めてほしいという作戦だ。

労働組合の全電通は「組合員に強制しない」ことを条件に希望退職に応じた。この例でわかるように、NTTほど労使が近い関係にある会社も珍しい。郵政省はかつて、NTT分割を目論んだが、NTT労使一体の政界工作の前に断念した。経営側は当時の政権党である自民党、組合側は野党の社会党に分割阻止を働きかけた。労使とも組織が小さくなることは、何かと困るからだ。料金値上げも、NTT労使の共通の悲願である。経営側はよりよい業績を望むし、組合にとっても賃金が高くなる経営内容のほうがいい。

 人事面でもそうした影響は出ている。児島仁社長は、労務担当が長く、組合からNTT民営化への合意を取りつけた手腕が買われた。児島社長誕生には、全電通出身で政界再編のキーパーソンとなった山岸章連合会長の支援があったといわれる。

しかし、こうした労使一体が、社内の不満も高めている。「闘わない組合なんて意味がない」「ストがなくて組合財政は潤っているのに組合員への還元がない」という若手の声が聞こえる。民営化したとはいえ、染み付いた公社体質は拭えない。社員はどことなく甘く、身のこなしも機敏さを欠く。責任感が強いわけでもなく、何かといえば愚痴が先に立つ。事態を打開するための綿密な戦略、機略があるわけでもない。

 それでも日本一の社員数を誇り、ノーベル賞受賞者を出すかもしれない企業ではある。 一社で中央官庁にたてをつき、組合OBが政界再編に奔走している。日本有数の不思議な企業であることは間違いない。」

(内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、168‐170頁より。)


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店

葉祥明美術館へ行ってきました

2017年05月19日 20時14分00秒 | 美術館めぐり
 




梅雨前の新緑がまぶしい一日、十数年ぶりに北鎌倉の葉祥明美術館『赤毛のアン』展と、あじさい寺として有名な明月院へ行ってきました。5月1日以降、ずっと気持ちが張りつめていたので息抜きの時間が必要でした。喧噪の中に戻ってくると、束の間夢をみていたかのような気がしますが、緑のシャワーをたっぷり浴びながら、青空の下、久しぶりになにもしないという贅沢な時間を過ごすことができました。自分の部屋でも朝、鳥の鳴き声は聞こえるし、裏山の緑も青空もみえますけどね、なにかに追われるように一生懸命~しなければと何かをしてしまいます。せまいし、モノは多いし、生活の音を気にしながらで妙に緊張してしまうので、何もしないでいることって日常生活の空間ではむずかしいです。来週の面接は素直に1年3か月で学んだこと、得たことを話せばいいので、あれやこれやの手続きも終わったし、もうすぐカウントも始まるのでちょっとほっとしたところで、お仲間のブログから知った『赤毛のアン』展の最終日に間に合いました。

 葉祥明さんの絵との出会いは、わたしが高校生の頃にさかのぼります。ずいぶん前のことになりました。毎月定期購読していた小さな雑誌に葉祥明さんの絵が掲載されていました。シンプルな独特の世界観、誰にでも描きそうで描けないメルヘンの世界に憧れました。北鎌倉の美術館を訪ねたのは十何年ぶりになるでしょうか。以前訪ねた時はショップだけで中には入らなかったような記憶がありますが、今回は『赤毛のアン』展。チケットを購入して展示室に入ると、贅沢なメルヘンの世界が広がっていました。どの部屋にもゆったりとしたソファや椅子が置かれていて、ゆっくりとテーブルの本を読んだり、絵を眺めたりすることができました。『赤毛のアン』とプリンス・エドワード島を描いた絵本の原画は、物語の展開に沿って原文と訳と合わせて展示されていました。ちょっと物語の引用場面と絵があっていないかなと思わないでもないところもありましたが、吉村さんの写真とはまた違うプリンス・エドワード島。実際にはアンもダイアナもギルバートも島のどこにもいませんが、アン達が今にも動き出しそうな感覚でした。ソファに腰を沈めてゆったりと絵を眺めていると、プリンス・エドワード島の色々な緑をしっかりと描き分けられていると感じました。秋の黄葉の中をアンとダイアナが歩いている所やピンクと紫色がまじりあった夕暮れの色など、島を訪れた時本当にそんな色に出会ったのでなつかしい気持ちになりました。

 『赤毛のアン』展以外は常設展示でしょうか。企画展示室のお隣の部屋は、魂の風景と名付けられた油彩の絵が展示されていて、実は『赤毛のアン』展以上に心惹かれました。キャンバスでなければ出せないであろう深い味わいがにじみ出ている絵ばかりで、葉祥明さんの絵の真髄に触れたような想いがしました。わたしが歳をとってきているように、葉さんも歳を重ねられて、こんな深い絵を描かれるようになられていたんだと感慨深いものがありました。この部屋にも椅子がいくつもあって魂の風景に包まれながら、ゆったりと静かな時を過ごしました。DVDの映像と音楽が流れていたので癒されました。二階に上がるとメルヘンに溢れた家具と共に飛び出す絵本のコレクション、本、詩、動物の絵なども展示されていました。葉さんのふるさと、熊本城を描いた絵もありました。2012年、震災前ですね。2階はこんな本も出されているのかとちょっとびっくり、知らないでいました。印象に残ったのは、『パヤタスに降る星‐ゴミ山の子どもたちから届いた贈り物』、『地雷ではなく花をください』、『サニーちゃん、シリアへ行く』など。メルヘンではありませんが、葉さんの筆で写実的ではなく、なにかを必死に伝えていました。金銭的にだと思いますが難民支援にもかかわっておられるようです。13年働いた会社はクソですが、中東やアジアに出張で行く人たちの世話をしていたので私自身は一度も行ったことがなくても国名とか毎日仕事として目に触れていたのでなんとなく全く知らないところではない感がわたしの中であるんですね。シリアが内戦状態になる前には出張した方々がいてあれやこれやと関わったのでわたしのなかで遠くない。クソな会社でもプラスになることもあったってことですかね、それはいいとして、こうして普通の生活を営める日本人はまだまだ恵まれていて幸せなんだなと思いました。テーブルにおかれた本を読みながら、営めない人もいることを知ったあとなので、なおさら普通の生活を営めることがいかに尊いかを深く感じたしだいです。当たり前すぎると気づきませんが、ほんとにありがたいことですよ。

 長くなってきました。展示されていたこんな詩が印象的だったので書き留めてきました。葉さんの絵で本になっているようです。

「<いま>を強く生き抜くために・・・―ホワイトウルフの教え―

 やりたいことと
 やるべきことの
 バランスが大切です。
 やりたいことは
 自分のため。
 やるべきことは
 他の人や社会のため。
 どちらか一方だけでは、
 人生に悔いが残ります。」

 
 明月院もかなり久しぶりでした。あじさいには早かったですが薔薇などお花がいちばん美しいころで、日陰の椅子に腰かけて風に吹かれながらぼんやり青空と緑を眺めながら過ごしました。着いたときまずお昼を食べればよかったのに食べなかったのだけがちょっと心残り。美術館から明月院へ歩いて行く途中のお茶屋さんでいただいたうさぎまんじゅうと紅茶がお昼になりました。外の茶席で緑の木々を眺めながらいただきました。北鎌倉の緑と心地いい風に包まれた午後の時間。贅沢なひとときでした。


ミニ版CD付 赤毛のアン ∼Anne of Green Gables∼ (世界の名作英語絵本)
モンゴメリ
Jリサーチ出版

ひとりでいると・・・

2017年05月18日 20時07分31秒 | 日記
 朝からなんとなくすっきりしなかったくもりぞら、午後突然の雷雨でしたね。月曜日から昨日まで連続であれやこれやと出かけたので今日はお休みしたかったですが、平日はやっぱり落ち着かずあまり眠れませんでした、といっても働いている時よりは睡眠時間長いですけどね、こんな感じで毎日出勤していたんだなあって自分であらためてびっくり。会社で働いていた時なんかもっとひどかった。2時に就寝、7時過ぎになんとか起床、己に鞭打って鞭打って出勤して、8時間、9時間、10時間、11時間働いていました。すごいね、続けていたら寿命が縮んていましたね、もう縮んでいるのかな、まだ大丈夫、かな。もう会社のことなんかいいんだなあって昨日思いました。これから働き続けようとしたら、会社のことなんかより、この1年3か月の経験の方が断然強いみたいです。13年間を全部否定してしまったら自分が可哀想だし、会社で働いた経験があったから1年3か月働き続けられたわけですが、就労場所と仕事内容では会社の5年分、10年分が凝縮された業務経験の方が大きいのだと実感。綱渡り状態が続いていますが、なんとか生き延びていけれるといけるでしょうか。書類を郵送したので電話かかってくるかなあと待っている間、ひとりでせまい空間にいると考えがマイナス方向にしか行かないのでつらいですね。部屋にいないと断捨離はできないのでお昼までは部屋にいるのですが、ご近所のおじさんは相変わらずずーっとこもっている気配で不気味だし、なんだかどうにも緊張してしまってつらくなってきてしまい、相談窓口の方に電話してしまいました。受けとめてもらえてほんとにありがたいです。次の居場所に出会っていくために、また来週の月曜に訪ねるお約束をしたところで電話を切ってしばらくしたら、書類を送ったところから電話がかかってきました。ホッ。あれやこれやと悪いことばっかり妄想してしまっていましたが経験者なので歓迎されているのかな。面接に行くことになりました。相談窓口を訪ねるお約束はキャンセル。「たんぽぽさんにとってよい風が吹くように祈っていますよ」って言ってくださってまた涙。自分、まだまだ不安定なところがあるのでひとりでいると不安ばっかり大きくなってしまいます。仕方ないです。あれだけ心の血を流し続けてすり減るだけすり減った自分で、荒療治のリハビリの日々を過ごしてきたのですから。でも言えないのでね、苦しいですよ、そりゃあ。13年も同じ会社で働いてきたのにどうしてやめたんですか、って質問されたとき、その後二年近くブランクがあるのを不思議がられたとき、困ってしまいます。ここで会社都合と言えるかどうかの違いは大きいです、ものすごく・・・。3年前はここまでわかっていませんでしたが、振り返ると会社都合か自己都合かでその後が全然違っていました、いろんな意味で。そう考えるとユニオンに払ったお金は必要経費だったのだと思わざるを得ません。来週は全く知らないことをまたいちからスタートさせようとしているわけではないのであまり緊張せず、素直にこの1年3か月の経験で得たものを話せればいいのかなと思います。不安定なところがある人はたくさんいるし、わたしが不安定ながらも仕事をしてきたのは事実で、わたしやれるんだから大丈夫、大丈夫。こんな綱渡りの日々、自分何やっているんだろうなんて思わない、幸せと思える時間をみつけていくんだ、過ごしていくんだ、わたしにはまだその時間が許されているって言い聞かせます。つらい、つらい、心の血を流し続けた日々があった分だけ幸せだと思える時間がわたしを待っているって思うことにします。3月31日の花組観劇のチケットがゲットできたときから運は向いています。花組の東京宝塚劇場のチケットの抽選もあたったし、明日海さんと相性いいかな、なんて・・・。

 今日も長々と徒然日記でした。

今日も手続き・・・

2017年05月17日 22時24分53秒 | 日記
 ちょっと蒸し暑いような、涼しいような一日。今日も午後は生き延びて行くための手続きに出かけました。駅から遠いので片道一キロ以上歩きました。昨日と同様、三年前はどくどくと心の血を流しながら出向いた所。三年前は何も納得できずどうにもなりませんでした。三年前のわたしと今のわたしは違うんだと実感しました。今日生き延びて行くための手続きできたのはなんとか昨年の苦しい就労状況での仕事をやり遂げたから。そして今年は四カ月がんばったから。一年以上雇用保険かけて契約終了したのでね、えらいですよ、わたし。まだまだ不安定だけど、ここまできましたよ。昨日郵送した書類のことが気になります。電話かかってくるのかなあとか、待ち状態っていやですね、これがボツでも他にもあるのでがっかりすることはありませんができればこれはボツじゃないほうがいい。でも先方が決めることなのでボツになったらなったで仕方ないです。辛抱強くなんとかリハビリと経験をもう少し積み重ねていきたいです。ここに仕事できる人いますよー、役に立てると思いますよー、ってアピールしたい感じですがアピール下手なんでね、苦手なんでね、見つけてもらえるように粘り強くいきます。少しずつ、少しずつ。明日の午後はどこかでお茶飲みながらパソコンで書類を整理したいですが、平日は部屋にいても外にいても妙に緊張してしまうし、どうしましょうかね。明日のことは明日決めましょう。昨日の手続きに間違いがあったので訂正してもらうためには、電話代使うよりも電車代使う方がたぶん安いのでまた出向くかな。ついでにまだ済んでないこともできるし、あれやこれやといろいろです。リハビリが終わったらどこか落ち着くべきところに落ち着けるのでしょうか。なんとかしていきましょう。明日のことはまた明日。動画をだらだらとみて息抜きしています。

 今日もつまらない徒然日記でした。