会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

駒止湿原と矢の原湿原

2010-06-24 23:30:21 | 会津の峠テクテク会
6月24日(木)
 梅雨の一休み
        =会津の峠テクテク会6月例会=


会津の峠テクテク会例会は4月、5月とひどい雨にはあたらなかったがあまりよい天気ではなかった。今回6月例会は今までのいらいら、もたもたを解消してくれた。梅雨の合間の晴天。
25名参加。駒止湿原と矢の原湿原を歩いた。

駒止湿原は、福島県南会津郡南会津町と大沼郡昭和村にある標高1100Mの高層湿原でブナ林に囲まれた10数個の湿原が点在しており、その代表的なものが大谷地(約14ha)、白樺谷地(約5ha)水無谷地(8ha)で昭和45年12月28日に天然記念物保護区域として指定された。
駒止湿原の特徴は低層から高層へ3種類の湿原があり、幅広い種類の植物を見る事ができる。
初夏のツツジレンゲとワタスゲの郡生は圧巻であった。

矢の原湿原は約8万年前にできたといわれる日本で2番目に古い湿原。野鳥の宝庫で280種の多彩な植物が自生している。近くには戊辰戦争の古戦場や代官清水がある。ちなみに最も古いのは長野県の「逆谷湿原」といわれている。

明日から4泊5日で北海道 礼文島・利尻島へ梅雨を避けて行ってきます。ブログは5日間休みます。帰ってきたら旅行記をアップします。お待ちください。

松坂峠癒しの森

2010-05-20 20:15:18 | 会津の峠テクテク会
5月20日(木)  昨夜から雨が降り続く     
       = 静寂な癒しのブナ林 =


会津の峠テクテク会5月例会は、福島県金山町と只見町の町境にある松坂峠のブナ林の群生地癒しの森を巡った。天気予報は昨日は曇り、明日は晴天、真中の今日だけ雨。4月下旬に下見に行った時は1メートル以上の積雪があった。今日は残雪があるかな?雨はひどくないかな?など心配しながらでかけた。現地に赴いたころは雨が止んでいた。ほっとした。昨年から遊歩道を整備し地元横田地区を考える会のS氏に案内をお願いしてブナ林を探勝した。


中には樹齢400年とされる大木もあり、自然の雄大さを実感した。また、雨上がりの若葉の美しさに感動しマイナスイオンを一杯吸って英気を養い満足した。



帰りは鮭立の磨崖仏(約200年前から140年前の数十年かけ51体の仏像が浮き彫りにされている)を見学し、ふるさと村「宮下温泉」で疲れをとって帰宅した。

市野峠

2009-11-05 19:19:36 | 会津の峠テクテク会

11月5日(木)   初霜、初氷

 四日は県内は各地で今季一番の冷え込みだった。会津若松市の初霜は昨年より5日遅く、初氷は昨年より1日早い。飯豊山に初冠雪。昨年より37日遅い。今朝も朝方は冷え込んでいた。霜が解けて畑の白菜や大根も濡れている。犬の散歩を終えて燃えるごみ出しをして朝食。

「イザベラバードも歩いた市野峠」

 朝の一仕事を終えて「会津の峠テクテク会」今年最後の例会に出かけた。
下郷町大内と会津美里町市川を結ぶ峠が「市野峠」である。この峠は氷玉峠と同様 奥会津との物資や人の交流に大きな役割を果たしていた。
郷土史家の道案内を受けて約7kmを歩いた。大内沼ダムサイトから市野峠(標高900m)へ500m位登り、後は下り。紅葉が残る林や手入れの行き届いた杉林、残雪と落ち葉を踏みながら遠い昔に思いを馳せて・・・・・・・・・。地蔵清水の名水で喉を潤し、疲れを癒してバスに乗り帰途へ。よい例会であった。

イギルス人女性探検家イザベラ・バードは通訳伊藤青年(18歳)と二人で馬の背中に乗りながら旅行した。「日本奥地紀行」の著書によると明治11年5月 47歳の時日本へ。東北・北海道を旅する。6月27日大内宿に宿泊。28日に市野峠を越えて、市野宿、高田宿を経、坂下塔寺に宿泊。

 戊辰戦争が終わってまだまだ疲弊している会津を旅しているのであまりよい印象は残していないが、市野峠からみた会津盆地の雄大さや市野宿の女性の働きには感銘を受けたようである。


紅葉が見頃

2009-10-23 17:36:25 | 会津の峠テクテク会

10月23日(金)   霜降 

 暦では霜の降りる季節。御薬園では樹木への孤も巻きが始まった。稲刈もほとんど終わり秋の深まりを感じる。9月に植えつけたきゅうりが花を咲かせ小さな実をつけている。トマトもまだ小さいが沢山生っている。
 霜対策にビニールで覆いをした。簡易ビニールハウスの完成。収穫はどれほどかな?

 ホーレン草や山東菜などの間引きをしたり、大根への追肥をしたりと農作業が忙しい。お天気のよい日は夕方遅くまで精を出して働く。

「観音沼の紅葉が見頃」 

 昨日 会津の峠テクテク会の10月例会で「松川街道(別名 会津中街道、宇都宮街道、松川新道)」を歩き、観音沼森林公園を訪ねた。駐車場は車で満杯、路上駐車が多く渋滞。沼の周辺はカメラを抱えた人、人、人・・・・・・・・・・。

紅葉は今が見頃。何度か訪れているが、見晴台のコースは歩いたことがなかった。今回このコースを歩いてみて雑木の紅葉や黄葉が見事。観光客もあまりなくゆっくり紅葉を観たり、写真を撮ったりできた。お勧めのコースである。


楊枝峠とケヤキの森

2008-07-19 23:46:09 | 会津の峠テクテク会

7月19日(土) 真夏日。

 熱中症で気分が悪くなり路上で倒れた人もいた。(会津若松で)そん暑い日に梅拾いや、トウモロコシの支柱、秋きゅうりのネット張り、野菜の追肥、橋の防腐剤塗りなどの作業をした。午前10時~12時。昼休みをとり午後4時~7時まで。ちょっと無理をした。 汗をみっちりかいたので2kg減量。
しかし、入浴後のビールで1kgリバウンド。

 

 楊枝峠とケヤキの森を歩く

7月17日(木) 会津の峠テクテク会の第4回例会で楊枝峠とケヤキの森を歩いた。
今までの例会はお天気が悪かったが、今回は晴天。24名参加。

『楊枝峠(691m)は、鞍手山(846m)の北部にあり、江戸時代には会津と二本松
を結ぶ重要な街道であった。
明治29年9月、医師を志し上京した野口清作(英世)は、猪苗代から壷下経由、楊枝峠を通って本宮駅から東北線に乗っている。明治18年中山峠が本街道となり、楊枝峠は廃道となった。』ー新版上 会津の峠(笹川 寿夫著)より引用ー

 ケヤキの森は磐梯熱海温泉にあり、近年遊歩道が整備され訪れる人も多い。
初めて歩いたのでケヤキの巨木群に圧倒された。ひんやりとした樹々の歩きマイナスイオンを吸い気分爽快であった。

帰りは「ユラックス熱海」で入浴し汗を流した。ビールがうまかった。

 

 


ころり

2008-06-12 22:59:20 | 会津の峠テクテク会

6月12日(木)  梅雨にはまだ早いが蒸し暑い日。

 昨夜は本年度初めての城西地区区長会の懇談会・懇親会があった。事業推進と情報交換。26町内の代表者の集まり。色々な問題を抱えながら地区全体の発展のためにリーダーシップを発揮していくことを誓いあった。

少し疲れ気味なので早めに帰宅。就寝したので今朝は4時に目覚める。
ラジオを聞きながら夜明けを待った。深夜放送の音楽や著名人の話しが聞けてよい。 テレビよりラジオを聞きながらの世代なので時々このような時間を楽しんでいる。

 今日は会津の峠テクテク会の第3回例会。6時半にはラジオ体操をし、7時に食事。7時半には家を出た。

 

大山衹神社  クリックするとホームページへ

 

大山衹神社は 第49代光仁天皇の御代 宝亀9年(778年)勧請。御祭神は大山衹命(水利・水源の神)、岩長比売命(長寿の守護神)、木花咲姫命(良縁・安産の神)の親娘三神。 野沢の山の神として、会津はもとより越後の人々の信仰を集めている。6月中は大山まつりで多くの参拝者で賑わう。

 

 会津ころり三観音

 会津には立木観音、鳥追い観音、中田観音があり、お参りすると「心に安らぎが宿り、長患いすることなく、極楽往生できる」という教えがあり参拝者が多い。我々もこの三観音をお参りした。

 お迎えがくるまでぴんぴんとしてころりと亡くなりたいと願っている人は多い。重ちゃんもその一人である。
 一昨年友人が突然死、一昨日は隣人が突然死した。残された家族は悲嘆にくれ平穏な気持ちになるまでには時間がかかる。この現実をみるところりと亡くなるのも?????かなと複雑な気持ちである。

 


磐梯山登山

2007-08-02 22:24:25 | 会津の峠テクテク会

8月2日(木) 快晴  36度 猛暑日

昨日 東北南が梅雨明け宣言。会津も梅雨明け。
参議院選挙の結果や赤城農相の更迭で政治の世界も梅雨明けの熱い国会になるだろう。二大政党の幕開けになればいいが・・・・。国民として政治にも関心を持ち続けたいものである。特に、無党派と言われる不特定多数の人々の意思、マスコミの報道の在りかたなど・・・。

 

平均65歳の若者?が磐梯山へ登る

 

 日本百名山の一つとなっている「宝の山」会津のシンボル的な山磐梯山へ。
参加者は16名と少なかったが、全員登頂するとの硬い意思で参加。

時間の差はあたが見事に実現。天候に恵まれ、360度のパノラマ。檜原湖、小野川湖、秋元湖、猪苗代湖、遠くは那須連山や会津駒ヶ岳、飯豊連峰等が見えた。

下界の暑さなど感じない山頂の涼風を約1時間も満喫した。
弘法清水では、これっきりないというほどの冷たい水で喉を潤した。最高。

帰りは、少し疲れが出て足取りが重かったが。磐梯温泉「おおるり」で疲れを癒した。

参加者全員が磐梯山に登り、大きなトラブルもなく下山できたことへ感謝したい一日
であった。まだまだやればできる。


梅雨と花

2007-06-22 21:39:53 | 会津の峠テクテク会

6月22日(金) 

 一昨夜はものすごい雷雨。昨日も雨。今日も雨。会津も梅雨入り。
じめじめして不快な思いがするが、この梅雨時の雨が、稲をはじめ農作物や草花・木々・昆虫・動物などあらゆる物の生命を支えてくれる。
ありがたい梅雨の雨である。

 

駒止湿原と高清水公園を散策

 

昨日、会津の峠テクテク会の6月例会で表題のところをウォーキング。
駒止湿原では「こばいけいそう

「ワタスゲ」、「レンゲツツジ」が盛り。ヒオギアヤメやニッコウキスゲはまだ少しだけ。

 

「ギンリョウソウ(ユウレイタケ)」もあった。

 

 

高清水公園では、「ヒメサユリ」が見ごろ。 もぐらや野鼠対策にわらびと群生している。「ヤマボウシ」も咲いていた。

 何度も訪れている場所だが、花たちは毎回、それぞれに表情を変えて来訪者を迎えてくれる。イオン一杯の自然の中に身を置くと俗界のしがらみなどを忘れる事ができて心身爽快である。月に一度でもいい。野外へ出かけましょう。

 

 


束松峠 4月例会

2007-04-22 14:49:35 | 会津の峠テクテク会

4月22日(日)      

 

 参議院議員補欠選挙・会津若松市長選挙・同市会議員選挙のトリプル選挙。  果たしてどなたが当選するだろうか。当選者は今晩決定するだろう。公約をきちんと実行してもらいたいものである。

 

 往時を偲びながら束松峠を歩く (4月19日)

 束松峠は江戸時代から明治にかけて約三百年間、越後街道として大きな役割を担い最も美しい峠で、人間往還の物語を作り出していった峠道であった。 栄枯盛衰、華やかな街道も移ってしまったが、二軒の峠の茶屋は昭和35年まであった。

 

 

 久しぶりの野外活動。すばらしいお天気に恵まれて心地よい汗をかいた。野山からマイナスイオンをいっぱいもらって心身共に爽快。茶屋跡で残雪が残る会津の山々を眺めながらおにぎりを食べた。とってもおいしかった。

 

 この峠を会津若松清水屋旅館に宿泊した吉田松陰が坂下の心清水八幡神社を経由し歩いた。イギリス人の女性探検家イザベラバードも歩いた。

 戊辰戦争では長岡藩の藩士河井継之助達や秋月悌次郎が駆け抜けた。また、藩の将来を託された山川健次郎と小川亮が真龍寺住職善順に連れられて越後にいた長州藩の奥平謙輔の元へ庇護を受けに行った。

 多くの人と物資が交流していた往時へ思いを巡らして感慨深い時間を過ごした。

 

 5月例会は、野地峠。

 

 

 


講演 

2007-03-15 21:56:54 | 会津の峠テクテク会

3月15日(木) 

 やっと天気が落ち着いた。名残雪はあちこちにまだ残っているが、春の陽射しがもどってくるとほっとする。

 

人の前で話すということ

 

 いよいよ今日から同好会「会津の峠テクテク会」の活動が始まった。

 講演 「会津の入り口と出口 滝沢峠と束松峠」 講師 森澤 堅次 氏

 平成11年に公民館の主催行事で始まったものであるが、翌年から自主サークルとしてこの会を立ち上げ現在まで活動を続けて来た。この間会員の異動などはあったが常に30名前後が所属している。組織運営を工夫し、活動内容にも変化を持たせてきた。その経緯については、後日ブログに書いてみようと思っている。

 

 講師を紹介します。

 秋田大学鉱山学部卒。会津の企業に就職。日本山岳会と南会津山の会所属。
 磐梯・朝日国立公園指導員

 著書「山を訪ねて」 「嶝峠(とうげ)会津編」 「新編 会津の峠」 「政経東北に連載」 「山と渓谷 へ寄稿」

 秋田県人であるが、会津に永住し、会津の山々を歩き、歴史を調べ、会津人より会津に愛着をもっている。その豊富な経験と知識、そしてユーモアを交えた話しはとてもよかった。90分があっという間であった。

 

人の前で話すということは、周到な準備をし、話しの筋をしっかりたて、聞く人を惹きつける話術とゼスチャーも必要である。重ちゃんも何度か経験したことがあるが、難しい。

 

 

 宮崎県知事の過去のことをとやかく言う人もいるが、現在の彼をテレビでみていると、努力をしていると思う。県議会での質疑応答、外国人記者とのやり取り、真剣さが伝わってくる。

 それに比べて、国会での首相、大臣、野党の議員の応答は、ばかばかしくて視聴していられない。例えば「農水産相の水問題=税金を使った政治資金の使途のあいまいさ。」

 

 昨今の国会審議をどう思いますか。腹が立ってきませんか。