会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

野外研修を終える

2015-05-12 19:33:12 | Weblog
2015年5月12日(火)晴 24.1℃~5.6℃

   「蛇の鼻遊楽園・御殿・ビール工場」

 大型連休が終わってからも諸団体の総会など忙しい日々が続く。また、甥の結婚式に招待されて仙台に行った嬉しいこともあった。

 野外研修の記事も途切れ途切れのアップで済みません。
 蛇の鼻遊楽園を訪ねた4月29日はチューリップや芝桜が咲き乱れ、藤の花やツツジが咲き始めていた。今は牡丹、バラ、ポピー、紫蘭の花が咲いているのだろう。
 遊楽園は吹く風に花の香り、木漏れ日の優しさ、鳥のさえず、湖面のすがすしさ。うつろう季節を贅沢に味わえる。花と緑と水の楽園。自然の造形にあふれている。感じ方は訪れた時季や訪れた人の感性による。ずいぶん昔、秋に訪れたことがあった。菊や紅葉もよかったような気がする。






 美と粋を極めた国登録有形文化財の蛇の鼻御殿は、明治末期本宮町の御農伊藤弥氏の別荘として8年の歳月をかけ、造られた邸宅。巧妙精密な彫刻をはじめ、著名人の書や名画伯の障屏画などが全六室にわたり残されている。2階の欅1枚板の廊下や黒柿渋の柱板ももすごい。

NTT東日本福島支店のホームページによると
 『本宮市と大玉村の境に位置する大名倉山(おおなぐらやま)の東の麓、本宮市の蛇の鼻(じゃのはな)地区。「蛇の鼻」の地名の由来は、平安時代に東北地方を舞台に起こった「前九年の役(ぜんくねんのえき)」で、源義家がこの地で敵方に放った矢が花の様に見えたことから「矢ノ花」と呼ばれ、その後、玉井村(現大玉村)と本宮町(現本宮市)に分割され、玉井村に「矢ノ花」の地名が残り、本宮町は大名倉山に伝わる大蛇伝説から「蛇の花」と呼ばれるようになり、山が切れて盆地に続く場所を「鼻」と呼ぶことから、後に現在の「蛇の鼻」になったと伝えられています。
 明治の末、本宮町の豪農 伊藤彌(いとうわたる)によって蛇の鼻地区が開墾され、1899年(明治32年)、「蛇の鼻遊楽園」が開園。約千町歩※の広大な敷地内には、桜、ツツジ、秋の紅葉と通年花が絶えることがなく、牛、馬、豚、やぎ、ニワトリなどを飼育する大規模な飼育舎が建てられ、今も残る鰻清水池(うなぎしみずいけ)には、鯉、鮒、なまずなどの養魚施設が造られ、池を望む高台には贅を尽くした別荘「蛇の鼻御殿」が10年の歳月をかけて建てられました。
 玄関の破風(はふ)には精緻な彫刻をはじめ、全6室に渡って狩野派絵師などによる障屏画や伊藤博文などの著名人の書などが残され、1996年(平成8年)、築後50年以上を経過した造形の模範として再現が困難な建造物として、文化財保護法に基づいて国の登録有形文化財に登録され、数々の国宝級の一級品を一般に開放しています。
※1町歩:一辺の長さが1町(60歩)の正方形の面積。太閤検地で3000歩(坪)を1町とした。約9917平方メートル。』

 野外研修の楽しみの一つがアサヒビール本宮工場見学であった。東日本大震災で被害にあった工場が見事にリニューアルされていた。工場見学内容もビデオなどでわかりやすかった。説明を聞き終わると搾りたての生ビールを試飲した。暑い日だったので最初の一口、のど越しがうまかった。実にうまかった。つまみを食べながら約20分、おいしいビールを飲み、参加者一同満足の時間であった。



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