週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0267 -’19. 大原女の小径(バス停を過ぎて寂光院へ)

2019年12月19日 22時30分31秒 | 国内旅行

三千院からバス停まで戻ってきました。バスは停車していませんし、ここまで来て寂光院をスルーするには気が咎めます。高校時代の思い出もありますし。と言っても、三千院ではお邪魔しても何も記憶は戻らす初めて行ったのと何ら変わりませんでした。でも、良かった。ですから、何か思い出が走馬燈の如く蘇るとは思っていませんが、遠い京都です。直ぐ近くに来たからには是非ともお邪魔したいです。

そんな、こんなでバス停から少し階段を下り大原女の小径を歩く事にしました。

写真は、撮影順ですから往きと帰り道で撮っていますから距離は少しずれます。

01  半分ぐらい来た所でしょうか。農家の方が野菜を作っているようでした。大原女が京の町に売りにいったのでしょうか。東京でも千葉から行商のご婦人が大量の荷物を柳行李に入れて背負って来たものでした。山道を荷揚げするボッカ程の量ではありませんが、それでも女性の力に驚いたものでした。。  

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03  三千院からは1.3キロ、大原バス停からは0.7キロ歩いてきました。寂光院までは後少し(400m)です。美しい紅葉と道しるべを一枚。  

04  3分ですから200メートル強といったところです。写真を撮りながら歩いていますから、ご夫婦に追い越されました。その方が少し先にいますが、追い付く事はありませんでした。 

05  こちらも川沿いを歩きますが、三千院に比べると傾斜はほんの少しです。老齢な男性が杖を突きながら歩いています。大原だと何故か詩情を感じさせます。   

 

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08   寂光院は左で並んだ手前の所に建礼門院御陵は右側です。 

09   宮内庁の高札(看板)がでていました。高倉天皇皇后徳子 大原西陵です。 

10  階段を上った左側ですが、寂光院から茶室の待合処まで入れましたので大原西陵ので茶室など遠目で見る事ができました。  

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12  バス停にバスが停まっていました。(左側のバス)行先は京都駅ではありませんが、地下鉄の烏丸線の国際会館駅行きになっていました。家内から乗るよと言われて飛び乗ると発車しました。家内は地理が分かっていましたので、乗ろうと言ってくれたので時間を有効に利用する事が出来ました。 前方が坂を登り三千院へ。後ろへ行くと寂光院です。バスの時間も知らずに戻ってきましたがついていました。 

この後、地下鉄に乗って京都駅に戻り、大将軍で食事をして東福寺に向かいました。

 

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#0266 -’19. 大原女の小径(大原三千院・スマホ版)

2019年12月19日 11時02分21秒 | 国内旅行

先にアップしたニコン一眼の三千院のスマホで撮影したものです。

ニコン一眼でもエクスペリアのスマホでも撮影はオートです。

オート(自動)とは勿論、露出露出時間距離も総てカメラが行ってくれます。

自分はシャッターボタンを押すだけです。

言ってみれば、画角とシャッターの時期のみ撮影者に委ねられているだけです。

それでも、実に簡単ですから今では撮影は総てオートです。

基本、撮影後の調光などの調整は一切行いません。

と、言うか調整することが好きではありません(芸術作品ととらえていません)。

見た通りが一番好きです。

見た目通りに撮るためには、オートでは無理であると実感する今回でした。

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03 バス停から坂を登り三千院に向かいます。呂川を右手に見ながらあるきます。写真では左側に写っていますが、朝日の関係で逆光をさせて下に向かって撮影している為です。

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06  拝観料を払い三千院に入ります。でも、半分しか見ずに寂光院に向かいました。

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#0265-’19. 京都大原・三千院(ニコン一眼版)

2019年12月18日 19時08分48秒 | 国内旅行

天台宗  京都大原三千院に二日目の朝一番にバスに乗ってお邪魔しました。

三千院のHPから由来など引用させて頂きます。

三千院の由来 : 三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。
寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わることとなる。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになる。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。

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10  早朝に雨が降ったようで、苔の多い三千院の庭園はそれは美しかったです。自動露出で行い補正しなかったので明るくなってしまい、苔の美しさが表現さてていません。不足気味で撮影すきでした。

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撮影は総てニコン一眼レフです。

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#0264 -’19. 「韓国人の性格」…的確過ぎる!

2019年12月18日 14時13分21秒 | ユーチューブ

今回のスレッドは只の時間つなぎです。

信じるも信じないも貴方次第です。

韓国が好きな人も嫌いな人も是非ご覧ください。

でも、好きな人は見ない方が良いかもです。

 

韓国人から見た韓国人の性格だそうです。ユーチューブ動画を見るだけの時間が無い方の為に、その20項目を次に箇条書きにしました。

  1. 依頼心が強い
  2. すべきことをせずに他人に期待し裏切られると恨んだり非難する。
  3. 相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思う。
  4. せっかちで待つことを知らず「今すぐ」とか「今日中」とよく言う。
  5. すぐ目に見える成果をあげようとし、効果が出ないと我慢せず別のことをやろうとする。
  6. 計画性がない。
  7. 自分の主張ばかりで、他人の事情を考えない。
  8. 見栄っ張りで虚栄心が強い。
  9. 大きなもの、派手なものを好む。
  10. 物事を誇張する。
  11. 約束を守らない。
  12. 自分の言葉に責任をもたない。
  13. 何でも出来るという自信を誇示するが、出来なくても何とも思わない。
  14. 物事は適当で声だけ大きくウヤムヤにする。
  15. 綿密さがなく正確性に欠ける。
  16. 物事を徹底してやろうとしない。
  17. ”見てくれ”に神経を使う。
  18. 「世界最高」とか「ブランド」に弱い。
  19. 文章より言葉を信じる。
  20. 原理・原則より人情を重んじ総てを情に訴えようとする。   以上です。

【衝撃】韓国人から見た「韓国人の性格」…的確過ぎる!

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#0263 -’19. 天下の焼肉 大将軍(二日目のランチ)の後は時間を惜しみ

2019年12月17日 16時27分20秒 | 訪問した食事処、お茶処

二日目は早朝から洛北に向かいました。三千院と寂光院でした。ネットで紅葉の状況を調べると既に散り始めているようでしたが、高校の修学旅行の思い出でどうしても行きたかったので京都駅からバスで向かいました。観光を済ませて京都駅で食事処を探して入ったのが『天下の焼肉 大将軍』です。一階は同じ系列のパチンコ屋さんですからわかり易いですが、入り口は脇の道側です。

バスと地下鉄の一日乗車券で京都駅から終点の三千院まで使えました。因みに、価格の安いバス一日券では地域外になってしまうようです。  

一番有効に利用するために二日目に利用しました。帰りはバスと地下鉄を乗り継いで京都駅まで戻ってきました。昼食を摂ってホテルに戻り休憩して夜の観光に備えることにしたわけです。

新阪急ホテルのご近所のパチンコ屋さんの二階に在りました。夜は焼肉が専門のようですが、昼間は焼肉はやっていませんが、ランチが色々ありました。味も値段も良く、その上接客も良く結構いいお店でした。

こちらは私の頼んだハンバーグです。  

こちら家内の頼んだ天ぷらうどんです。ご飯も付いていたそうですが、ご飯はいらない旨申し出ていました。  

私の方には何故か飲み物と付いていました。サービスも良く気に入りました。  

昼食後にと言っても遅い遅い昼食です。この後は、大阪で開催されたG20の時に安倍総理ご婦人が案内した東福寺にタクシーで向かうために、京都八条口に向かいました。

 

ここからは追記です。夜は原村のお山の家のお隣さんと永観堂で食事を頂きライトアップされた夜景も見に行きますので、時間が決まっています。時間を有効に利用する為に行きも帰りもタクシーを利用しました。

京都駅八条口から乗って。新幹線のホーム側です。  

時間短縮を図る事ができましたが、それでも見どころが多いですからかっ飛ばしての参観です。

一番、奥の奥まで入ってくれました。六波羅門の前で下ろしてもらいました。  

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#0262 -’19. 東寺(真言宗総本山教王護国寺)のライトアップ(その二)

2019年12月16日 20時35分39秒 | 国内旅行

京都での紅葉のこの季節の夜のライトアップです。

1日目と2日目の夜のみの京都観光に申し込みしました。

ある意味、夜の観光を予約してありますから効率的に廻れますが、欠点としては昼間の観光が時間が無くなり尻切れトンボになる面がありました。

東寺(真言宗総本山教王護国寺)のライトアップその一の続きです。

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国宝の多さも驚きましたし、曼荼羅は知っていましたが、立体曼荼羅は初めてしりました。曼荼羅と聞くとチベット仏教を思い出しましたが、こちらの立体曼荼羅は全く想像と違っていました。パンフレットから借用します。

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#0261 -’19. 二日目の朝食@法華クラブ

2019年12月16日 13時13分24秒 | 訪問した食事処、お茶処

宿泊は新阪急ホテルですが、バイキングの朝食も何故か気持ちがむかいません。

交差点を渡ればローソンが有るのに帰る日に気が付きました。もっと早く気が付けばと思った次第。

食事付きのプランではありません。京都で美味しい食事をとも思いましたが。

朝食は頂くだけでも結構大変ですから、コンビニでお弁当などゲットするのもありでした。

お宿から外に出たのも何処へとの明確な目的をもって出たわけではありません。

数件先の法華クラブのホテルの前に朝食を頂ける看板が有ったので入った次第です。

こちらは、完全なバイキング形式(スモーガスボード)ではなく、基本はセットでサブ的なものが各自取ってくるといった感じのものでした。

朝食例:日本の朝食というコンセプトのバランスの取れた朝食例。

メニュー:焼き魚・冷奴・出し巻・小鉢3種・納豆・フルーツ

法華クラブで我が家が頂いた朝食は夜はレストランとして居酒屋・いろはかるたです。(引用)

ハーフビュッフェ

ご飯・お粥・サラダ・飲み物(フルーツジュース・コーヒー)

ファミリーレストランのドリンクコーナー的な感じでした。(引用) 

朝定食はそのいろはかるたで頂きました。

宿泊に関係なく、料金を払えば食べられます。結構気に入りました。


これで、1500円でした。お値打ちでした。カードでの支払いです。 

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#0260 -’19. 一日目の夕食を(京都地下街にて)

2019年12月14日 21時39分16秒 | 訪問した食事処、お茶処

今回の京都旅行のお宿はホテルです。一泊二食付きでは無くお部屋のみです。従って、朝食も昼食も夕食も自分で頂かなければなりません。京都ですから探せばどこでもあるでしょうが、京都駅前ですから地下街のレストランにすることになりました。でも、何処も彼処も混んでいます。並んで夕食にありつく事にしたのがこちらのレストランです。

夜間の拝観が済京都駅に戻ってきました。到着直前のバスの車窓からです。

 

京都駅前地下街Portaです。  

 

だし茶漬けなどのお店がありましたが、安いのは嬉しい事ですが、その分ノンビリ食べる環境ではありませんでした。残念無念でパスしました。次に選んだのがこちらのおみせです。 ジャパニーズ・クイジーヌと書かれています。国際都市の京都を感じます。お店は『萬重』です。    

三組目でした。先頭の方は台湾から来たご夫婦でした。中に入るとテーブルが隣同士になりました。シャッターを押してあげました。 

先ずは、ビールです。  

 

我が家はこちらを頂きました。  

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#0259 -’19. 東寺 (真言宗総本山 教王護国寺)のライトアップ(その一)

2019年12月14日 16時09分27秒 | 国内旅行

京都のライトアップ観光でお邪魔した東寺です。御寺泉涌寺別院 雲龍院と東寺ライトアップの秋の定期観光バスでの二か所目のお寺です。東寺のライトアップを参観に来る人の多さにも驚きですが、その素晴らしさにも感動です。海外の人気のある観光地や美術館などでも長蛇の列に並ばねばなりませんでした。しかし、今回は観光バスのコースなので列に並ばずに東寺の係員の案内で説明場所まで一気に進むことができました。京都の素晴らしさを知らないわが身が恥ずかしくなるほど、凄い街の京都です。東寺もその一つです。本の秋の数時間だけ東寺をお邪魔しただけですから、秋の紅葉とイルミネーションを見るだけでした。帰宅してアップする為に東寺のパンフレットなどを読んで少し知ることができました。それ程の知識の無さです。

 

何も知識のない観光客の視点での解説です。観光バスの車窓から東寺の五重塔が見えてきました。東寺の小冊子から引用させて頂きます。  国宝 五重塔 江戸時代  東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、雷火などによって、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は正保元年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。全体の形も良く、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代前期の秀作です。

 

東寺東門からライトアップの東寺への拝観者が列をなしていた。その脇を通りバスは敷地内へ。バスを降りて別ルートで東寺内へ。

 

 

 

 

 立体曼陀羅のある講堂です。東寺の方から建物の外で説明を受けて13もの国宝を目にします。

 講堂の隣の金堂です。

 

 瓢箪池からの五重塔はそれは、美しい姿でした。

 

 池に写る五重塔です。

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#0258 -’19. 御寺泉涌寺別院雲龍院の三日月

2019年12月13日 16時35分15秒 | 国内旅行

御寺泉涌寺別院雲龍院です。今回がラストのスレッドです。

名前の通り雲と龍の雲龍院の入り口に鎮座しています。歩くと共に龍の顔の長さが変わって見えます。右から左にあるきます。




徳川慶喜が寄進した石灯籠ですが、薩摩藩により一旦は放置されたのをもどしたそうです。  皇室に関係のある霊明殿のお庭にあります。菊の御紋を照らす形で建っています。



床の間に三日月がさすように細工が施さラテいた風流を感じるようにできています。  


床の間の壁に細工された明り取りから入った明かりが三日月になって映っています。八の字の左の細いところが廊下側からの光線を受けます。廊下を歩く人がいると三日月も一瞬ですが、消えてしまいます。


廊下の通る脇に一本の竹が刺さっています。その下には水琴窟があり、耳を当てるとそれは美しい雫の音(ね)が聞こえてきます。残念なことに写真は撮影しておりませんでした。  

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#0257 -’19. Tokyo and Kyoto Japan for the Rugby World Cup , etc.

2019年12月12日 14時50分07秒 | ユーチューブ

自分の中でThe Rugby World Cup JAPAN 日本 2019 の余韻はまだ冷め切っていません。ユーチューブから二つアップします。

ニュージーランドと言えば、 国章に使用されているご存知、こちらのシルバー・ファーンです。ニュージーランドで買い求めたシルバー・ファーンのショルダーバッグです。残念なことにオールブラックスは優勝できませんでした。今回の火山噴火(水蒸気爆発と思われる)の被害者に哀悼の意をささげるとともに。  

 

一つは、ラクビーの観客は裕福な方が多いとの事で、こちらの方が東京で宿泊したのは日本橋の高級なマンダリン  オリエンタル 東京です。京都ではフォーシーズンズ ホテル 京都 です。韓国人の観光客が減って居るとのことですが、客層がことなるようです。高級ホテルが少ない日本と言われていますが、外国資本ですがラグジュアリーな高級ホテルに宿泊です。

Tokyo and Kyoto Japan for the Rugby World Cup

 

試合のみに留まらず楽しい思い出を作って母国に帰られた事が容易に想像できます。

 ★RWC2019★スコットランドサポーターが最高だった件。Rugby World Cup 2019 Scotland-Russia on shizuoka japan

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#0256 -’19. 嵐電に乗ってホテルへ戻りました

2019年12月11日 20時27分21秒 | 国内旅行

こちらは、JR 山陰本線になるのかも。京都からこちらの電車に乗って今回も嵐山に来ました。  1

 

前回、嵐山から渡月橋を徒歩で渡、電車に乗って桂離宮に行く予定でした。しかし、その日は大変暑く、渡月橋に向かう途中で前方からタクシーが来たので乗ってしまいました。今回はそのリベンジで渡月橋まで徒歩で向かう途中です。でも、凄い人混みです。海外から来た観光客の方もうんざりしている事とおもいます。  2  

 

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 竹の生垣も色々の種類があるのをご存知ですか。  05  

嵐山に来る時は京都からJRです。帰る時はこちらの嵐電で京都駅へ戻ります。  06  

渡月橋の袂に到着しました。観光客の多さにうんざりですが、そんな中の一人ですから文句は言えません。 07   

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ほんの10メートル程度橋を歩きました。戻って来て橋の袂へ。  09 

地元の人のご苦労を思うと、観光公害かもね。10  

嵐電の駅へ戻ります。11  

 嵐電の駅の到着です。改札口もなく都電のような感じです。 12  

 嵐電の嵐山駅に足湯が在りましたが、のんびり浸かっている時間など勿論ありません。13  

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#0255 -’19. 嵐山から清凉寺へ

2019年12月10日 19時22分45秒 | 国内旅行

前回の人力車に乗った道を今回は歩いて、宝筐院と清凉寺に向かった。今回は前回と重複するが徒歩での風景と清涼寺をアップします。

往きは正門が開いていて校舎も紅葉も見る事が出来た嵯峨小学校です。今回は徒歩で校庭側から来ました。 1  

 

前回も気になりました個人医院です。 2  

 

清涼寺の立派な仁王門です。清凉寺は別名、嵯峨釈迦堂としても京都では親しまれています。清凉寺の説明をウキペディアから一部引用させていただきます。清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基は奝然、開山はその弟子の盛算(じょうさん)である。 

清凉寺[編集]

 

棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(“ちょうねん”938-1016)という東大寺出身の僧がいた。奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うでんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」、釈迦に生き写しとされ「生きているお釈迦様」と呼ばれている。奝然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像(985年とされ、「清凉寺様式」と呼ばれ、現在国宝)を安置する寺を建立しようとした。奝然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。しかし、延暦寺の反対にあい、その願いを達しないまま長和5年(1016年)、奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台(臺)山清凉寺である。

清凉寺のHPはこちらです。

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五臺山と刻まれている。 4  

仁王門から本堂への参道の西側には法華経に由来する多宝塔、法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿、狂言堂などがある。

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法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿としてアップしていた建物は多宝塔で正しい聖徳太子殿は菊の紋が入ったこちらの建物でした。訂正してアップします。  


少し向きを変えて同じ聖徳太子殿です。  

 

その法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿です。」とアップしましたが、実際は多宝塔です。

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信心が浅いわけではありませんが、時間が押していて本堂に安置されている木造の釈迦如来立像を拝むこともできずに先を急ぎました。国宝である三国伝来の赤栴檀の釈迦如来(国宝)を拝まずに後にしました。西域のエキゾチックお釈迦様だそうです。

 

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弁天堂です。  12  

 

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#0254 -’19. 御寺泉涌寺別院雲龍院・迷いの窓

2019年12月09日 12時48分07秒 | 国内旅行

今回は、悟りの窓と対になっている真言宗 泉涌寺派 別格本山 雲龍院(御寺泉涌寺別院雲龍院)の迷いの窓です。

KYOTOdesign キョウトデザイン は京都観光スポットと京都観光ガイド、無料の京都写真ギャラリーなど、京都観光情報満載のポータルサイトです。こちらの記事から引用させて頂きます。

悟りの窓と迷いの窓

正確な真円を描いてる「悟りの窓」は禅における悟りの境地を表しており春には紅梅やハナカイドウを望むことができます。四角い窓は「迷いの窓」で人生における苦しみを象徴し「生老病死四苦八苦」を表しているといわれています。
5月の初め連休の頃には大きなピンク色のシャクナゲを眺めることが出来ます。

自分は、迷いが無いのか全くこの窓に気が付かずにするーしてしまった。説明を良く聞いていた家内が撮影してくれていました。迷いの窓で自問自答して悟りの窓で悟ようである。悟りは人それぞれですが、何処をフレームインすることによって異なるかも。京の寺院の中で迷いの窓と悟りの窓があるのは、こちらの御寺泉涌寺別院雲龍院と源光庵の二カ寺だそうです。

雲龍院の迷いの窓です。



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#0253 -’19. 御寺泉涌寺別院雲龍院・悟りの窓(The Window of Enlightenment )

2019年12月07日 21時18分01秒 | 国内旅行

真言宗 泉涌寺派 別格本山 雲龍院(御寺泉涌寺別院雲龍院)の風流の極意の姿です。悟りの窓です。

絵画の如くですが、自然の織りなす風景です。盆栽と相通じる精神性を感じます。

雲龍院のHPご案内から引用させて頂きます。

悟りの窓

書院悟之間の窓、「悟りの窓」は訪れる度に、その風景を変化させます。

書院悟之間の中ほどの所定の位置に、椅子が置かれています。「悟りの窓」の前に、ちょうど一人用の椅子が置いてあります。この椅子に座って「悟りの窓」を眺めて禅の心を感じ悟りを開く窓ですが、一時の凡人では勿論叶いません。その風景が何か心を打つことは間違いありません。(ここからは自分の記憶違いかもしれませんが、椅子と言っても普通に想像する椅子では無かった感じです。正座すると足がしびれてしまうためにお尻の下に敷く感じの椅子を少し大きくした椅子だったような記憶が薄っすらと残っています。)団体がお邪魔していますから、一人づつ座り悟りを開くには余りにも短い時間ですが、その素晴らしさは感じ取る事が出来ました。椅子の置かれている位置は悟りを開くのに一番適した場所である事は勿論ですが、悟りを開くまでの効果は自分自身にはありませんでした。しかし、心に沁みる空間との出会いであった事は間違いありません。

 

 

 

夜の帳の中での悟りの窓です。風景においても、より一層目的物が鮮明になり夜間は悟りを開き易くなるかもしれません。

 因みに、こちらの三枚の写真は全てスマホにて撮影です。(ニコン一番レフと記載したもの以外は全てスマホです。)

 

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