嬉しい用事があり出かけてきました。
三多摩地区は雨が降らなかったのかもしれませんが、都内は寒い小雨が降っていました。
道路沿いに歩いて通過しましたので、公園には入りませんでしたが美しく色付いていました。
師走も残り少なくなってきます。
令和元年も二十余日となりました。
悲しい事が無い世界を願いたいですが、現実は厳しいものです。
嬉しい用事があり出かけてきました。
三多摩地区は雨が降らなかったのかもしれませんが、都内は寒い小雨が降っていました。
道路沿いに歩いて通過しましたので、公園には入りませんでしたが美しく色付いていました。
師走も残り少なくなってきます。
令和元年も二十余日となりました。
悲しい事が無い世界を願いたいですが、現実は厳しいものです。
貴方(あなた)は、この風景を信じられますか?20191206230624
私はこの風景のこの場に存在出来たことを信じられませんでした。
それ程、感動を覚えました。
この季節この場に存在出来たこと。 それと、静寂の夜。 正に次のような、こんな精神状態でした。 自然たる神と人間の芸術性が創りえた賜物です。
12月12日に追記です。冬の夜に訪れていますから、外は闇夜です。ライトアップされて四枚の絵画が障子の奥に飾られているが如くの趣です。自然と人間の美意識が融合して創られた芸術品です。
雲龍院のHPから引用させて頂きます。蓮華の間 蓮華の間の障子窓を覗くと椿、灯篭、紅葉(もみじ)、松が見え情緒を醸し出します。
障子の窓からこれらの四点が見えるのは、蓮華の間の一点からのみです。その場所に座布団が一枚置かれています。順番に其処に座り一時の風情を味わいます。こちらが所定の位置からの撮影です。
座布団の上に座っては一枚しか撮影しませんしたが、他の方が座っている時に撮影したものです。
明日は、出かけるので朝が早いです。おやすみなさい。訪問ありがとうございます。
00
御寺泉涌寺別院雲龍院で抹茶を頂いた部屋からのお庭を愛でて。特別拝観の私たちのグループのみです。説明文を書いていても、この三幅の掛け軸の事が気になってしまう。どこの誰の作なのかなど気になってしかたがない。前にも書いたがどこかで目に触れているのであるが、思い出せない。小骨がのどに刺さっている感じだ。20191206222018
こちらの書は、大石内蔵助がこちらに逗留した時に書き留めたものである。
雲龍院のHPの境内ご案内から引用させていただきます。
大石(内蔵助)良雄筆「龍淵」元禄十四年(一六八八)赤穂城を退き山科に浪宅を構え閑居した大石良雄の力強い筆跡の「龍淵」の書が残っています。当院の近くに大石良雄が身を寄せていた来迎院があり、その茶室含翠軒で討ち入りの密議をしたとのことです。
真円の悟りの窓から見えた梅の木です。
私たちが訪れたのは11月29日でした。天皇皇后両陛下がこちらに行幸されたのが11月27日でした。その時の天皇皇后両陛下 行幸啓として載っている記事はこちらです。
秋の京都旅行は勿論、紅葉が主な目的です。手っ取り早くライトアップした素晴らしい歴史を感じる拝観はバスツアーが最高です。目的地から目的地は運んでくれますし、総ての段取りが整っています。我が家がネットで事前に申し込みしていたのが次の写真のコースです。(ちなみに、京都到着後の観光は嵐山を探索しました。)前回のお宿は白河院でしたが、今回は交通の利便性を勘案して新阪急ホテルでした。
ライトアップされた美しい庭園を眺めながらお茶で一服。どこもかしこも素晴らしい京都の紅葉と寺社仏閣でしたが、自分の中では最高のお寺、それが御寺泉涌寺別院雲流院でした。20191206180054
1
2
私たちが乗るバスではありませんが、京都タワーと同じフレームに入るので一枚撮影しました。3
観光バスに乗る集合場所から宿泊したホテルがご覧の通り目の前です。 4
送迎用の大型観光バスに乗って御寺泉涌寺別院雲龍院に向かいます。 5
雲龍院に到着しました。特別拝観していたのは私たちのグループのみでした。バスの車窓から撮影です。 6
家内が撮影していてくれた 御寺泉涌寺別院雲流院の照明です。
7
天皇家にゆかりの有る御寺泉涌寺別院雲龍院の住職さんに説明をこの場でいただきました。天皇皇后両陛下が京都に来られるときはお迎えやお見送りに行かれるようです。宮内庁からご連絡があるとのことでした。高僧、高齢の住職の中にあって若手の住職さんになるようです。本来であれば説明を受けるのもたいへんなことですが、コースに入っている賜かも。写経をする龍華殿かと思います。 8
こちらは抹茶を頂いたお部屋(大輪の間)です。我が家にも雪見障子はありますが、天地ほどの差がある素晴らしいお庭が見えます。ライトされたこの間でお茶を頂けるだけでも、今まで経験したことの無い素晴らしさでした。 9
10
頂いたお抹茶です。茶器は菊の御紋が入った由緒あるもので畏れ多くもまじまじと見入ってしまいました。抹茶椀は貴人台に載って運ばれてきました。少し変わった台でした。 11
わらび餅ですが、食べかけで失礼します。 12
13
正面に紅葉した庭を愛でながら、右手の大石内蔵助の書が額に入った間(大輪の間)です。床の間には三幅の掛け軸がかけられています。 14
こちらに掛かっていた掛け軸は、いつもは掛かっていないようです。この画を美術誌かなにかで見たよう感じがしますが思い出せません。 15
個人的には、経験したくても出来ない経験でした。
今回は、月一の訪問(別荘に来たことの証明としてレシートを添付する。)のノルマをこなす為と一般的なラジアル・タイヤからスタッドレス・タイヤに交換するためのホイールナットを取りに来たことである。前回からディラーに交換をお願いしている。トヨタは特殊な形状のナットでアルミホイールを締める。ラジアルからスタッドレスに交換する時にインチダウンをして、純正のアルミホイールを使用しないでスタッドレス・タイヤとセットでスタンドで購入した。その為にナットが一般的な形状のアルミホイールの物を使用する。それを忘れた為に原村まで取りに来ただけである。なので、以前の富士見のJマート、今の綿半で買い物してレシートをゲットして帰って来た訳である。
日帰りで帰るならと明るいうちに帰り着けば調布近辺の高速での夕方の渋滞に遭遇しないし、ラッシュにも出会わないですると考えて、午後2時過ぎには帰る事にした。
お山の家のランチョンマットも冬バージョンに交換しました。
忘れ物をしないように出発です。前回はタイヤを四本積んでいましたから大変でした。今回は楽勝です。
途中までは富士山が大変よく見えます。以前は土日でも午後に帰宅しましたが今では渋滞が厳しくなりそれも叶いません。助手席の家内がスマホでの撮影ですからシャッターが落ちる為のタイムラグがある為に富士山が見えなくなってしまう事もたびたびです。正面の葉が落ちた木の裏に富士山が見えています。
富士が見える事で富士見です。 原村の隣町です。
高速に乗ると見えやすくなります。
最初で最後のトイレ休憩をとった釈迦堂PAです。
午後4時25分にはナナちゃんの待つ我が家に到着しました。師走とは言え勿論まだ明るいうつに帰り着きました。
別荘で思う事。癒しの空間の別荘がノルマとなっては本末転倒ですが、現実の偽らざる気持ちです。同世代のご近所さんの考えも似たり寄ったりかな~と思っています。
我が家を出発したのは午前9時30分ごろに出発です。平日のこの時刻ですから道路はこんでいますが、調布で中央高速に乗ってしまえば大きな渋滞はありません。調布までの我慢ですが、今日は一般道で渋滞している事も無くスイスイと言う訳ではありませんが、ストレス無く調布です。調布のICでの撮影時刻が午前9時58分です。勿論、助手席の家内がスマホで撮影です。(自宅からの投稿です。既に東京に戻って来ています。) 右二つが都心方面で、左二つが下りの甲府方面です。
調布ICを上って直ぐに雪を頂く富士山が見えました。撮影時刻は午前9時59分です。
八王子の料金所です。午前10時11分撮影です。
間もなく大月JCTです。午前10時34分撮影です。
誰が呼んだか、偽八。茅ヶ岳に失礼千万です。
平日ですから、そこら中で工事が行われていました。いつも思う事ですが、JHのコーンポストの置き方(規制の仕方には)・・・・です。日本は何で一般人を子供扱いするのかな。
八ヶ岳が見えてきました。
土日だと割引があるので安いですが。撮影が11時18分でした。
いつもだと道の駅に寄らすに大平に向けて8%の勾配を上っていきますが、今日は龍園で食事してから峠の我が家に向かいます。
峠の我が家に到着した時の外気温はプラスの3℃でしたが、室温は0.1℃だったとの事。
今日は山水楼龍淵です。午前11時半頃でしたから入った時は我が家のみでした。そのご他のお客様も入ってきました。
こちらを家内が注文しました。
大きな窓から見える山々は甲斐駒ヶ岳など南アルプスの山々です。
運転するのは私のみですから、勿論飲めません。
こちらのスープは各自セルフサービスで頂きます。以前は、コーヒーなどセルフでしたが、今はランチを頂けば100円で頂けます。我が家も頂きましたが写真にはありません。
私が頂いたチャーシュー炒飯と八ヶ岳餃子です。
黒板に書かれていた今週のランチです。
チャーシュー炒飯 ¥1078内
八ヶ岳餃子 ¥693内
100円コーヒー ¥200内
本日のランチ ¥1078内
〆て、 ¥3049でした。
美味しかったです。少し量が多いかもです。
エレベーターで上がった5階ですから、南アルプスの峰々が良く見えますよ。
殉職が正しくないかもしれませんが、正にアフガニスタンに尽くしたその姿は崇高であり殉職そのものだと感じるしたいです。
中村医師の死亡を知り心から哀悼の意を表します。
産経新聞のウエッブ版から引用させて頂きます。
中村哲医師が死亡 アフガン東部で銃撃
アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで4日、現地で医療支援などの活動を続ける日本人医師、中村哲さん(73)らが乗った車が武装勢力に襲撃された。ロイター通信などによると、中村さんは右胸に銃弾を受け、撃たれた直後は意識があったが、運ばれた病院で死亡した。 地元警察によると、同乗していたボディーガードと運転手らアフガン人5人も死亡した。銃撃現場には中村医師以外に日本人はいなかった。犯行声明は出ていないが、イスラム原理主義勢力タリバンは関与を否定している。 中村さんはアフガン支援を行う非政府組織「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表で、長年にわたる医療支援や灌漑(かんがい)事業の指導などで、2018年にはアフガン政府から勲章を授与された。今年10月には名誉市民権も授与された。
ご存知の通り9.11のテロで世界を震撼させたタリバンのオサマ・ビンラディンの闊歩したアフガニスタンです。武力では紛争を解決できたとの信念で医師の立場を越えてアフガニスタンで尽くした中村医師。タリバンですら攻撃対象ではないと声明を発表している。
日本人は平和ボケしているとよく言われます。昨年一年間でアフガニスタンで亡くなった民間人は3800人を超えるそうです。それ程危険な地でアフガニスタンの為に尽くしていた中村医師。その崇高な行いだけでは通用しない世界がある事は十分承知の筈です。それでも災難に遭遇してしまったのである。
平和な天国でアフガニスタンを見守っていると思います。
今年の大使館巡りでアフガニスタン大使館を訪問しました。アフガニスタンが安全な平和な国になり旅で訪問できることを切に願います。タリバン&アルカイダも平和な政治勢力になるかそれとも消滅するかして平和なアフガニスタンを思っていながら天国へめされてしまった。
その一の続きです。個人的には二度もお邪魔したのは6月の落ち着いた佇まいのお寺(宝筐院)が気に入ったからと、そのお寺が紅葉の名所との事ですから外せませんでした。期待を裏切る事の無い宝筐院でした。白河天皇開創で楠木正幸・足利義詮(よしあきら)両菩提所との事でした。
混んでいますから、障子が開け放たれた所を額縁に見立てて庭の紅葉も撮影したいのはだれしも同じです。でも、他人が居ても気にせずに撮影しました。幻想的な素晴らしい姿ではない事を謝罪します。でも、これも事実ですから。
1
2
3
4 多くが落ち葉になり赤い絨毯状態ですが、これも大好きです。
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
お宿の本来の目的の夜露をしのぎ、安眠をむさぼる為のホテルです。特に高級でも特に素晴らしい訳でもありません。何で選んだがと言えば、京都駅の真ん前の交通至便のお宿だからです。京都観光にはある意味最高のコストパフォーマンスのホテル、それが今回の京都新阪急ホテルでした。
交差点で信号待ちの場所から京都新阪急ホテルを撮影です。
入り口を入りロビーとレストランの中間にあるディスプレイです。和のイメージを表現しているのも京都らしい感じです。円の窓と表題が付いていますが、こちらを見た時「茅の輪」と思い出しました。
御所車を連想しました。
金曜日から日曜日までの二泊三日お世話になりました。お部屋は7階です。予約表によると『禁煙モデレートツイン2~3名』とないました。3名は無理な感じがしますが、子供と川の字になるのでしょうか。でも、モデレートツインと有りますからエキストラベットが入るようです。
日本人には気になりませんが、外国では枕にこだわる為か一つのベットに三つ位硬さなどが少し異なるものが置かれています。でも、欧米人も宿泊すると思いますが一つのみベットの上に置かれていました。クロークに他の種類の枕が有るのか気にもしませんでしたが。
TVやクロークや冷蔵庫など、勿論有りましたが撮影してありませんでした。水回りです。
多分、基本的なツインルームの筈です。次回も利用するかもです。
三日目の今日は足がパンパンで疲れが残って居る感じ。
本来であれば、宿の京都駅から近い東本願寺、西本願寺、そして二条城を巡るつもりでした。
西本願寺のみカットしましたが満足の三日目の京都旅行でした。
(ここからは追記です。
京都の新幹線の激混みの待合室で待機して、10分前にホームに上がりました。午後3時8分発ののぞみです。ホームに上がると沢山の方が隣の隣の隣、即ちレールで三本先のホームにドクターイエローの車体に携帯等のカメラを向けていました。その先にはドクターイエローが停まっていました。我が家も撮影させて頂きました。撮影時刻は14時58分でした。)
帰りの新幹線は京都発15時8分のぞみ323号普通車・指定席 禁煙です。
東京17時23分着でした。
新幹線の車内で老人会の方たちのグループでしょうか、大きな声で会話していました。
その方の声で家内が気が付き私を起こしてくれて、富士山の山頂に雲の傘がかぶっていました。翌日は雨との富士山天気予報だそうです。
我が家に向かう最後はタクシーを利用したので、東京駅で新幹線を降りてから50分でナナちゃんと会う事が出来ました。
三日目の観光は、少しノンビリ朝食を摂り徒歩で東本願寺に向かいました。
参観も済ませて、ホテルに戻り少し休み午前11時のチェックアウトの少し前に荷物を預けて次の観光地の二条城に向かいまいました。時間的にはゆとりが有りますが体力が無くホテル前に停まっていたタクシーで二条城に向かって頂きました。
唐門です。豪華でシックな感じがお寺とは少し違います。
大政奉還されて場所がこちらの二条城である事を知りました。
銀杏の黄葉がひと際目立ちました。
あ