城壁の正門(海の門)を潜ると そこは 「武器の広場」
その広場に建つ 「時計塔」 が目の前に迫る。
時計塔は コトルがベネチアの支配時代の
1602年に建てられたもので
ルネッサンス様式の 4層構造の建物だが
度重なる地震のため ピサの斜塔ならぬ
若干 全体が西側にかたむいているそうだ。
当初 時計は一面だけだったが
あとから 南側にも 時計が取り付けられて
今は コトルのシンボルになっている。
地震の話があったが ここでも 日本との関わりがあった。
1979年4月の震災により 街の半分が被災し
100人以上の死傷者がでて
日本からも支援の手がさしのべられ
復興の一助になっていた。
2011年の東日本大震災に際し
モンテネグロ政府は コトル市の協力により
震災支援の一環として
宮城県七ヶ浜町の中学生等計 11名が
2012年8月 12日間 モンテネグロに招待されている。