あかない日記

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実業家 金原明善

2022-01-14 | 人物忌


   (NHK「英雄たちの選択」から 画像は以下同じ)

 

1月14日は 明治時代の実業家
 社会運動家 金原 明善 が
亡くなった日

 

金原 明善(きんぱら めいぜん)は
静岡県浜名郡和田村村長 
また
天竜川の治水事業・北海道の開拓
・植林事業など
国家社会公共
のために一生を捧げ
近代日本の発展に活躍した。

1832(天保3)年
 遠州国長上郡安間村
   (浜松市東区安間町)の豪農の
  長男として生まれる。

  幼名 弥一郎,のち
  8代目久右衛門を襲名
 後に明善と名乗る。

幕末に名主を務め
領主松平家の家政整理をする。

また 横浜に輸出商を出店したが失敗
維新後  第56区戸長となった。

 

 

1872(M5)年
 浜松県より堤防方付属を命ぜられたのを機に

 ,宿願の天竜川治水事業に挺身することを決意
1874(M7)年
 天竜川堤防会社を設立

1875(M8)年 
 改称した治河協力社総裁専務となり,

 水害が頻繁する天竜川河川改修と
 堤防修築,架橋などを計画した。

1878(M11)年 
 私財6万余円を治河協力社に寄付し
 事業の発展を策した。.

1885(M,18)年
 下流域諸村と紛議を生じ
 また大河川治水対策が政府直轄工事となったため

 「治河協力社」を解散 治水事業から撤退し
 第2の宿願である天竜川上流の植林事業に着手
1885(M,18)年
 静岡県豊田郡瀬尻村(磐田郡竜山村)の
 官林600haに杉・檜苗270万本の栽植を
 農商務省静岡山林事務所へ出願して許され

 以後13年間の植林は約760ha
 292万本におよんだが

1898(M31)年 これを献納した。
 またその周辺地で買収した山林1200haにも
 400万本を植林し“金原林”と称したが

1904(M37)年
 これも国に寄付して三方原の
 灌漑疎水事業のための
「金原疎水財団」を設立した。

 


○経済活動

東京の取引先 銀行丸屋銀行の整理にかかわり
1884(M 17)年
 東里為替店を設立し

1900(M33)年
 「金原銀行」
 (S15年三菱銀行に合併)とする。

また開通した東海道鉄道を利用して
木材運送のための
「天竜運輸株式会社」を
設立するなど実業面でも活躍


○社会事業
1880(M13)年以降
 刑期を終えた人の保護事業に関与し
 「静岡勧善会」「浜松勧善会」を設立

1888(M,21)年
 「出獄人保護会社」を設立

1907(M40)年
 2年間郷里の和田村村長

○北海道開拓事業
 1900(M33)年
 北海道瀬棚郡に金原農場を創設

 

1923(T12)年1月14日 死去 92歳


現在 浜松市の生家近くに
 「明善記念館」がある。

 

 

参考:・NHK「英雄たちの選択」
   ・「コトバンク」

 

 



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