あかない日記

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放浪の画家 長谷川利行

2021-11-12 | 人物忌


  長谷川利行碑(台東区上野恩賜公園 弁天島)

 

 
 (NHK ETV日曜美術館から)

 

10月12日は 画家 長谷川利行が亡くなった日

長谷川は 
放浪の画家・日本のゴッホとも呼ばれる。


説明文には
「長谷川利行 
 放浪の画家・日本のゴッホ

・1891年(明治24)7月9日京都に生まれる。
・1921年(大正10)上京・博文館にて
 生田蝶介を知り小説を発表。

 岩田専太郎、矢野文夫等を知る。
・1923年(大正12) 関東大震災起こる。
 震災を歌った歌集「火岸」を
 発行、京都に帰る。

・1926年(大正15)再び上京、日暮里の寺に住む。
 第7回帝展に「廃道」入選。
 第13回二科展に「田端変電所」初入選。

・1927年(昭和2)第14回二科展に
 「酒売場」「麦酒室」「鉄管のある工場」入選、
 樗牛賞を受賞。

・1928年(昭和3)里見勝蔵・藤川栄子・
 靉光・井上長三郎・麻生三郎・
 吉井忠・寺田政明等後の
 自由美術家協会の画家達を知る。

・1932年(昭和7)浅草今戸に仮住まい。
 浅草・千住・三河島・荒川放水路界隈を放浪す。
 天城俊彦(高崎正男)を知る。

・1936年(昭和11)新宿・天城画廊で個展5回開催する。
・1937年(昭和12) 伊豆大島に遊ぶ。
 天城画廊で個展10回、
 喫茶店「エルテル」等で数回開催。
 二科展を去る。
・1939年(昭和14)胃潰瘍に苦しむ。
 千葉県太海・勝浦に写生旅行。

・1940年(昭和15)三河島救世軍宿泊所に住む。
 5月17日、三河島駅付近の路上で倒れ、
 行路病者として東京市立養育院
 板橋本院に収容される。

 10月12日胃癌で死去、満49歳。
 遺品類(絵も含む)すべて焼却される。

・1969年(昭和44)熊谷守一先生・
 洋画家揮毫の「長谷川利行碑」、
 有島生馬先生・洋画家揮毫の歌碑が
 台東区不忍池弁天島に建立さる。

 10月15日羽黒洞主催の除幕式行われる。 
   正像院利行日描居士
   羽黒洞主催遺作展数回開催


「養育院第五病室ニ胃ノ手術デ゙居リマス。
 午前中二一度ミニ来テ下サイ。

 詩集一冊下サイ。午後三時頃デモ
 何時デモヨロシイノデス。


(至急来テクレナイト死亡スル、
 動ケナイノデス)。
 市電板橋終点ヨリ二丁ホドノ処デス。
 何カ見学ニナルデシヤウ。氷サトウ、
 ゴマ塩一ケ忘レズニ持ッテ来テ下サイ。
 オ願ヒシマス。
 何カ甘イ菓子一折リ下サイ。死別トシテ。」

 矢野文夫宛  長谷川利行 出

 昭和15年10月12日 満49才没


 人知れず 朽ちも果つべき身一つの
 いまがいとほし 涙拭わず
 己が身の影もとどめず 水すまし
 河の流れを 光りてすべる 
  利行短歌



  (NHK ETV日曜美術館から)

 

 

 



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