赤枠は町名 (資料:「江戸散歩・東京散歩」)
前回「マチ」と呼ぶ町名に
触れましたが
今回は「チョウ」の話
東京・千代田区には「番町」
(ばんちょう)という地名があり
「チョウ」と呼ぶ町名の代表格
各番町には「町名由来」と
「江戸と現在の地図」が
並列しての説明板が建てられている。
その説明では
この地域は 家康が
江戸入りした直後に
親衛隊である番方(武官)の
旗本集住地区を
城の西側に割り付けた。
番方は 1~6番の組に
分け計画的に配置した。
これを 番丁 呼んだことが
地名の起こりで 町名も
一番町から六番町までと
なっている。
しかし 当時その分かりにくさは有名で
“番町に居て番町知らず” など
数多くの川柳が生まれている。
町名は 在も使われているが
江戸時代の大番組の組番号と
現在の町目の境は 必ずしも
一致していないという。
二番町
五番町
気付いた事ですが、宮崎県ではすべての町が「チョウ」、熊本県ではすべての町が「マチ」と言っていました。
ふとした事から気付きましたが、何故なのかは調べておりません。
県をまたぐだけで呼称も違うなんて不思議ですよね!
「マチ」と「チョウ」の呼び方は複雑ですね!
この回の前 5/16でも触れておりますが
また 都道府県別に調べた方がおりますので
併せて ご覧いただければと思います。
*参考:
「マチ」と「チョウ」の日本の町
→ 勢力地図
今後も よろしくお願いいたします。