あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ベトナム紀行(131) 彫刻碑

2014-10-16 | ベトナム紀行

 

アイホイ橋を渡ったドゥボン川端に 記念碑が建てられている。

何の碑かと見たら 2006年に世界遺産記念国際彫刻シンポジウムが

ホイアンで
開かれた時のもののようで 

ドイツ ポーランド アジア各国の国際的な彫刻家

 
17人の名が刻まれている、

日本人 中川洋 谷村敬八郎 山下晴子 堀庸師 の名もあった。

石川県美術に関わる作家の方々のようだ。

川沿いにその作品が展示されてあったようだが

 見落としてしまった

 


ベトナム紀行(130) アイホイ橋

2014-10-15 | ベトナム紀行

 

来遠橋に次ぐ 有名な 「アンホイ橋」 は 

バクダン通りと その向こうの岸 トュボン川の中州

 アンホイ島とを繋ぐ 50mほどの短い橋だが 

周辺の橋までは 遠いので この橋は 人の往来で混雑している。

また 船の往来にも対応しており 中央部分は跳ね橋にもなっている。

夜になると 赤 黄色 青色など 色とりどりのランタンが灯り

トュボン川には 灯篭流しが浮かび 

昼の橋とは ガラリと趣が変わり 

よりホイアンの町の美しさを 醸し出されている。

 

 

 


ベトナム紀行(129) テーラーメイド

2014-10-14 | ベトナム紀行

 

 

 ホイアンは洋服の仕立て屋さんが多くあり その数3ケタとか。

かつて交易で栄えた街であり 

質のいい布や繊維が集まる場所だったことから

 必然的にそれらを洋服に仕立て上げる

「テーラーメイド」の洋服屋が増えていったらしい。

 

この店 現地の庶民向けの店だが 

店先には ミシンを備え女性がスタンバイしている。

即日に仕立ててくれるのであろうか? 

 

観光客向けのショップとしては 

市内に「ヤリー」という有名な店がある。


日本人が多く利用する店と見えて 日本語による対応で

 日本人向けのオーダーメイドの冊子や 

男女ともカタログ写真も揃えており 

オーダーメイドには1から3日要するとのこと。

 


ベトナム紀行(128) 刺繍画

2014-10-13 | ベトナム紀行

 

  

メインストリートのひとつ、チャンフー通りを行くと

 また何の店か分からない建物があった。
 

店内には絵が飾れて画廊であった。

この通りには 多くの画廊があるそうだ。


しかし 飾られている絵は 普通の絵ではなく 

すべて刺繍で 細かい図柄も鮮やかな色も 
時に千色近い色糸を使い 

手で絵画のような刺繍を縫いあげる 糸の芸術画になっている。


この画廊は、刺繍を使って絵を描く 「刺繍画」 の店。


ベトナム刺繍は 王宮を飾るために誕生し 今に受け継がれた技術。

王族たちの衣装を飾る刺繍専門の職人が育成され 

今では 豊かな自然や南国ならではの 鮮烈な色彩を表現した

 刺繍の美を開花させている。

 

 



 


ベトナム紀行(127) ホテル?

2014-10-12 | ベトナム紀行

 

 

 

 

チャンフー通りを行く この古い建物 何のお店かと思ったら 

 

 なんと! これがホテル?

築200年以上の中国式家屋を改装した

「ヴィンフイ」というホテルだった。


 

外観も内装も 当時の雰囲気を忠実に再現して ムード満点とのこと。 

エアコン TVなどの設備は 近代的なものが揃えられているが 

天井は低く 床もギシギシと揺れるほどであったが 近頃改善はされたようだ。


まあ~ 快適な滞在を求める人には不向き。


しかし 他では得られないホイアンならでの気分が

味わえると人気があるそうだ。

 


ベトナム紀行(126) 広肇会館

2014-10-11 | ベトナム紀行

 

 

来遠橋(日本橋)から チャンフー通りを 行くと すぐに

 立派な門構えを持つ 「広肇会館」 がある。

中国の広州と肇慶出身者たちの 同郷人集会所と云うことで

 別名 「広東会館」 ともいい 1786年に建てられている。

この同郷人集会所は 「県人会的館」で 

同胞の生活上の相互扶助に加え  経済事業も展開しているようだ。

そのためか 門や建物は 

 中国風そのものの建築になっており 

中央には 商業の神様『関羽』が 祭られている。

また 裏には タイルと陶器で飾られた 9つの頭をもつ 龍が置かれて

奥の祭壇には 天后聖母が祀られているそうだ。

因みに ホイアン市内には このような会館として

福建会館 潮州会館 中華会館 もある。

 


ベトナム紀行(125) チケット売場

2014-10-10 | ベトナム紀行

 

”バクダン通り”は ドゥボン川沿いに平行にある道。

洒落たレストランやカフェが並び 

夜には 川沿いを中心に屋台が立つ。

その一角に チケット売り場がある。

ホイアンでは 各種見所が満載だが、

それぞれのスポットで見学料を払うのではなく

一括払いのチケット制になっている。

街の18ケ所に 売り場が設けられている。

チケットは 5枚綴りの一枚9万ドン(5USドル)で

 それぞれのスポットで1枚を使う仕組み。


 有効期限は購入から24時間以内。

                             見学できる個所は

         1. 博物館(サーフィン博物館 貿易陶磁博物館 歴史文化博物館 民俗博物館)
         2. 中華会館(潮州会館 広肇会館 福建会館)
         3. オールドハウス(チャン家の祠堂 フーンフンの家 クアンタンの家 タンキーの家)
         4. 無形文化館(伝統音楽コンサート 手工芸品ワークショップ)
         5. 関公廟 来遠橋(日本橋)


ベトナム紀行(124) 本屋

2014-10-09 | ベトナム紀行

 

 「フーンフンの家」の前には

英語とフランス語を中心とした書籍を取り扱う店「アートブック」があった。


「フーンフンの家」と同く ホイアン伝統建築を上手に利用して 

壁一面に書籍がディスプレイされて 最近にオープンしている。


書籍や 色鮮やかなホイアンならではのスケッチブック本のほか

、ポスター絵葉書や 土産に喜ばれそうなアイテムが揃っている。

この店 現在、ホーチミン市に5店舗営業しているが 

ホイアンへは初出店とか。

 


ベトナム紀行(123) フーンフンの家

2014-10-08 | ベトナム紀行

 

日本橋を渡って グエンティーミンカイ通りに入ったすぐ右手に

ホイアンの独特な邸宅建築の「フーンフンの家」がある。


 200年前に作られた貿易商人の家で

ベトナム 中国 日本の建築様式が入り混じった木造造り。、

この家 生活の知恵がほどこされており

ホイアンは 洪水に見舞われることが多いため

洪水の際には1階から2階へと荷物を上に運べるよう

 天井には四角い窓がある。


ということで 1階は 机と椅子だけで 無料でお茶も飲める。

2階が土産物屋になっている。

 「フーンフン」は 漢字では「馮興」

また 一般開放されているが 今でも家族が住んでいるとのこと。

因みに このようなオールドハウスとして市内に

 廣勝家(クアンタンの家) 進記家(タンキーの家)がある。、

 

 

 


ベトナム紀行(122) 来遠橋の伝説

2014-10-07 | ベトナム紀行

                                                                ランタンには片仮名で「ホイアン」とある。

 

来遠橋の途中 北側に 領土を守り 人々に幸福を与える神である

”北帝頙武”を崇拝する小さな寺がある。

これには 謂れがあって「来遠橋の伝説」になっている。

ホイアンでは 大怪物ナマズ(又は龍)があばれて

地震や洪水の災害を起こすと 伝えられており

それを鎮める為に この橋をつくり退治し 橋の中に廟を建てたとも言われて

 ”ベトナムの七不思議” にも 数えられている。

しかし 実際には 航海の無事を願っての廟であったということのようだ。

また この橋は 猿年に着工し 犬年に完成したことから

 橋の両脇には 猿 と 犬の道祖神が祀られてあった。

 

 


ベトナム紀行(121) 来遠橋 (日本橋)

2014-10-06 | ベトナム紀行

南側から見た来遠橋 左(西)に日本人街 右は華僑街になるという。

 

ホイアンといえば この橋の絵が ベトナムの新2万ドン札に

 また 旅行雑誌や パンフレットに 掲載されており

 代表的な観光スポットになっている、


堀に架かった屋根付きの15mほどの太鼓橋で

「来遠橋」(らいおんばし)という。

 
中国風ではあるが”日本橋”とも呼ばれている.

1719年ベトナムのグエン・フック・チュ主は ホイアンを訪問したおりに

ライヴィエン(来遠:遠いから来る友達)橋を名づけたという。

日本橋(来遠橋)は 日本から朱印船で荒波の中40日もかけて

このホイアンと交易していた時代に作られた。

日本人とベトナム人の友好関係の象徴でもあるので

 親しく 渡ることに。

 

 


ベトナム紀行(120) ホイアン (世界遺産)

2014-10-05 | ベトナム紀行

                                                 川面にランタンが映る ホイアンの夕暮れ

 

ダナンから 南東約30km トゥボン川が 南シナ海流れ出る

三角州にある 古都ホイアンは 

かつては
中国やインド アラブを結ぶ 中継点の

国際交易都市の面影を 今に伝える港町。


16世紀から発展した ホイアンの町並みには

戦禍を逃れた 400軒以上の木造建築が建ち並び、


昔と変わらぬ人々の暮らしが 垣間見れるが

 世界遺産には 1999年に登録されている。


16世紀後半から17世紀にかけて 

アユタヤ マニラ と並んで日本人町も造られて

 最盛期には数百人の日本人が住んでいたといわれる。


その後 江戸幕府の鎖国政策で日本人町は衰退し

 今では 市内にある「日本橋」や日本人墓地が

その面影を残すだけになっている。
 

また 日本人住んでいた家屋は京都の町屋に似た

ベトナム伝統の奥行きの長い構造をしているが

華僑の人々が多く移り住んだため

中国南部の色合いが濃くなっている。

 

 

 


ベトナム紀行(119) シルクショップ

2014-10-04 | ベトナム紀行

 

ツアーバスは ホイアン市内に入る。

 ホイアンには シルクショップが多くあるが

 その一つ ファンチューチン通りにある

「タンロイ」という店に案内される。 

ゴザ 木彫りの民芸品から刺繍・アオザイなど

シルク製品などを手作りしている工房で

シルク生地の生産 蚕養殖から生地から生地生産までの

過程やシルク刺繍絵も見学できる。

アオザイのオーダーメイドもできるとのことで

 盛んに売り込みがあった。 

当方には関心がなく 適当に時間を潰すことにした。

 

 


ベトナム紀行(118) 日本人墓地

2014-10-03 | ベトナム紀行

                                     水田の中央に墓が見える。



ダナン市内を抜け ホイアンの手前で 

ガイドから「この先に「日本人墓地」が見えてきます!」と

案内があり 遠く水田の中に それらしきものは見えたが

 そのまま通過してしまった。 

 この墓地は 谷弥次郎兵衛という商人のものという。
 
幕府の鎖国政策による外国貿易禁止令がだされて

帰国しなければならなかったが

 
しかし ホイアンに残した恋人に会うために戻り

 1647年に この地で病死したという。  

この墓は 亀甲墓で日本の方角を向いて建っており

今でも 現地の人たちが 墓守りをしてくれているそうだ。

観光客がやって来ると どこからともなく

現地人が駆けつけてきて線香を売ってくれとか。
 

この他にも ホイアンには

「顕考潘二郎 宇日純信墓」の石碑と

堺の貿易商人「具足君墓」の日本人墓地が 2か所あるとのこと。


いづれも 鎖国政策の時代 日本に戻れなくなり 

異国の地に眠ることになった商人たちであった。

 

 


ベトナム紀行(117) 五行山

2014-10-02 | ベトナム紀行

 

ダナン市街から7kmほど南下して ホイアンに向かう途中

 平坦な地に 突然 森のような山が見えてくる。

これが ダナンの観光スポット「五行山」で 

標高は 100m程度 大理石でできていることから

「マーブル・マウンテン」とも 呼ばれている。

山は 火・水・木・金・土と 

それぞれ名付けられた 五つの山の総称である。

長い階段の先には 寺院や洞窟 鍾乳洞がある。

洞窟内の仏像は 当時中部に住んでいた

日本人が寄付したといわれる石碑もある。

途中まではエレベーターもあるようだが

特に 洞窟の内部では 天井の割れ目から光が差し込んで

 神秘的な光景も見ることができ

昔は この一帯は 大理石の産地だったが 

今は掘り尽くして輸入石材で お土産の石像を作ってるとか。