「音楽的に間違ってる!?」の記事を書いたら、いくつか「それでそのYouTubeのリンク送って」というメールもらったりとかして、
←自分が好きなものだけ聞いてりゃいいことではあるけど
まぁ…
そりゃそうですよね。思わせぶりな書き方でほんと申し訳ありません。けどさすがに名前書くわけにもいかないから…
私も、ご本人がどう思って(考えて)弾いてるのかとかすごい興味あるんですけど、これまた一生聞く機会もない(聞くわけにもいかない)からね。
それで、何人かの人にYouTube聞いてもらった感じだと、
・その当日の演奏は、このYouTubeよりかなり極端だったらしい。
・生で聞くインパクトとYouTubeはぜんぜん違う。
という二点からか、「好みじゃないけどこういうのもありなのかも??」くらいの反応が多かったです。
では、誰かの好みではあるのかどうか、というのが次に気になるところですが。
私の「聞いてて気持ちいい感じ?」というのが説得力ないのはまぁともかくとして(笑)
----Shigさんがまとめてくれたように:
音楽の三要素ってのがあるので、
・旋律が美しく歌えていること
・リズムが活き活きとしていること
・和声の変化を感じて活かしていること
が音楽の基礎です。
これにさらに演出法が加わって「いい演奏」になる
----
と、ちょっと具体的にしてみても、
・これが「音楽の基礎」だと認めてくれない人がいたり、
・くだんの演奏がこれにかなっていると判断する人がいれば、
結局のところ、ある演奏を「音楽として間違っている」として合意に達する(公共性を持つ)という話はすっごく難しいんじゃなかろうかと。
ここから先につっこんでいくほど私は音楽に詳しくないのですが、ここまで来ちゃったからには個人的な意見を書きます。
たとえば、「好みの問題」って話がありますよね。
ここでショパンソナタ第三番の終楽章の演奏で
辻井伸行
ランラン
だったら、あなたどっちが好きですか?
私は両方好きなんですが、ランランの演奏を聴きながら、「うわーここまでやるんだ」ってウケてたりしました。くどいくらいの間の取り方、ルバート、ノンペダルに近い部分の作り方とか、よくわかんないけど「標準」「お手本」ではない部分がありますよね。
たぶん、辻井演奏のほうが「これ嫌」って人は少なくて、ランラン演奏は嫌って人がけっこういるはずです。YouTubeなので評価がついてますが、それを見てもざっくりそういう傾向があるように思えます。
でもそれは、辻井のほうが「正解(?)」に近いとかそういう意味ではなく、また、ランランのほうが「個性的」とかそういう意味ですらないと思うんです。そういう感じに、かなり広い範囲が「好みの問題」で囲われると思うんですが…
極端に速さを追求すると、音楽の美しさおもしろさ気持ちよさを盛り込める部分がツブレちゃって、せっかくのショパンがもったいない、とは思うんです。どのくらい速いとツブレるかは、たぶん技術によって大幅に違うんでしょうけど、どこかで限界というものはあって、というか、作曲者が意図していた演出とはとにかく違うものになるでしょう。
なんとなく、ショパンさんが聞いたら、「んーなるほどそれもあるか」と思ってくれるかくれないか、というような(笑)
線はあるのかなと。でも、ショパンが納得しないゾーンにつっこんでいったとしても、それを聞いて楽しむ人がいればそれはまたクラシック音楽とは違う別ジャンルとして…フックト・オン・クラシックみたいに。そういうことはあるとしても。
そういう意味で、線引きというものはやはりあってしかるべきだとは思うんだけど、でも、それは人によってずれる。特に、コンクールの場みたいなところで、全員の合意を追求していくとついつい、「好みの問題」の部分を脇におくため、万人に共有できる、「速くて正確」というようなところへ引きずられていきやすい…のかな、ということをまとまりなく考えたのでした。
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そりゃそうですよね。思わせぶりな書き方でほんと申し訳ありません。けどさすがに名前書くわけにもいかないから…
私も、ご本人がどう思って(考えて)弾いてるのかとかすごい興味あるんですけど、これまた一生聞く機会もない(聞くわけにもいかない)からね。
それで、何人かの人にYouTube聞いてもらった感じだと、
・その当日の演奏は、このYouTubeよりかなり極端だったらしい。
・生で聞くインパクトとYouTubeはぜんぜん違う。
という二点からか、「好みじゃないけどこういうのもありなのかも??」くらいの反応が多かったです。
では、誰かの好みではあるのかどうか、というのが次に気になるところですが。
私の「聞いてて気持ちいい感じ?」というのが説得力ないのはまぁともかくとして(笑)
----Shigさんがまとめてくれたように:
音楽の三要素ってのがあるので、
・旋律が美しく歌えていること
・リズムが活き活きとしていること
・和声の変化を感じて活かしていること
が音楽の基礎です。
これにさらに演出法が加わって「いい演奏」になる
----
と、ちょっと具体的にしてみても、
・これが「音楽の基礎」だと認めてくれない人がいたり、
・くだんの演奏がこれにかなっていると判断する人がいれば、
結局のところ、ある演奏を「音楽として間違っている」として合意に達する(公共性を持つ)という話はすっごく難しいんじゃなかろうかと。
ここから先につっこんでいくほど私は音楽に詳しくないのですが、ここまで来ちゃったからには個人的な意見を書きます。
たとえば、「好みの問題」って話がありますよね。
ここでショパンソナタ第三番の終楽章の演奏で
辻井伸行
ランラン
だったら、あなたどっちが好きですか?
私は両方好きなんですが、ランランの演奏を聴きながら、「うわーここまでやるんだ」ってウケてたりしました。くどいくらいの間の取り方、ルバート、ノンペダルに近い部分の作り方とか、よくわかんないけど「標準」「お手本」ではない部分がありますよね。
たぶん、辻井演奏のほうが「これ嫌」って人は少なくて、ランラン演奏は嫌って人がけっこういるはずです。YouTubeなので評価がついてますが、それを見てもざっくりそういう傾向があるように思えます。
でもそれは、辻井のほうが「正解(?)」に近いとかそういう意味ではなく、また、ランランのほうが「個性的」とかそういう意味ですらないと思うんです。そういう感じに、かなり広い範囲が「好みの問題」で囲われると思うんですが…
極端に速さを追求すると、音楽の美しさおもしろさ気持ちよさを盛り込める部分がツブレちゃって、せっかくのショパンがもったいない、とは思うんです。どのくらい速いとツブレるかは、たぶん技術によって大幅に違うんでしょうけど、どこかで限界というものはあって、というか、作曲者が意図していた演出とはとにかく違うものになるでしょう。
なんとなく、ショパンさんが聞いたら、「んーなるほどそれもあるか」と思ってくれるかくれないか、というような(笑)
線はあるのかなと。でも、ショパンが納得しないゾーンにつっこんでいったとしても、それを聞いて楽しむ人がいればそれはまたクラシック音楽とは違う別ジャンルとして…フックト・オン・クラシックみたいに。そういうことはあるとしても。
そういう意味で、線引きというものはやはりあってしかるべきだとは思うんだけど、でも、それは人によってずれる。特に、コンクールの場みたいなところで、全員の合意を追求していくとついつい、「好みの問題」の部分を脇におくため、万人に共有できる、「速くて正確」というようなところへ引きずられていきやすい…のかな、ということをまとまりなく考えたのでした。
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