今日の書道レッスンでは、「蘭亭序」の臨書六回目でした。
←臨書はバッハ弾くのに似ている。という気がしてきた
だんだん進んできましたよ…






ひと月に一回レッスンに行って、一回に12枚くらい書くんだけど、その中で(いちおう)仕上げて、次のレッスンでは次の文字へ。
一回に一課題終わらせるというのはなかなかの「インスタント進行(手抜き)」らしいけれども、なにしろ先が長いもんで、書いてるうちに寿命が尽きそうだからサクサクモードで行かせてもらってます。
臨書というのは、元々の(王羲之の)字の特徴を捉えて書くというところがミソなんだけど、
元はこんな感じ:

ぱっと見、確かに美しい字なんだけど、よく見るとバランス(大きさ)が変だったり、
字の形も標準と違っていたり、
重ね書きでぐしゃっとなってたり、
まぁいってみれば「ライブ」の味のある字。
(実際、興がのったときに一気に書いた作品らしい)
これを四文字とか五文字とか切り取って、半紙にひとつの作品として収めるってことは初心者には難しい。
それで、元の字の特徴をなるべく生々しく捉えつつ、
書道作品として折り合いをつけてまとめてお手本として書いてもらったものをコピーするという形で練習する。
それなら、臨書でないときに楷書・行書・草書の練習でやっていたのと同じ、要するに先生のお手本をコピーするという行為なんで同じじゃないかと思うのだけど、
それが、やはり字の形が標準と違うというところが曲者で、
素直にコピーして書こうとしているんだけれども、
ん???
…形がとれない…
ってなことになって、とりあえずだいたい形をとって書けた(お手本を劣化コピーしたw)という状態になるまでの枚数がちょっと余計にかかる感じである。
それから、さらに何枚か書いて筆運びが伸び伸びしてくるときに、
逆になんかお手本から外れそうになるんだけど、
ふつうの楷書・行書・草書なら、お手本から外れて自分の字になってもそれはそれでかまわない(正解が決まってるわけではない)のと違って、
とにかく「元の字に似せる」のが至上命題なので、好き勝手に書くわけにはいかない。
でも、今ここまでコピーしようとしてきた元は、ほんとの元ではなくていわば先生の作品(解釈版)なので、それとexactly sameでなくてはいけないというわけでもない。
それで、先生のお手本と、王羲之の字と、両方を見比べながら、自分の筆が向かうところの癖と、半紙サイズと、あれこれ折り合いをつけつつバランスを取ろうとして何枚か試行錯誤。
そんなこんなで12枚でとりあえずの到達点にもっていくのは難しい(と感じる)
でも六回無理やりそうやってある程度慣れてきて、まぁ12枚で区切りつけるのでもいいかと。
それはつまり、王羲之の字の特徴を汲んで作品にまとめることに慣れてきたということなんだろうけど。
別に自分らしさを出そうとしているわけではなくて、可能な限り忠実に書こうとはしているのだけど、なんか収まるべきところに収まった感じがするときには、明らかに自分らしさも匂っている。王羲之らしさというフィルターを通して自分らしさの一側面を発見したような気もする。そこがおもしろい。
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だんだん進んできましたよ…






ひと月に一回レッスンに行って、一回に12枚くらい書くんだけど、その中で(いちおう)仕上げて、次のレッスンでは次の文字へ。
一回に一課題終わらせるというのはなかなかの「インスタント進行(手抜き)」らしいけれども、なにしろ先が長いもんで、書いてるうちに寿命が尽きそうだからサクサクモードで行かせてもらってます。
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元はこんな感じ:

ぱっと見、確かに美しい字なんだけど、よく見るとバランス(大きさ)が変だったり、
字の形も標準と違っていたり、
重ね書きでぐしゃっとなってたり、
まぁいってみれば「ライブ」の味のある字。
(実際、興がのったときに一気に書いた作品らしい)
これを四文字とか五文字とか切り取って、半紙にひとつの作品として収めるってことは初心者には難しい。
それで、元の字の特徴をなるべく生々しく捉えつつ、
書道作品として折り合いをつけてまとめてお手本として書いてもらったものをコピーするという形で練習する。
それなら、臨書でないときに楷書・行書・草書の練習でやっていたのと同じ、要するに先生のお手本をコピーするという行為なんで同じじゃないかと思うのだけど、
それが、やはり字の形が標準と違うというところが曲者で、
素直にコピーして書こうとしているんだけれども、
ん???
…形がとれない…
ってなことになって、とりあえずだいたい形をとって書けた(お手本を劣化コピーしたw)という状態になるまでの枚数がちょっと余計にかかる感じである。
それから、さらに何枚か書いて筆運びが伸び伸びしてくるときに、
逆になんかお手本から外れそうになるんだけど、
ふつうの楷書・行書・草書なら、お手本から外れて自分の字になってもそれはそれでかまわない(正解が決まってるわけではない)のと違って、
とにかく「元の字に似せる」のが至上命題なので、好き勝手に書くわけにはいかない。
でも、今ここまでコピーしようとしてきた元は、ほんとの元ではなくていわば先生の作品(解釈版)なので、それとexactly sameでなくてはいけないというわけでもない。
それで、先生のお手本と、王羲之の字と、両方を見比べながら、自分の筆が向かうところの癖と、半紙サイズと、あれこれ折り合いをつけつつバランスを取ろうとして何枚か試行錯誤。
そんなこんなで12枚でとりあえずの到達点にもっていくのは難しい(と感じる)
でも六回無理やりそうやってある程度慣れてきて、まぁ12枚で区切りつけるのでもいいかと。
それはつまり、王羲之の字の特徴を汲んで作品にまとめることに慣れてきたということなんだろうけど。
別に自分らしさを出そうとしているわけではなくて、可能な限り忠実に書こうとはしているのだけど、なんか収まるべきところに収まった感じがするときには、明らかに自分らしさも匂っている。王羲之らしさというフィルターを通して自分らしさの一側面を発見したような気もする。そこがおもしろい。
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