音楽家は「二世」が多いけれど、才能には遺伝もあるだろうし、それ以上に環境が大切と考えればまぁ当たり前の話だ。
←ピアノ弾く以外のこともこんなに考えてるピアニストはレア
もちろん「二世」でない優れた音楽家もいるけれど、幼いころに音楽との出会いがあり、親は音楽の専門家ではないなりに全力で応援してくれたということが多いと思う。
(例: 対照的なバイオリニスト-諏訪内晶子と五嶋みどりの諏訪内さん)
「終止符のない人生」(反田恭平) ←今日、本屋で見て衝動買い
ところが反田恭平はぜんぜんそれにすら当てはまらず、11歳まではサッカーがメインで…骨折で挫折してからようやく本格的にピアノ。
ここから「近所」という理由で桐朋学園の「子供のための音楽教室」に入るのだけど、楽典の点数がとんでもなかった(300点満点の18点)ので「入学保留扱い」になってしまう。
そもそも「楽典」というものがあることすら初耳だったそうで、そんな11歳でピアニストになった人ってほかにいるのか??
そこから「楽典」を3か月間猛勉強して正式に入れてもらいw
ピアノもものすごい勢いで練習し始めた…といいたいが、友だち付き合いも大事にしていたとかで一日三時間「も」練習するようになったとか、その練習時間も電子ピアノだったりとなんだか、ほかの音楽エリートたちとは雰囲気が違うようだ。ただ、電子ピアノというと本格ピアノ派(?)からは馬鹿にされそうだけれども、彼はデジピの機能を活かしていろんな音色を試したり、一人オーケストラごっこをやったりと、別の楽しみ方をしていたようなので、防音室があって夜まで生のグランドピアノで練習できる人とはまた別の学びがあったということなのかもしれない。
音高に行くのは親に反対されたが「コンクールで一位をとったら」入学を認めてやるといわれて一位を取り、桐朋にめでたく入学。
金髪、ビーチサンダルで通う(なぜ?)
桐朋には特に服装規則はなかったらしいが、周囲はきちんとした服装の子が多いから浮いていたはず。先生から「どうせなら、スーツと革靴にしてみたら? そのほうが君に似合ってるよ」と薦められたので、銀色のスーツを買った(なぜ?) 銀色のスーツ、金髪、サングラスといういでたちはよりいっそうガラの悪い感じになった(笑)
「服装も生き方も、誰にも縛られたくない。ただただ自由に生きたかった」…そんな高校生活からピアニストになった人ってほかにいるのか?
しかし服装はまぁ服装で、ピアノはちゃんとやっていたらしい。桐朋のピアノの先生(川島先生)は
「君はまだ若い。これからいろいろ失敗すると思うし、道を外すことも多いと思う。そんなとき、先生は君が踏み外した道を直してあげよう。だから今のうちに、盛大に華々しく道を外しなさい。だけど僕が忠告したときには、ちゃんとそれを聞くんだよ」
とよく言っていたそうだ。(できた先生だ)
そして、日本音楽コンクールへ出るための準備として、海外でプライベートレッスンを受けるようなとき、川島先生が飛行機代ホテル代食費すべてをポケットマネーで負担してくれたそうだ。そりゃ金髪はともかくピアノは期待できる生徒だったに違いない。
しかしファイナルで弾くコンチェルトに先生が反対した曲(ラフマニノフの三番)を勝手にこっそりエントリーしていて、3次予選が終わったあとカミングアウト。川島先生、イスから転げ落ちる(o_o) それで急遽、アメリカに行ってジュリアードでプライベートレッスンを受けることになり、川島先生がまたポケットマネーで全ての費用を支払ってくれた。
その後は、サバイバルなロシア留学から、大胆かつ緻密な戦略に基づくショパンコンクール攻略、ピアノを弾くだけでなく指揮者に、さらには実業家としてのビジョンの話。
内容が破天荒なだけでなくて読ませる文章力もあり、
私は特に反田ファンじゃなかったけど、
なんかこの人から目が離せない、と思った。
というか、様々な偶然(骨折とか)が重なって反田恭平というピアニスト(そしてそれだけじゃない)が生まれたことに感謝したい気持ちになった。
ともかく、ピアニストの書いた本で、こんなにおもしろい本に出会ったことない。すごい。
---- 今日の録音:
プーランク/8つのノクターンより第一曲(譜読み)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
←ピアノ弾く以外のこともこんなに考えてるピアニストはレア
もちろん「二世」でない優れた音楽家もいるけれど、幼いころに音楽との出会いがあり、親は音楽の専門家ではないなりに全力で応援してくれたということが多いと思う。
(例: 対照的なバイオリニスト-諏訪内晶子と五嶋みどりの諏訪内さん)
「終止符のない人生」(反田恭平) ←今日、本屋で見て衝動買い
ところが反田恭平はぜんぜんそれにすら当てはまらず、11歳まではサッカーがメインで…骨折で挫折してからようやく本格的にピアノ。
ここから「近所」という理由で桐朋学園の「子供のための音楽教室」に入るのだけど、楽典の点数がとんでもなかった(300点満点の18点)ので「入学保留扱い」になってしまう。
そもそも「楽典」というものがあることすら初耳だったそうで、そんな11歳でピアニストになった人ってほかにいるのか??
そこから「楽典」を3か月間猛勉強して正式に入れてもらいw
ピアノもものすごい勢いで練習し始めた…といいたいが、友だち付き合いも大事にしていたとかで一日三時間「も」練習するようになったとか、その練習時間も電子ピアノだったりとなんだか、ほかの音楽エリートたちとは雰囲気が違うようだ。ただ、電子ピアノというと本格ピアノ派(?)からは馬鹿にされそうだけれども、彼はデジピの機能を活かしていろんな音色を試したり、一人オーケストラごっこをやったりと、別の楽しみ方をしていたようなので、防音室があって夜まで生のグランドピアノで練習できる人とはまた別の学びがあったということなのかもしれない。
音高に行くのは親に反対されたが「コンクールで一位をとったら」入学を認めてやるといわれて一位を取り、桐朋にめでたく入学。
金髪、ビーチサンダルで通う(なぜ?)
桐朋には特に服装規則はなかったらしいが、周囲はきちんとした服装の子が多いから浮いていたはず。先生から「どうせなら、スーツと革靴にしてみたら? そのほうが君に似合ってるよ」と薦められたので、銀色のスーツを買った(なぜ?) 銀色のスーツ、金髪、サングラスといういでたちはよりいっそうガラの悪い感じになった(笑)
「服装も生き方も、誰にも縛られたくない。ただただ自由に生きたかった」…そんな高校生活からピアニストになった人ってほかにいるのか?
しかし服装はまぁ服装で、ピアノはちゃんとやっていたらしい。桐朋のピアノの先生(川島先生)は
「君はまだ若い。これからいろいろ失敗すると思うし、道を外すことも多いと思う。そんなとき、先生は君が踏み外した道を直してあげよう。だから今のうちに、盛大に華々しく道を外しなさい。だけど僕が忠告したときには、ちゃんとそれを聞くんだよ」
とよく言っていたそうだ。(できた先生だ)
そして、日本音楽コンクールへ出るための準備として、海外でプライベートレッスンを受けるようなとき、川島先生が飛行機代ホテル代食費すべてをポケットマネーで負担してくれたそうだ。そりゃ金髪はともかくピアノは期待できる生徒だったに違いない。
しかしファイナルで弾くコンチェルトに先生が反対した曲(ラフマニノフの三番)を勝手にこっそりエントリーしていて、3次予選が終わったあとカミングアウト。川島先生、イスから転げ落ちる(o_o) それで急遽、アメリカに行ってジュリアードでプライベートレッスンを受けることになり、川島先生がまたポケットマネーで全ての費用を支払ってくれた。
その後は、サバイバルなロシア留学から、大胆かつ緻密な戦略に基づくショパンコンクール攻略、ピアノを弾くだけでなく指揮者に、さらには実業家としてのビジョンの話。
内容が破天荒なだけでなくて読ませる文章力もあり、
私は特に反田ファンじゃなかったけど、
なんかこの人から目が離せない、と思った。
というか、様々な偶然(骨折とか)が重なって反田恭平というピアニスト(そしてそれだけじゃない)が生まれたことに感謝したい気持ちになった。
ともかく、ピアニストの書いた本で、こんなにおもしろい本に出会ったことない。すごい。
---- 今日の録音:
プーランク/8つのノクターンより第一曲(譜読み)
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