「クラシック作曲家列伝」の中で、ドビュッシーの章の副題は「倫理観も音楽の規則も完全無視!」となっています。
←作曲家さんはまぁクセ有の率が高いよね
倫理観…のほうは、もうね、女性関係いろいろあったことはなんとなく知っていたけど、改めて読むとまぁ忙しいこと。
人妻との恋とか、
つきあっている人がいる最中に別の人と勝手に婚約とか、
同時並行で複数の女性と付き合うのでトラブル続出、
2人の女性を自殺未遂に追い込んでいます。…いやダメだろ
前に「喜びの島」を弾いたことがありますが、あの曲は不倫の逃避行でジャージー島に行ったときに作られたものなのですね。いい曲できた。いいんだけど(後世の私たちにとっては)
置いてきぼりの妻(リリー)にとってはたまったものではないですね。結局、自殺未遂からの離婚。
この逃避行のときの女性がエンマで、結果的にエンマが産んでくれた娘を溺愛してドビュッシーは女性関係もようやく落ち着いたようですが。
一方、音楽の規則のほうの話ですが、この場合、規則というのは調性とか和声とかの、枠組みのことでしょうか。この和音からこの和音へは行かないとかなんとか。たとえばそれにきちんと従って曲を書くならクレメンティのソナチネみたいな感じ? (知らんけど)
ドビュッシーは元々(学生のころから)そういう規則を無視したがる傾向にあったようですが、強い衝撃を受けたのがパリ万国博覧会(1889)のガムランなどアジアな音楽。西洋音楽の掟が、小さい世界の中での決まりに過ぎないことを実感したわけです。
ウィキペディアによれば
「1889年は27歳のドビュッシーにとって大きな転機の年となる。1月には国民音楽協会に入会してエルネスト・ショーソンらと知り合い、新たな人脈と発表の場を得た。6月にパリ万国博覧会でジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことは、その後の彼の音楽に大きな影響を与えた。その後2度目に訪れたバイロイト音楽祭ではワグネリズムの限界を感じ、これを境にアンチ・ワグネリアンを標榜することになる。またこの頃、詩人ステファヌ・マラルメの自宅サロン「火曜会」に唯一の音楽家として出席するようになり、この時の体験はのちにマラルメの詩による歌曲(『ステファヌ・マラルメによる3つの詩』)や、『牧神の午後への前奏曲』への作曲へとつながっていく。」
ということで、パリ博覧会のことだけでなくこの年は大きな節目だったのですね。
私が今年弾こうかなどうしようかなと思っている「ベルガマスク組曲」はこの節目の年の翌年に作曲されたもので、ビフォーアフターでいえばアフター、というか直後ということになります。逆にビフォー(直前)ということでいうと「2つのアラベスク」(1888)。
「2つのアラベスク」は弾いたことないんですけど、聞いた感じでいうと「ベルガマスク組曲」のほうに強く惹かれます。さらにあとのほうの作品、「映像」とかになるとちょっとピンとこないというか…ともかく譜読みたいへんそうだなと思ってしまうんですけど。
昨日ちょっと「ベルガマスク組曲」のプレリュードを弾いてみたのですがとても弾き心地のよい曲だなと。手触り感がとても好みというか。今のところ、今年のメインは「ベルガマスク組曲」? という考えに傾いています。
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置いてきぼりの妻(リリー)にとってはたまったものではないですね。結局、自殺未遂からの離婚。
この逃避行のときの女性がエンマで、結果的にエンマが産んでくれた娘を溺愛してドビュッシーは女性関係もようやく落ち着いたようですが。
一方、音楽の規則のほうの話ですが、この場合、規則というのは調性とか和声とかの、枠組みのことでしょうか。この和音からこの和音へは行かないとかなんとか。たとえばそれにきちんと従って曲を書くならクレメンティのソナチネみたいな感じ? (知らんけど)
ドビュッシーは元々(学生のころから)そういう規則を無視したがる傾向にあったようですが、強い衝撃を受けたのがパリ万国博覧会(1889)のガムランなどアジアな音楽。西洋音楽の掟が、小さい世界の中での決まりに過ぎないことを実感したわけです。
ウィキペディアによれば
「1889年は27歳のドビュッシーにとって大きな転機の年となる。1月には国民音楽協会に入会してエルネスト・ショーソンらと知り合い、新たな人脈と発表の場を得た。6月にパリ万国博覧会でジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことは、その後の彼の音楽に大きな影響を与えた。その後2度目に訪れたバイロイト音楽祭ではワグネリズムの限界を感じ、これを境にアンチ・ワグネリアンを標榜することになる。またこの頃、詩人ステファヌ・マラルメの自宅サロン「火曜会」に唯一の音楽家として出席するようになり、この時の体験はのちにマラルメの詩による歌曲(『ステファヌ・マラルメによる3つの詩』)や、『牧神の午後への前奏曲』への作曲へとつながっていく。」
ということで、パリ博覧会のことだけでなくこの年は大きな節目だったのですね。
私が今年弾こうかなどうしようかなと思っている「ベルガマスク組曲」はこの節目の年の翌年に作曲されたもので、ビフォーアフターでいえばアフター、というか直後ということになります。逆にビフォー(直前)ということでいうと「2つのアラベスク」(1888)。
「2つのアラベスク」は弾いたことないんですけど、聞いた感じでいうと「ベルガマスク組曲」のほうに強く惹かれます。さらにあとのほうの作品、「映像」とかになるとちょっとピンとこないというか…ともかく譜読みたいへんそうだなと思ってしまうんですけど。
昨日ちょっと「ベルガマスク組曲」のプレリュードを弾いてみたのですがとても弾き心地のよい曲だなと。手触り感がとても好みというか。今のところ、今年のメインは「ベルガマスク組曲」? という考えに傾いています。
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