アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

猫とピアノと餃子でれんしうかいと、私の泥縄計画について

2015年04月19日 | ピアノ
いや、本来はれんしうかいではなくて、「十八番CDを作ろう」企画の打合せ、だったような気がする。まぁなんでもいいけど。

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要するに、udurannさんちに行くと、新しいピアノと、古いピアノと、猫と、みんなが持ち寄った食べ物と、なんかやたらとピアノを弾きたい人たちがいて、だらだらとピアノを弾いたりおしゃべりしてると楽しい。という空間。

昨日は完全にノンアルコールだったんですが、なんか酔っぱらったような感覚になって帰ってきました。

この場におゆき先生も来る予定だったのですが、体調不良でキャンセル…あぁ残念…

どう残念かというと、もちろんお会いできない(演奏が聞けない)のが残念なのですが、そのほかに勝手に乱暴なことを企んでいて、その目論見が外れたというか、つまり、また泥縄な思い付き。

5/3に「ピアノと戯れるの会」にエントリーしていて、プーランクのノクターン一番を弾く予定で、これはやや無謀曲ながら私にしては用意周到に、ちゃんとレッスンに二回持ってく計画で、すでに一回分済です。

でまぁ、それだけだったら無難とまではいわないまでもふつうですが、時間を測るために火曜日に録音してみましたところ。。

火曜日の録音:ノクターン1番←注意!! 総統閣下が激おこになる重大な譜読み間違いが含まれています、さてどこでしょう

…あぁっ、もう一曲入りそう…

で、前々から目を(耳を)つけていた7番も入れたいという魅力に抗しきれず、

今から譜読みしてれんしうかいで無理やり弾き、おゆき先生にちょこっとアドバイスもらって練習してレッスン行って(4/29)、ぞうきりん練習会(4/30)で弾いてみたら5/3に間に合わせられないだろうか

みたいな一見緻密なようでいて尺(時間、期間)が圧倒的に足りてないこのプラン。

しかし、やる気になると突発的な集中力を発揮することがある私。今週はほんとに真面目に譜読みしました。

仕事もそれなりに詰まっていてあまり時間もなかったのですが、お気づきのとおり13日の記事のあとこのブログも書かずに(笑)、そうしますと平日でもなんとなく20~40分程度の時間が確保できるので、火曜日に1ページ目、水曜日に2ページ目、木曜日に3ページ目で(注: 3ページの曲です)、金曜日に全体を練習する。土曜日にれんしうかい。さぁどうよ。

土曜日午前中の現状録音:ノクターン7番
やってみてわかったのですが、定期テスト前みたいなこの完璧な計画ですが、二日目に2ページ目をやるといいつつ1ページ目のおさらいもちょこっとしたくなりますよね(にんげんだもの)、そんで三日目に3ページ目をやるといいつつ1ページ目と2ページ目のおさらいもちょこっとしてしまうわけですが、そうするとだんだん手薄になるんですね、あとのほう。当たり前です。ということが、この録音を聞くとよくわかると思います。

(というわけで、定期テスト勉強をする中高生諸君は、あまり切羽詰らないうちに勉強を始め、粛々と繰り返しができるように計画すべし。って、誰も聞いてないよな。)

それでこのあまりに無謀な進行に呆れたshigさんが、いくつかアドバイスをしてくれたので(譜読み間違いの指摘からペダルの使い方からフランス語からプーランクが同じフレーズをほかの場面で使っている重大な例など)、ともかく「ずばり計画どおり」突っ走るよ。

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子育てのリスク

2015年04月13日 | 生活
子育てがノーリスクってことはありえないけど、中でも、またろうを育てるのはかなりのハイリスクだったと思う。

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またろうが小学五年生のとき、学校の社会科見学で自動車工場に行ったのだが、そこで「あっ(^^) このボタンなんだろう」みたいに押しそうになり、すんでのところで止められたということがあった。「ラインを止めるところだった!!」というヒヤリハットで、T先生は生きた心地がしなかったことと思う。

もし止めちゃってたらずいぶんな損害賠償請求が来ただろうか?

私やよしぞうが「他人の所有物である大事なもの」に触っちゃいけないというしつけを怠ってきたからというわけではないけど、というよりむしろそれではずっと苦労していて何度も何度も言って聞かせたり工夫したりしていたんだけれど、それでもとにかくまたろうは「触っちゃう子」だったのだ。

小学校一年生くらいのときの耳鼻科通いはほんとうに大変で、あのぴかぴかの消毒済み器具というのはものすごくまたろう的に「そそる」ので、頭ではダメとわかっていても、衝動的に手が伸びるのを本人もなかなか止められない。

結局、本人が編み出した「手のひらをお尻の下にしまってしっかり押さえつけておく」という方法でその衝動性に打ち勝って、二年生くらいからは無事に耳鼻科で診察が受けられるようになったんだけど。

まぁなんだかんだと成長で、五年生くらいだとずいぶんそういった行動は抑えられていた。だから油断したというか…T先生も当然傾向は知っていたけど、そのころ日常で特別気になるほどじゃなかったのでそこまで注意を払ってなかったと思う。

仮に、私とよしぞうがそのことについて「しっかりしつけようとはしていた」と認定はされたとしても、それでもまたろうが触っちゃう性質の子であったという事情があって、現実にふつうの子なら押さないボタンを押しちゃって、損害を与えたとしたら。

「親の監督責任」は免れないだろう。

そういう子なのは生まれつきだからしょうがないけど、そういう子であることは知ってるんだから、「見学に親がつきそうことを認めてもらって見張る」とか「見学は休ませる」とかの手段があったでしょうって言われるよね??

ま、そんなこんなあれこれの(ひやひやする)思い出があるので…

サッカーボール裁判の判決はただならぬ関心を持って見守ってたんです。

「親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある」
そうなんです、それはいちおう日々心がけてたつもりではあるんですけど、

今回の「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」に照らせば、またろうなら社会科見学を休ませるなどの「監督」をすべきだったってことになるんじゃないかと。

またろうを、ふつうの小学校生活させるうえで、ふつうより大きいリスクを負っていたというのは、そうだと思うんです。なので、せめて賠償保険に入るなどの金銭的備えをしつつ、事故が起こらないように言い聞かせつつ祈りつつ、何か起こってしまったら賠償する。というのはするしかない。

それは納得できるんだけど、その責任の大きさ(あるいは賠償額)というのがね。

またろうのやらかしたことが、仮に「ボールが道路に転がり出た」ということであれば、その程度の「責任」にとどまってほしいと思うんです。

「ボールが道路に転がり出た」というのは、常識的に考えると殺傷力の感じられない、比較的小さな危険です。それが、たまたま「お年寄りがバイク乗ってて避けようとして転倒・骨折し、寝付いて認知症進んで1年4か月後に誤嚥性肺炎で亡くなる」というなりゆきで巨大な責任に膨れ上がってしまうのでは悲しすぎる。

たとえばこんな事件がありました:
「11歳が児童公園で蹴っていたサッカーボールが道路へ飛び出し、バイクに乗った男性が乗り上げて転倒、骨折」(大阪地裁87年6月)
これは男性側にも、運転上払うべき注意が欠けていたということで過失の割合を勘案して、子供の親が払う賠償額は55万円になった。

…これならまだしも、非常に運が悪かったけれど実際に怪我させてしまったのでしかたない、と納得もいきます。今回の件も、ボール事件は骨折のところまでだよねということでこの程度の賠償額になっていれば、そんなこともあるかなと思ったかもしれない。

けど、今回の裁判だと、やったことは一千万円超のインパクトのある過失だが(二審)、「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」ので親は免責とします(最高裁)。となるので、実際には賠償金を払わなくて済むけれど、ずっと「人を死に至らしめた」という重荷はなくならない。

それが、もやもやの中身です。ボールに殺傷能力まではなかったでしょう、という。

でも、shigさん曰く「法律は人を幸せにしない」ですし(^^;; 最高裁としては
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」であればもう、
そもそも死をもたらした過失配分がどうだったか
なんてことは判断の必要ないことになるんですよね(?) だから今回はつっこまれていない。

ということで、偶然の成り行きによっては、細い因果関係の先のどこまでもどこまでも責任とらされるのか? という恐怖は消えないままです。あ、またろうはもう成人なのでそういう意味では消えましたが。

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お掃除ロボット見参!!

2015年04月12日 | 生活
さてさて、長い長いシルバー人材センター頼みの生活と決別しようとする我が家へ、助っ人に来てくれたのがこの子。

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じゃ~ん♪
ズンバくんでーす(^^)

(ピアノ付近も果敢に攻めるズンバくん。あっ、コードがあるぞ~大丈夫か!? →ピアノの脚の下だったためセーフでした)

はい。ルンバくんではありません。正式名称は「ロボットバキュームオートクリーナー」(たぶんコレ? うちのは赤)というそうですが、それじゃ長すぎて呼びにくいので…

ルンバ類似品なので、命名「ズンバくん」。まったくその場の思いつきで言ったのですが、よしぞうが、「ズンバって言葉あるよ。踊りの名前」というので調べてみました。

ズンバってこんな(YouTube動画もあり)

というわけで、我が家のズンバくんも、こんなふうに(?)うるさくちょこまか動いてせっせと床をキレイにしてくれます。ルンバくんは、買うとそれなりのお値段するものですから、さてどのくらいのを買おうかなと思っていたところへ、私がルンバ導入を検討していることを見た方から、「使っていないルンバ類似品をお譲りできます」とご連絡いただいたのです。たいへんありがとうございます_o_

お掃除ロボットくんの寿命がどのくらいかわかりませんが、次に買うときはこの経験をベースに「こんな機能はほしい」とかはっきりポリシーを持って選べますよね。

とにかくズンバくんの実力を知るまでは留守中にタイマーで動かすとかはできないので、在宅中しかもヒマなときに試します。

鍵は、苦手物品をあらかじめ避けておくことのようです。まずはコードがうにょーんとかしてるの、コンビニ袋とか、ダメぜったい。あと、ピアノ椅子を載せてたラグマットも。マットの段差はスムーズに乗り越えますが、横にふさふさがついてるのが致命的でした。ふさふさのない薄いマット(キルティング)があったので替えてみましたが、今度はマットごと噛み込んでしまってアウト。

アウト、というのはどういう状態かというと、動けなくなってうぃんうぃん…異音がしてたらレスキューします。コードとかをブラシに巻き込んじゃうと外すのが面倒ですから、ヒモ状のものは特に注意してよけとかないといけません。

譜面台、とか、ゴミ箱、とかいうのは、別に巻き込みませんが、つーーっと押していってしまうのでやっぱり困ります。

結局、確立した手順は、
(1) コード、床置きのもの(バイオリン、ゴミ箱、譜面台、洗濯物カゴなど)をテキトーによける。机の上に乗せちゃうとか、よその部屋に持ってくとか

(2) (時間があれば)使い捨て化学ぞうきんで、ズンバくんが入れない隅っこからホコリを掻き出しておく。ホコリは掴み取らなくても、広いところに出しとけばOK

(3) 廊下に彷徨い出ていかないようにリビングのドアを閉める

…Go!!

というものです。お膳立てさえしっかりしておけば、ソファーの下、座卓の下、椅子の脚がごちゃつく食卓の下も、人間より文句言わずにせっせと掃除してくれます。椅子の足については心配していたのですが、うちの椅子の場合、四つ脚の狭いほうは通れないことが多いようで(角度による)、けど広いほうをアタックすると入れるので椅子の下や、食卓の中央部分も掃除できるようです。

うちのリビングは、お隣の和室もつなげて一室としてるのでかなり広いです。それと、台所部分もつながっているので形がややこしい。ズンバくんの動きを見ていると、なんでまたそこに戻っていくんだ~こっちはどうするんだ~とか思うけど、生暖かくほっておけばそのうちそっちも回ります。

慣れないんでつい「おー、そこはどうする気だ!?」とか見入ってしまうんですが、見入ってちゃ時間の節約にもなりませんのでほどほどにしないとね。でも見てるとなんだかかわいいんです(^-^)

椅子の脚を、「おっ、ここは通れん(ごつんごつん)」「あ、こっちからいける♪(す~ぃ)」とか試行錯誤をしてるのとか、うんうん、がんばってるねって感じ。

今日試しに、電池切れになるまでほっといたのですが、そしたらあるところからお掃除をしない空走モードに入り、すーいと動いていましたが帰り道を見つけられず(-_-;; 力尽きましたんで手動リタイアとなりました。

まぁ普段は、そろそろきれいになったなと思ったらいきなり手動リタイアでいいような気がします。

同様の手順で、廊下+玄関+洗面所+トイレの組み合わせでいっぺんに走り回らせてみましたがこのややこしい迷路のような広さを、それなりに走破してくれました。

寝室はズンバくんが踊れるようなサイズじゃないので、ふつうに掃除機をかけようと思います。子ども部屋はどうかなと思いましたが、ちゃんとモノをよけておけば(面倒ですが)狭くややこしいところもきれいになりました。

…ところで、ここまでちゃんとモノをよけたら、人間様が掃除機をかけても早いんじゃないかと…

はい、それはそのとおりなんですが、それでもある程度の時間がかかりますので、特にソファ下、食卓下、座卓下みたいなところはズンバくんにやってもらうほうが簡単です。それに、あらかたよけてから、「はい、あとはよろしくね!!」とスイッチ押してやると愚直に床をなぞり始めるズンバくんがなんかかわいいというか、「おぉ、あとちょっと」「うーん、そこは難しいか」とかときどき様子を見てるとなんか…情がうつりますね不思議と。はなひめも、自分の部屋からズンバくんを撤去するときに「お疲れ~」とか思わず声かけてたし(笑)

でも、ズンバくんがいかに健気に働いてくれても、通常の掃除機のほうがちゃちゃっと済むから便利という場面が絶対あって、引き続き両方持ってないといけないってところはちょっと残念かな。

* ルンバくんは、モノがなくてだだっ広いところが得意。最近はお寺の掃除をして功徳を積んでいます。

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親の監督責任って

2015年04月11日 | 小学生活
「ボール裁判」の決着がおとといついたので、昨日はコンビニで新聞を買ってみた。

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一面トップがこの記事だったのは読売新聞だけだったのでそれ買ってきて…しみじみ読んだ。
最高裁では裁判官四人が全員一致で、一審、二審の賠償命令を破棄。

この事件は、
小学校の校庭で放課後にサッカーしてて、フリーキックの練習で蹴ったボールがゴールを外れて門扉も越えて道路に転がったんだけど、それをよけようとしたオートバイが転倒したというもの。

オートバイを運転していた人が85歳の男性で、足を骨折して入院したのをきっかけに寝付いてしまい認知症が進み、事故から1年4か月後に肺炎で死亡。

という、たいへん不幸な出来事だったんだけど、遺族がボール蹴った子(当時11歳)の親に損害賠償を求めて裁判を起こして、二審では1180万円払えという判決が出たのね。

責任能力がない子どもが事故を起こした場合、「監督義務者」である親が賠償責任を負うというのはすんなり納得がいく。ま、例えば、子どもが商品壊したら弁償するとかね。またろうを連れて買い物するときとかはいつもびくびくでしたわ(^^;;

しかし監督義務を怠らないってどういうことなのか…
放課後の校庭でサッカーするのふつうだし。
ゴールに向かってボール蹴るし。
でも外すこともあるし。

親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある
(今回の判決骨子から)

そうですね、例えばだけど道路でサッカーするなとか。けど、今回の場合、別に親のしつけが変だったわけじゃないですからね。

一千万円超に相当する監督義務違反があった
ってことになっちゃうんですか? これで??

という違和感と恐怖を抱えつつ、うっかり男子を育てる親はこの裁判の成り行きを注目してたと思います。

今回の判断は
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」
ということで、ともかくよかったー、というかそもそも一審、二審はなんであんな結論だったのよ!? という日常的感覚を持つ人が多いんじゃないでしょうか。私もそう思っていたんですが、新聞をじっくり読んでいて、なかなかやっかいな話なんだなぁと。

これまで、親の監督責任の「免責」というのはほとんど認められたことがなくて、ものすごく画期的な斬新な判断なんですって。今回の判決は。

確かに、考えてみれば、もしもサッカーボールが転げ出して、バイク転倒じゃなくて、お向かいさんの植木鉢を割っちゃったとするでしょ。そしたら親がどうもすいませんいうて弁償するのはおかしくないような気がするんです。

放課後の校庭でサッカーしてた、そのことは親のしつけが悪いとかいうことではないけれど、たまたまそういうことになっちゃったら、親が払う。そのときに、
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」
なんつーて、親が弁償しなかったら、植木鉢壊されちゃった人はナニーってなりますよね。

この感覚のねじれはなんだろう、と思うと、「ボール転げた」という過失(?)の重大性というか。

コドモのやらかしちゃったことが、火遊びから火事とか、刃物で人を刺したとかじゃなくて、「ボール転げた」が一千万円? というところがそもそもこの事件の違和感の根っこなのかもしれない。

そもそも、なんで「ボール転げた」から死に至ってしまったのかというと、バイク運転者が85歳だったことと深くかかわっていますよね。突然のことに対応できなくて転倒になってしまうのも、転倒したら骨折してしまうのも、骨折から寝付いて認知症になってしまうのも、そこから肺炎を起こして亡くなってしまったのも、若ければ起こりにくかったこと。

運転教習のとき、「予測運転」とか習いませんでした? 小学校の脇を通るときは子どもの飛び出しがあるかもと予測して注意して運転するとかね。ボールが飛び出してくるとかも予測の範囲内として運転するのが、運転する側に求められることでしょう。

つまりその85歳男性がバイクを運転するということは、たとえば猫が飛び出して来たら死に至る可能性があるというリスクを承知であえてやってるってことなんだから、「一年四か月後の死」の損害を、ボールにおっかぶせることにそもそも無理があったんじゃ…

と考えると、そこにツッコミを入れないで
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」
という理屈から今回の損害賠償命令破棄にしたのはなんかもやもやっとするんです。

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ピアノ演奏劇的ビフォーアフター(いちご同盟)

2015年04月09日 | ピアノ
「四月は君の嘘」は一言でいうと、正確無比無味乾燥な演奏してた男子が、トラウマで弾けなくなったトンネルの時期を経て、変なバイオリニスト女子との出会いから再び弾く理由を見つけて、カラフルな音と表現を見つけるまで。というお話だったわけだが。(一言にしちゃ長かった)

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作中、ちらっと出てくる「いちご同盟」という小説があって、これはリアルで存在する本。

ある部分、下敷きにされているところがあるようなので、読んでみた。

そしたら、「ある部分」どころではなくて、主人公男子はピアノ弾きの中学生で、明るいスポーツマン人気者の男子に引きずられるようにして、重い病気で入院中の中学生女子のお見舞いに行ったり行かなかったりするようになり、あれこれあって結局演奏の劇的ビフォーアフターがあった。

という、身も蓋もない下手くそなまとめをするとそういう感じで、その限りでいえば「まんまいっしょやん」ということにもなる。

アニメでも出てくる「あたしと、心中しない?」というセリフは、この小説から取ったものだ。

とはいえ、似ているのはそういうところ(設定概要)くらいなもので、音楽の面からいえば、似ていない、というかある意味真逆。

女の子は、別に音楽系の子じゃなくて、小さいころピアノを習ったことはあるけど下手ですぐやめてしまったという設定。だから、別に彼女といっしょに音楽を奏でたいとかそういうんじゃないのね。

そもそも、主人公男子のピアノが、「四月は…」と違ってそんなものすごくうまくはなくて、母親(ピアノ教師)からも「音大行くほどじゃない」と思われているし、本人も、音楽系の高校受験にも自信持てない程度。

共通するのは母親が「正確に」を強調するタイプのピアニスト(ピアノ教師)であるってことかな。

けど、いちご同盟のほうの主人公は、それに反発していて、自由勝手に「感情こめて」弾くのが好き。

ビフォーアフターの象徴となる曲は、こちらではベートーベンのピアノソナタ「田園」。私は好きな曲だけど、この主人公にとっては「ひたすら穏やかで何の感動もない、音による風景画。課題なので毎日練習しているけれど、どうにも好きになれなかったこの曲」という位置づけ。

それが、女の子の状態が悪くなったとき、曲を弾くような気分じゃまったくなくて、気持ちが沈んで…でも、「いまはピアノの前にいるのが、何をするよりも落ち着くように思われた」ということで、ハノン、バッハと弾き始める。

お気に入りのラヴェル(亡き王女)を弾こうとは思わず「感傷に耽るのではなく、機械的な音の流れに身を任せていたかった。何も考えず、何の感情も持たず、ただ音にだけ耳を澄ませている」ということで田園をチョイスする。

そして本人的には「機械のように正確に」感情をこめずに淡々と弾き進めてきたら、「ことさらに声を高める必要はなかった。むしろメトロノームのような音の一つ一つに、悲しみがこめられていた。音が響くだけで、心がふるえた。」

「わざと抑揚をつけ、テンポを崩して、感情をこめようとしていたいままでの自分の演奏が恥ずかしかった」

弾き終わったときの、深い充実感。

ね? 方向は真逆なんだけど、結局、何が表現豊かな演奏なのか、というね…

なんか書ききれない。続きはまたこんど。

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