カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

場面その2

2016-05-05 21:22:29 | 松高の、三羽烏が往く道は
 松本城が築城された頃からの歴史ある町人屋敷町である本町通り。
 なまこ壁、或いは白塗りの土蔵造りの建物が数多く整然と建ち並ぶ目抜き通りにある中でもひときわ大きく重厚な店構えを誇る、黒瓦に設えられた屋根付きの看板に『神倉屋』と記された店の暖簾を、圭佑は元気良く潜り抜けた。
「ただいま、秀一兄ちゃん」
 すると、店に座って煙草盆を傍らに置いた姿で煙管をふかしながら大福帳に何事かを書き付けていた二十代半ばの男が、筆を止めてから圭佑に向かって微笑む。
「おや圭佑、今日は町で見事な大立ち回りを演じたそうだね」
「ええーっっ!何で知ってるの兄ちゃん?」
 驚きを隠せない弟に、秀一はロイド眼鏡の蔓に手をやってから答える。
「ちょうどウチのお客さんがあの騒動に居合わせたのさ」
 あまり危ないことをしてはいけないよなどど口では諫めつつ、その実は弟の活躍が愉快で堪らないらしい秀一に向かって、圭佑は自慢げに答える。
「大丈夫だよ、信乃も優吾も一緒だったから」
「そうか、あの二人が居れば安心だな」
 眠い猫を思わせる糸目を更に細めながら呟く秀一。現在は神倉屋の番頭として父を扶けて働く彼は、家族の中でも特に年の離れた弟である圭佑を溺愛していた。
「そう言えば、お前が助けたお嬢さんは女子職業学校の女学生だったのかい?」
 煙草盆の灰落としに煙管の灰を落としてから問い掛ける秀一に、圭佑は素直に頷いてみせる。
「うん、そうだよ」
「実はね、今度父さんの勧めでお見合いをすることになったのだけど、相手はまだ女学生だと言うんだ」
 ひょっとしたらお前が助けた娘さんがそうかも知れないなと笑う秀一に、何故かいきなり難しい表情になる圭佑。
「うーん、だとしたら、ちょっと嫌だな、おれ」
「おや、どうしてだい?」
 普段は温厚極まりない秀一の、眼鏡に隠れた瞳が奇妙に底光りするのにも気付かぬまま、圭佑は続ける。
「別に礼を言って欲しかった訳じゃないけどさ、あの女学生(メッチェン)、信乃にばかり礼を言って、おれと優吾には見向きもしなかったんだ」
 そりゃ信乃は奇麗だから見とれて他の男が見えなくなっても仕方ないけどさ。などと唇を尖らせる圭佑に、秀一は普段通りの瞳に戻って促す。
「おっと、そろそろ夕飯の時間だ。一度部屋に戻って鞄を置いてきなさい」
「うん!そう言えば何だか腹減ってきたよ」
 先程まで縄手通りで信乃や優吾と共にさんざん鯛焼きを喰らってきたとは思えぬことを呟きつつ奥の間に消える圭佑の背中を見送りながら、秀一は再び煙管の吸い口を咥えてから大福帳に筆を走らせ始めた。
「うーむ、『松高の、三羽烏の飛ぶ空は』……かな?いやいや、どうもしっくり来ない」
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場面その1

2016-05-05 06:32:22 | 松高の、三羽烏が往く道は
 山を彩る桜の薄紅色が風に散り、入れ替わるように新緑の色が濃くなると、松本の季節は春から初夏へと移り変わる。本来なら一年の中で最も爽やかで過ごしやすく、人々の心も我知らず心浮き立つような時期ではあるが、そんな中でも厄介な騒動は発生するらしい。

「お願いです、返して下さい!それは大切なものなのです!」
 多くの人々が行き交う大通りの一隅で、そんな声が響き渡る。何事かと通行人が顔を向けると可憐な女学生(メッチェン)が櫛を持った学生服姿の若者に向かって哀願を繰り返している姿があるが、何しろ若者は大柄で、しかもひどく興奮している様子なので人々も下手な手出しは出来ないと見て見ぬ振りをするか、せいぜい遠巻きに成り行きを見守るしか出来なかった。ごく稀に若者を諫めようと進み出る者も居たが、関係ない者は引っ込んでおれ!と当の若者に凄まじい迫力で怒鳴られると引き下がるしかない。やがて若者はいい加減にせい!と叫ぶと取りすがってきた女学生を容赦なく振り払った。よろよろと力なく道路に崩れ落ちる女学生の姿、直後。
「その辺にしておけよ」
 いつの間に現れたのか小柄な学生服姿の少年が男の手からひょい、と櫛を奪い取る。一瞬、何が起こったか判らぬままギョロ目をしばたたかせた若者は、少年の手に櫛が握られているのに気付いて何事かを吼えながら掴み掛かった、しかし。
「信乃!」
 少年が素早く櫛を若者の手の届かない方向に放り投げすと、信乃と呼ばれた学生服姿の若者が危なげない動作でそれを受け止める。一瞬だけ若者の注意が逸れた隙に少年は若者の手が届かない場所まで軽業師のように蜻蛉を切って離れ、頭に血が上ったらしい若者が櫛を受け取った信乃にも構わずその姿を追おうとした時。
「優吾!」
 少年の叫びに答えるように進み出た、やはり学生服姿で体格の良い若者が突進してきた相手を見事な返し技で投げ飛ばした。
「が……はっ!」
「この場は引け、橋本。例えどんな理由があろうと、このような場所で女に手を出した時点でお前の負けだ」
 優吾と呼ばれた若者が道路に叩き伏せた相手にそう呟くと、周囲からどっと歓声が上がる。それは若者を制した三人組が被る学帽に輝く校章に一同が遅ればせながら気付いたせいでもあった。

 松葉をあしらった旭日の中心に『高』の一文字。

「やっぱり松高の学生さんか」
「大したモノだな」
 周囲の囁きも無理はなかった。明治三十二年よりの悲願だった官立高等学校開校が紆余曲折の末にようやく大正八年に実現して以来、松本高等学校の学生と言えば『末は博士か大臣か』と讃えらえれ、将来的にはこの国の未来を背負って立つ筈の存在と認識される、市民にとっては畏敬の対象でもあったのだ。
 橋本と呼んだ若者から優吾が手を離すと、相手は立ち上がるなり睨み殺さんばかりの視線を優吾に向けてから、それでも無言のまま大股でその場を歩み去って行く。
「何だ優吾、あの松商生と知り合いか?」
 小柄な少年に問い掛けられた優吾が無言で頷く傍らでは、信乃が女学生に手を貸して立たせてから先ほどの櫛を差し出して尋ねていた。
「これはお嬢さんの櫛ですか?」
「は……、はい。ありがとうございました」
 そんな問い掛けに女学生が夢見るような表情で答えるのも無理はない。人形のように整った顔立ちの信乃が柔らかく微笑みながら見詰めれば、大概の相手はその美貌に心奪われるのだ。それではお返ししますと櫛を手渡されると、女学生は何度も信乃に向かって礼を述べる。信乃はそんな女学生に向かって鷹揚に微笑んで見せてから小柄な少年に向き直って言う。
「さて圭佑、俺達を使ってくれた以上は相応の物を要求させてもらうぞ」
 すると圭佑と呼ばれた少年は事も無げに答えた。
「鯛焼きで良いか?」
「手を打とう」
「それじゃ縄手に行こうぜ、優吾も来るよな?」
「うむ」

そのまま三人は連れだって縄手通りに向かって歩き出す。
 痩身優美な信乃がすっきりとした動作で、大兵肥満の優吾が揺るぎ無い足取りで、そして小柄な圭佑が二人に遅れぬよう早足で歩み去る姿を、女学生を含む周囲の人々はその姿が見えなくなるまで見送り、やがてそれぞれの方角に散っていった。
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邪眼の行方

2016-05-05 01:02:12 | 依頼です、物書きさん。
社交的だけど敵の多いピアニストと嫌味で心配性で粘着質な幼馴染みが段々おかしくなっていく話

 技術と表現力は高いが言動に問題が有り過ぎるピアニストは敵が多く、故に幼馴染みの俺は自発的に奴の敵に対して呪いを掛け、或いは跳ね返したりを繰り返していた。だが、ある日幼馴染みは俺にまで牙を剥いてきて、結果として俺は奴を呪った。それなのに奴は無傷のまま日々を過ごし、俺は初めて己の能力に疑問を持つことになる。
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