あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

カトリック山手教会とテニス発祥

2013年12月16日 05時28分48秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
イタリア山庭園でブラフ18番館と外交官の家のクリスマスを楽しんだ後、山手本通りを海の方へ歩きます。ここはいわゆる尾根道でして、年配者でも楽に歩けます。
道の左右はお屋敷がたくさんあって楽しいです。あ。これ、たぶん黒川紀章かも~?などと楽しく歩いてると、山手公園北側入口の信号に到着。交差点に面して教会がありました。
カトリック山手教会です。ここって中見えるのかな~?

どこが入口なんだろう?と迷いつつ見つけた入口が上の画像。
入れました!でも内部は撮影禁止につき画像はありません。
教会はクリスマスの飾り付けがあります。特に正面左にあったキリスト生誕の場を再現した大きな人形のセットを見て「そうだった!クリスマスってキリスト聖誕祭だった」と思い出す。クリスマスパーティーとかクリスマスツリーがメインな訳じゃなかった!と。キリスト教とは無関係な日本人は気付きます。
気まずい…。教会には観光客もやって来るけど、信者さんも来る。そお~っと外に出る。
と。
マリア像がありました。美人だなぁ~。
このマリア像は1868年(明治元年)にフランスから贈られたものです。

マリアの向こうに見える建物も、雰囲気のあるレトロ建築のようで。
ってな事で、教会の歴史も紹介。
カトリック山手教会は、文久2年、日本初のキリスト教教会堂(天主堂とも呼ばれた)が、居留地80番に木造で建てられた。その後1906(明治39)年に山手44番に移され、レンガ造りゴシック風の教会が建てられたが、震災で倒壊。新しく1933(昭和8)年に鉄筋コンクリートで再建されたのが現在の建物。
チェコ出身のJ.J.スワガーの設計。
尖塔アーチ形の窓、とんがり屋根の鐘塔など、西欧中世を思い起こされるネオ・ゴシック風の外観が特徴。
さて、先を急ごう。
樹齢400年の立派なタブノキ
向かうは山手公園です。途中、フェリス女学院大学に沿って移動です。

フェリスの石垣も時代を帯びてます。これって、明治に入ってから西洋の石組みを取り入れるんだけど、それだよな。つーか、レンガのフランス積みに似てるような…??あ。わかった!これってブラフ積みなんだわ。いや~、さすが横浜!古い積み方残ってるんだねえ。
成形の仕方がまじめ。ンでも現代の切り出した石でない証拠に石の表面についた跡がはっきりしてる。って。石垣鑑賞してる場合じゃなかった!
そんなこんなで山手公園に到着です。
テニス発祥記念碑です。記念碑の向こうに現役のテニスコートも。
山手公園は、明治3年(1870)日本初の西洋式庭園として開園しました。2004年には国の文化財保護法に基づく「名勝」に指定。
2007年経済産業省「近代化産業遺跡群」に認定されました。…なぜに~??
日本に始めて植えられたヒマラヤスギの巨木もあります。(撮影しそびりました)
明治12年(1879)に英国人ブルックが山手一帯に植え、ヒマラヤ杉は山手公園から日本全国に広がっていきました。
ちなみに山手公園は日本初の軍隊演奏の行われた場所。
そして隣接して日本初のテニス場があります。
公園内に、テニス発祥記念館があります。

入館:無料。休館日:毎月第三月曜日(祝日・振替休日に当たる場合はその翌日) 開館時館:10:00-17:00
1878年に創設された日本初のテニスクラブ(現在のYITC)です。

かつてのテニスウェアは優雅。こんな服装でテニスしてたのね。1900-1930年代の木製ラケットも様々な形のものが展示されています。テニスボールの移り変わりとかもある。
上の画像の右の女性の肩口に円盤がありますね。これはウィンブルトン女子チャンピオンプレートです。
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2014年度の年賀状の投函受付が昨日から始まりました。
もう年賀状は完成しました?
私は今表書きを書いてます。
でもさぁ~。
私の場合、表書きって去年の年賀状を見ながら書くんだよね。
したらば。なんかね、去年までは気づきもしなかったんだけど、年賀状の住所の大きさがとっても小さい人がいるの。
うっ!!
読めない~。
古川だか吉川だか~~~~っ!!てな場合と、郵便番号が5だか6だか~~~っ!!と苦戦してます。
私の目…。もしかして老眼?いや、乱視進んだ???
も。涙目です。仕方ないんで、パソコンでgoogle検索かけて吉川OR古川か確認してます。郵便番号も同じく検索してたり…。
でもそれは迷った場合のみ。「これ6ね~」でかいて実は「5」だったらもう郵便番号を間違えてた年賀状を投函しちゃってるかも~?
あ!
わかった!!
それがあるから早く投函しないとダメなんだ~。
や。そうではなく!!
今から我が家宛の年賀状を書く!!って方々、お願いだから自分の住所・氏名を大きく作成して~~~っ(切実)!!昨日で完成するハズが、時間がとってもかかってるの~~~っ!!
そういや、「現在単身赴任中です」との断り書きがある年賀状が何枚も何枚もあるう~~。皆さん、企業戦士やってますねえ。ご苦労さまです。
ンでもね。そういう方々は住所が年賀状に2つある場合もちらほらほら。この場合。どっちの年賀状出せばいいんじゃろうな??

つー事で、年賀状が完成した。今日投函するわ~。
や~、久々に住所を手書きしたら、漢字が怪しくなってたわ~。「県」とか「二俣川」とか、横棒の数が怪しいんでやんの!普段、パソコンに打ち込んだり、WEBの文字ばっかり読み書きしてるからな~。自分で書いてないとこのざまよ…。反省反省。
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スウェーデンのクリスマス

2013年12月15日 05時08分33秒 | 横浜
スウェーデンのクリスマスっと言っても、撮影場所は横浜山手のイタリア山庭園にある外交官の家です。
12月25日まで(9:30-17:00)世界のクリスマス2013が開催中。訪問したのは2013年12月5日。ちょうと周りのメタセコイアがレンガ色に色づいていて、2階の最初の部屋に入ったら、窓の外がレンガ色でした。部屋の中には、クリスマスをテーマにしたお菓子が一杯です。甘いチョコの匂いにつつまれて撮影しました。





どんなヘボな腕でも、素敵な素材がいい写真に見せてくれますっ!これは…図に乗っちゃうねっ!
 
クリスマスツリーをよく見ると、サンタもいました!

これ、もう少し高い所に飾ってくれよ~…。

上の画像は分かりにくいですが、窓の外はレンガ色に色づいたメタセコイアが見えます。外交官の家は高台にあり、横浜の街を見下ろせるロケーションとなっています。



実は、調子に乗ってしまい、ブラフ18番館と外交官の家のイタリア山庭園だけで60枚以上撮影してしまいました…。まだ散歩は始まったばかりなのに…。イカンなあ~。
ちなみに、12月21日(土曜)にはイタリア山庭園でキャンドルガーデンが開催(日没ー19時)されます。

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外交官の家のクリスマス

2013年12月14日 05時34分47秒 | 横浜
訪問は2013年12月5日。横浜のJR石川町駅から徒歩数分。イタリア山庭園がある。
明治13年(1880)から明治19年(1886)までイタリア領事館がおかれていたことから「イタリア山」と呼ばれるようになりました。
ブラフ18番館のノルウェーのクリスマスを見た後、隣接する外交官の家に向かいます。

外交官の家は。明治43年(1910)に明治政府の外交官・内田定槌邸として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられたものです。平成9年(1997)この地に移築され、同時に国の重要文化財に指定されました。建物は、木造2階建て、塔屋付きでアメリカン・ヴィクトリアン様式を基本としています。

外観をまず撮影です。

外交官の家の隣にいい具合に色づいたメタセコイアがありました。

洋館のたたずまいとコラボすれば、ここだけ切り取るとまるで外国に来たみだいですねえ。
さて、入館します。

なんか見た事ないパンがテーブルに乗っています。 クリスマスの飾り付けはある程度想像してましたが、パンとかあるとは思わなかったのでとっても嬉しい~。上の画像の右下に映り込んでるクリーム色の三角もインド料理でよくあるナンみたいなパンです。
 
ちなみに世界のクリスマス展の外交官の家は、スウェーデンのクリスマスです。
「God Jul」(素敵なユールを)、ユールとは北欧古語で冬至や祀りなど多くの意味を持つ不思議な言葉。そのユールという風習が今も色濃く残るスウェーデンのクリスマス。クリスマスの原型と変貌がかいま見られる独特の意匠を数々ご紹介します。 s世界のクリスマス2013のちらしより。


 
麦わらで造った人形は、クリスマスツリーの飾りです。こんな感じに飾り付けます。
クリスマスツリーもあったんだけどね。画像はボケボケになってしまいました…。やっちゃったぜ~。


 
さて、1階の後は2階へ。

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ブラフ18番館のクリスマス

2013年12月13日 06時06分42秒 | 横浜
訪問日は2013年12月5日です。
JR京浜東北線・根岸線の石川町駅の元町口(南口)の改札にあっこさんと午前9時50分待ち合わせ。
徒歩で目的地のイタリア山庭園を目指します。
ま。な。最初から分かっちゃいたけど、散歩直後に上り坂!降圧剤の効き始めは、とかく脈拍が上がる&動悸&息切れの3コンボに襲われるので、「ゆっくり~」と坂上りです。でも視線の先に見えるイチョウの黄色が嬉しいっ!まさか横浜山手西洋館の世界のクリスマス展12月1日から25日 9:30-17:00目当てに訪問して、紅葉も楽しめるとは思いませんでした!まさか!!の嬉しいサプライズです。

坂を上りブラフ18番館の入口に到着です。見上げる洋館は、綺麗に色づいたイチョウの黄色に彩られています。

私のへっぽこ携帯電話では撮影機能がしょぼくてアレですが、それでも洋館のガラスに映り込む黄色も綺麗でしょ?
ちなみにこの窓を中から外を見るとこんな感じです。

素敵過ぎる~~。心ゆくまでこのサンルームの窓を眺めていたい~~~っ。でもダメ!今日の目的はクリスマスなのですから!
部屋の内装はノルウェーのクリスマス。
世界のクリスマス展は横浜山手に点在する西洋館をそれぞれ世界の国一つを決めてクリスマスの飾り付けをしているのです。ンでもって、ブラフ18番館はノルウェーなのです。

またまた私の携帯電話の弱点が!せっかく窓の外は秋色に染まってるのに、窓の外はホワイトアウトしちゃってます!マジか…。
凹みつつノルウェーのクリスマスの飾り付けを紹介。
 

 
接写撮影に弱い携帯だとわかってたので、撮影しなかったんですが、実は下のクリスマスツリーの丸いボール状のかざり。これが今ノルウェーで大人気の伝統模様のクリスマスボールなんだって!手編みの白と赤のクリスマスボール。素敵でしょ?



2階へ移動。2階にはほとんど飾り付けされてませんでした。でも窓の外が黄色く染まってます。なんとか撮影出来ないものか…。

がんばってみたけれど、窓の外か黄色く出来ると室内が黒くなってしまう…。強制発光出来ればいいのに…。

窓から外を撮影するとーーー。な。秋色に染まっているでしょう?

せっかくなので、外観も撮影してみました。

急坂を一気に上ったからね。横浜の街が展望出来る場所です。イタリア山庭園は山手の高台にあるのだ。みなとみらいの高層ビルもよく見えていい眺めだったけど、今日の目的はクリスマスの飾りと洋館のコラボメインです。っと、うっかり撮影をケチってしまい展望画像がありません。イカンイカンイカン。ブログ作成の事を考えて、ちゃんと撮影しとかにゃイカンのよ~。反省です。

今回はレトロ建築巡りがメインではないのですが、建物について少し紹介します。
ブラフ18番館は、大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3年(1991)まで使用されていました。
平成5年(1993)にイタリア山庭園内に移築復元され、館内では震災復興期(大正末期ー昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示するなど、当時の暮らしを感じる事が出来ます。
ちなみに、震災復興とは、大正12年(1923)9月1日に発生した神奈川県相模湾北西沖80キロを震源として発生したマグニチュード7、9の関東大震災の事です。震源に近かった横浜・鎌倉は壊滅的な被害が出ました。

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3.11東日本大震災以後、相模原市の防災メールが来るように設定してあるのですが、一昨日受信したメールは安全・安心メール【殺人未遂事件にかかる情報提供以来】でした。
殺人未遂事件って…。え~と??
ともかく内容を見てみないと!
犯罪情報
9月11日(水曜)午前9時40分頃、南区当麻の路上において、女性が、後方から刃物で襲われ負傷するという事案が発生しました。

うそ~んっ!!
そもそも9月11日って2ヶ月も前の事件やないの~~っ!!
更には南区当麻って!!近所やないの~~~っ!!私のブログにもちょいちょい登場する相模原公園やフィッシュパークや麻溝競技場のすぐそばです。
あ。メールの続き続き。

男は、年齢10歳後半から30歳位。身長160センチから175センチ位。体格小太りとのことで、現在も逃走中です。
事件に関する動画等が神奈川県警察ホームページ(事件のWEBアドレス)に掲載されています。お心あたりのある方は、相模原南警察署(042-749-○○○○)まで情報をお寄せ下さい。
………。え~と??
ま。一応事件のWEBページに飛んでみた。
オレンジTシャツのよくいるタイプの男が公園らしき歩道を歩いてる動画と、どこかのスーパーみたいな場所の入口の男が入店する動画だった。
これってさあ~。
もし当日すれ違っていたとしても、有名人ならともかくすれ違っただけの人を2ヶ月後に聞かれて返答出来る人ってどんだけ~??
少なくとも私は回答出来ない。9月11日といえば、「来年消費税が上がる前に、まな板とアイロン台を買い替える!ついでにSDカードミニ2GBも400円前後の安いのを探す」と。あちこち出かけてたからして…。もしかしたらホンマにすれ違ってる可能性があるんだけど。
どうせ画像公開するならば、なぜに事件直後に公開しないのか??
今更犯人が動く画像を見たとして、見覚えあるかないか判別出来るのは「その場所なら知っている」って事だけだ。なんだかな~…。
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クリスマスの仮装といえば?

2013年12月12日 05時22分53秒 | ヒーロー&怪獣&妖怪
街はクリスマス一色の今日この頃。あちこちでサンタの扮装をする人もよく見かけますが…。
先日見かけたクリスマスの仮装は予想外の所を攻めてます。
トップ画像の左下をよく見て欲しい。
これ、何~だ?

答え:クリスマスツリー!!
なぜにそれを選んだんだ!!
仮装といえば、こんなんもあったわ。

撮影する方が恥ずかしいという…。
ついでなのでいつもの~。

小田急線相模大野駅のクリスマスツリーです。いつものといいつつ、以前は上に輪っかがあって、折々に演出があったのですが、耐震とか地震対策の一環なのかいつの間にか撤去されてしまいました!
同日撮影したのがコレ。

伊勢丹デパート相模原店では、ムーミンがお出迎え。これって…1/1ムーミンなのだろうか?

さて、明日からは横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013の記事を連載します。
記事連載に先立ち、世界のクリスマスに入らなかった元町商店街で見かけたクリスマスをちょこっと紹介します。
最初は元町プラザのツリーから。これ、地面になんか反射してたんだよね。どういう仕組みなのか分からんが面白かった!

横浜・元町は通りもおしゃれです。

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横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013

昨日、横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013の記事の連載分を全て仕上げました。まさか12月30日分までかかるとは…。
や~、いつものごとくMY旧式携帯で撮影してたんだけどね。いつもと違って撮影し終わったら徹底的に撮影終了ボタンのマナーキーを押して更に二つ折りの携帯をくっつけて電池の長持ちに挑戦したらば、思いの外長持ちしたのだ!
撮影枚数280枚!
やあ~、旧式の携帯だからと今まで出先で「電池が切れた~」って凹んでたのは、自分の撮影方法が間違ってたからかぁ~。と目からウロコが落ちました!んで、今までクリスマスの撮影とかした事なかったんですが、撮影してみればファッション雑誌に載ってそうな素敵な画像が多かったので、フォトアルバムを作ってみました。昨夜へばった所で作ったのでまだ未完成です。これから手直しするけどよかったら見てやって下さい。
ちなみに、アルバムに掲載している画像は明日からの連載ブログで使用してるもの。先だししちゃいます。
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箱根板橋散歩

2013年12月11日 06時30分40秒 | 箱根・小田原周辺
松永記念館&老欅荘を見物した後、北条氏綱夫人が開基となる香林寺へ。香林寺前の小径は素敵な散策路でした。
これで坂道でさえなければ100点満点なのに…。でも頭の上を見上げると、竹垣に紅葉したつたが沿っているのもいい感じ。

終点にあるのはかつて実業家・大倉喜八郎が、大正9年(1920)に建てた別荘「共壽亭」で、関東大震災でも倒壊しなかった貴重な建物です。各部屋の天井を始めとし、欄間・建具等造作の凝った造りです。近年まで割烹旅館として使用されてました。
でも現在は非公開。いつか見える日が来るといいのに~。

入口にロープが貼ってある。つーか、これでちゃんと立ち入り禁止を守る日本人って素直というか、真面目というか。
旧共壽亭の周囲はつたが綺麗でした。
 


上り坂を旧共壽亭に沿って上がると、道の反対側にも雰囲気のあるお宅がある。
 
こちらはかつての皆春荘です。当初は元首相・清浦氏が明治の末に建てたものですが、その後、山縣有朋が古稀庵の別庵として使用したという数寄屋風の建物です。かつては庭越に見える相模湾の風景が大変素晴らしいものであったといわれています。
こちらも現在非公開。小田原は明治の有名人が数多く邸宅を構えた場所。観光と歴史資源は多い場所。いつかこれらのお庭や建物も観光資源として活用してくれないかな~?乞うご期待!といきたい所。楽しみにして待ってま~す!!
さて。皆春荘から今度は坂道を下る。とすぐに見えてきたのが雰囲気ある門でした。

政治家・軍人として知られる山縣有朋が、明治40年(1907)この地に別荘「古稀庵」を建てて転居し、以後大正11年(1922)、83歳で没するまで過ごした所です。庵の名前は山縣公が70歳(古稀)の年に建てられた事によります。庭は敷地の高低差が巧みに生かされ、流れを配した滝久美など見所の多い庭園です。
現在は保険会社の研修所となっていますが、毎週日曜日には庭園が一般開放されています。確か庭園鑑賞の入園料は100円。以前9月に訪問しました。でも訪問日は土曜日。見るのは入口の門のみです。
以前訪問した時の記事はこちら。小田原古稀庵の庭園(2011年11月16日)の記事
時刻は11時30分。小田原宿観光回遊バスの板橋交差点(大久保支所前)の停車時刻が11時42分。後12分!!
…いけるかも?
急いで坂を下ります。
途中レトロな洋風建築の朝倉邸の外観と、小田原街かど博物館・とうふ工房さんの外観を眺める。(とうふ工房は関東大震災後の建てられた出桁造りの建物です。でも11月23日は祝日につき定休日でした~。残念っ!

小田原宿観光回遊バスのバス停に到着しました。時刻は11時36分!次のバスの発車時刻が11時42分!余裕で間に合いました。
これなら大窪支所も見学出来る!と思ったのに…。
公開されてなかった~。マジか~。
大窪支所は昭和3年(1928)大窪村の村役場として建てられたもの。外観は洋風で、当時流行の行政庁舎の特徴がでている建築物です。
でもこの色はないわぁ~…。
やってきたバスは満員でした。救いは朝一のバスとは違い大型バスだった事!大型ならば座席がなくとも立って乗れる…。だからといって、次の石垣山一夜城歴史公園への上り坂は大変だったけど。この区間は高齢者がバスに立って登るのは無理だわ…。
バスは朝とは違う方のガイド付き。突然「みかんの花の咲く丘」を歌い出し、どうしたんだ!?と驚いていたら、車窓の外がみかん畑でした!

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ
え~、ここで本来なら小田原散歩の続き、石垣山一夜城歴史公園の記事が続くのですが、その記事も完成済みなのですが、気付けばもう12月!小田原散歩に続くのはクリスマスの記事でして、これが…。横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013の記事を書いてましたら、画像も豊富だったのがマズかったのでしょうか?大晦日になってもクリスマス記事が終わらないんです…。も。笑うしかないわぁ~。
しか~し!年をまたいでお正月になってもクリスマスの記事はいくらなんでもマズい気がする…。ってな事で、小田原散歩の記事はすっ飛ばし、明日からクリスマスの記事を連載します。横浜山手西洋館・世界のクリスマス2013のイベントは12月25日まで開催中ですので。これから行こう!と思ってる方にもおススメですわ。
ってな事で、連載中の小田原散歩の記事はクリスマス記事が終わるまで延期します。すんません。先を読んで記事を書けっ!って事ですね。
ちなみに横浜山手の西洋館の世界のクリスマス2013の様子は、先出で東京・神奈川紅葉散歩2013のフォトチャンネルに画像を少し掲載してます。
東京・神奈川の紅葉2013

クリスマスを目当てに行ったら、紅葉も楽しめました。
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松永記念館・老欅荘

2013年12月10日 05時26分20秒 | 箱根・小田原周辺
訪問は2度目。前回は9月でした。なので老欅荘の紅葉を楽しみに訪れたのですが、まだ早かったようです。

紅葉の見頃にはこんな感じになるハズだったのに~~っ!
せっかくなので同じ角度から撮影。それがトップ画像です。
そして目的はもう一つ。前回訪問日は老欅荘と松永記念館のお庭にある茶室を使う大きなお茶会が開かれていて、老欅荘の中は見る事が出来ませんでした。庭ですら、歩いてると茶室の中から嫌な視線が飛んで来ましたからね。
訪問は2013年11月23日。ラッキーにもこの日はお茶会がありません。まずは庭から~。
あ。これトップ画像とは反対側から。頭上を覆うモミジがいい感じ。
そしていよいよ建物の中へ。


入ってみて驚いた!老欅荘は電力王と呼ばれた松永安左エ門が晩年を過ごした場所です。だから生活する空間だと予想してたのですが、どの部屋も凝った作りの茶室でした。どれだけ凝ってるか?というと、天井の高さが一部屋一部屋違うんです。更には畳の大きさも違う。

この画像では分かりにくいかもしれませんが、上の画像は建物の中心となる十畳広間の客室です。10枚敷かれている畳は全て特注で寸法が違う7種類の大きさの畳となっています。これは十畳間の外にある畳敷きの縁座敷との整合を測り、畳の縁を合わせて直線に見えるように作っているからす。
この部屋から見た庭。
更に上がり口の石の上に更に細工を施した石。

この石が置いてあると、入れない印だそうで。茶道の決まり事のようです。



天井の低い部屋の天井部。こんな風。
別の部屋から外を見ると。こちら夫人の部屋みたい。
老欅荘を後に。松永記念館へ移動します。こちらで何か展覧会が開催中でした。
これってもしや明治に流行った金唐革紙とガラス容器のコラボかしら?誰もいなかったのでこれ一枚だけ撮影して外へ。バスの時間があるからのんびりしてられないんです。
出た所でこちらの職員さんとばったり。せっかくなので気になっていた事を聞いてみた。
私「老欅荘」のお庭の門の側の土壁ってアレ変ですよね?前はああじゃなかったような…」
職員さん「実は…10月の大雨で崩壊してしまったんです」
ええ!?
私「元通りになりますよね?」
職員さん「元通りにするには、カエデの樹を切ると、議会で決まりまして…」
って事は、あの風景は今年限り!?マジ~~ッ?あんまり驚いたので、別建て記事にしてしまいました。
今年限りの光景です!(2013年11月24日)の記事

名残りに松永記念館を駐車場から振り返る。
さて。松永記念館に隣接するのは北条氏綱夫人の開基といわれる香林寺へ。

ンでもめぼしい木がなさそうなのでバスの時間に追われてる今はパスじゃ!
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箱根板橋秋葉山量覚院

2013年12月09日 05時25分05秒 | 箱根・小田原周辺
旧内野家住宅を見た後、小田原用水路に沿って進むと、視線の先に紅葉が見えて来た。
あれは…。地図によりますと、秋葉山量覚院とあります。
私は目的地の松永記念館へ向かおうとしたのだけど、ダンナが道の分岐から動かない。どうやら行ってみたいらしい…。
時間ロスは痛いけど、仕方ないねえ~。

秋葉山量覚院は慶長元年(1596)に、小田原城主大久保忠世が信仰していた遠州の秋葉山大権現を勧請したものです。
下調べもしてないんで、境内とか分からないんだけど…。
まず美しく色づいたモミジが目に飛び込んできた。

あっ!天狗発見!
うっ!
携帯電話は強制発光出来ない。つーかフラッシュ自体ないっ!ので真っ黒になってしまいましたが、上の画像の建物の暗くなってる部分を拡大撮影してみると、トップ画像です。
もう一枚、モミジを中心に撮影してみる。

訪問日は2013年11月23日。今年の紅葉は早いな…。もしかしたら歴史巡りしてる場合ではなかったかもしれん!とちらりと頭をよぎったものの、小田原宿観光回遊バスの運行は11月24日(日曜)までなのです。
気を取り直し境内を奥へと進みます。仕方ないねえ~。
と。なぜか学校の校庭に出た!
ん?なぜかしら~??
ま。ともかく写真をば。抑えておかないと!

校庭をそのまま直進すると石段があった。

上がってみたらお宮があった。でもめぼしい建物も紅葉した木もないので引き返す。
向かったのは松永記念館
 
土と瓦で出来た土塀が素敵です。
こちらの庭が素敵なので、まずは池の外周を回ります。

この角度から見ると、山も既に綺麗に色づいてるのが分かります。ハイキングには最適なお天気ね~。

池の周囲の木々も紅葉中。
お庭にはいい感じの茶室が2つありました。
さて。記念館の裏手の斜面を上がると。
欅の大木がありました。
欅の大木の上にあるのが老欅荘です。

老欅荘は昭和の電力王松永安左エ門(耳庵)晩年を過ごした場所で平成12年に国登録有形文化財となり保存整備されています。
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内野家住宅。文庫蔵・穀蔵。及び醤油工場

2013年12月08日 05時08分46秒 | 箱根・小田原周辺
2階の来客部屋を見た後、1階へ戻りました。母屋の奥にある内蔵へ。

内蔵の入口は大理石?でした!
蔵は工夫が一杯!
床に換気の為に造られたもの。
2階・3階にも空気が抜ける。
内蔵もあちこちで拝見しました。一番大きかったのは、小金井市のたてもの園で見た三井家の蔵かな?
内野家の内蔵には、あれこれ詰まってました!昔の民芸品も混ざってて楽しい~。
 
母屋見学の後は、穀物蔵へ移動です。
移動する前に、内野家の外観を撮影しておくべきだった~と反省。移動しながら撮影したのがこれ。袖蔵(店蔵)です。大きな観音扉がありました!


穀蔵は醤油の原料を貯蔵する所。
天井部。壁。
木製です。画像掲載にあたり、iPhotoで明るさ調整してあります。
外から見た右手の文庫蔵と左手は母屋2階の来客部屋の様子。
最後に案内されたのは、醤油桶のある倉庫。

なんじゃろか?「澪つくし」とか撮影出来そ~。
傍らに醤油を絞る装置もあった!

「これこそなんかドラマの撮影出来そうです」
でもここ、既に醤油を造ってないんだよね。
なぜかしら~?
私「何で醤油屋さんを止めちゃったんですか?」
ガイドさん「昔ながらの方式で醤油を造ったら、一リットル300円以上しちゃうんです。今どきの安い醤油に太刀打ち出来なくてね」
そうなんだ…。
最近、街中のお豆腐屋さんが次々と廃業に追い込まれてるのと同じ理由です。うちの近所の商店街のお豆腐屋さんも豆腐1丁150円・揚げ1枚70円まで値上げした所で価格据え置きして頑張ってたけれど、ちょっと前に廃業してしまいました。揚げが美味しくて、ここの揚げで造ったいなり寿司は至高の逸品だったのに…。
とはいえ、醤油が一リットル300円超だと私が買うか?と聞かれると躊躇してしまう。
ガイドさん「醤油屋を止めてしばらくこの樽で漬け物を造ってた事もあったのですが…」
時代に淘汰されちゃったのね。日本人は和食がないなら、洋食・中華にイタリアン。何でも食卓に上げちゃうからな~。
ガイドさん「この倉庫は関東大震災で屋根が落ちて再建しました」
さもあらん。倉庫の柱の数が少な過ぎる…。
と。ガイドさんは倉庫の奥の扉を開く。扉の先にあったのは小田原用水の流れ。倉庫に沿って用水路がありました。小田原用水は芦ノ湖を水源とする早川の水を板橋に取り入れ、旧東海道に沿って城下内へ流した上水道で、後北条時代に造られました。形態を変え、現在は用水路として残っています。
実はここでうっかり用水路側の出口から出てしまった!この後の目的地松永記念館への近道だったのです。だから内野家住宅の旧東海道側の外観画像がないのね。
時刻は既に10時半を回っています。小田原宿観光回遊バスは30分に1本で走っているのです。11時…はムリだな。11時半のバスには乗りたい…。ここで時間をかけ過ぎると、お昼が遅くなってしまいます。
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12月5日に横浜在住のあっこさんと山手の西洋館で開催中の「世界のクリスマス」展を見て回りました。クリスマスの飾り付けとレトロ西洋館のコラボを楽しみに出かけましたら、ラッキーな事に紅葉も楽しめちゃいました!特にイタリア山庭園はメタセコイアとイチョウが綺麗に色づいてます。
なので、昨日東京・神奈川の紅葉2013のフォトチャンネルに画像を10枚程追加しました。
よかったら見てやって下さい。
東京・神奈川の紅葉2013
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内野家住宅の来客部屋。

2013年12月07日 05時53分29秒 | 箱根・小田原周辺
来客用の階段の撮影しそびったのが痛恨!
階段が暗かったのと、上りは来客用を使ったけど、降りるのは普段使いの階段を使ったのが敗因です。
階段を上がると、まず振り返るように言われ、そこに便所があるのに気付きます。

これが遊び心のあるいい空間です。
画像の便器は後に据え変えたものですが、トイレのタイルは内野家を造った当時のものが残ってます。素敵です!
2階の部屋は3つ。一部周囲に廊下を巡らせてあります。

そちら側から内庭が見下ろせます。

上の画像は2階廊下の窓から撮影。画像奥にお蔵があるのが分かります。(こちらは明日紹介しますね)
さて来客用の部屋。
こちらは壁も凄い!左官さんの腕も凄い。画像で分かるかどうか…。
画像の白く見える斑点は、実は金粉なのだっ!この手法は10月に訪問した目黒区の重要文化財旧前田家本邸和館の壁にもありました。(前田家和館の現存する金粉の壁は一部のみだとか)旧前田家本邸和館1階(2013年11月10日)の記事
金粉を使ってて豪華なのに、下品でないのも技かしら?

アップで撮影した画像を引くとこんな感じ。床の間です。
ンでトップ画像。床の間の右手、廊下側です。デザインは漁網。またしても職人の技です。素晴らしい~。

2部屋を分ける襖。その上部の欄間は、鳳凰と桐のデザイン。

2部屋ある手前の部屋は、旧東海道に面してまして道行く人々を見下ろせるようになっています。上の画像左が東海道。法被を着てる方がガイドさん。

2部屋は豪華。隣り合わせに3畳間。ここに普段使いの階段があります。上の画像が階段。

降りるとすぐにここ。1階の母屋の廊下に続いています。上の画像は廊下から土蔵方面を見た所。「なんだかNHKの朝の連ドラの撮影とか出来そうですね」って言ったら、ガイドさんが「使ってもらえると嬉しいです」だって。
廊下のガラス窓。明治の住宅って窓が広いんだよね。やっぱ部屋が明るいってのが目新しかったんだろうな。江戸時代の建物なんか、窓がナイもんな。
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「第64回NHK紅白歌合戦」抽選の結果
今年もドキドキワクワクの抽選結果が判明しました!
お察しの通り…落選しましたっ。
あ~あっ!!
って!!
今年の応募総数は142万7153通でした。
なぜに毎年ガンガン応募総数が増えていくんだろうか?
受信料を払っている世帯がそんなにガンガン増えてないよな~?
盛ってる?もしかして盛ってるだろ!!でなきゃ、一世帯当たりの応募数が複数あるとしか…。
ちなみに2012年の応募総数は117万2420通。
2010年の応募総数は75万9480通。
2009年の応募総数は59万1274通。
2008年の応募総数は43万5956通。
な。応募総数が激増してるやろ?
NHKホールの座席は増えない~。
ここはNHKは受信料を支払ってる世帯1つにつき応募は一つに限る必要があるんじゃないかな~?
だって、応募の時にわざわざわざわざNHKのお客様番号をかかせるんだよ?
つーか、NHKはお客様番号のチェックしてないよな!
けっ!とかやさぐれてますけど、どうせ来年もまた応募しちゃうんだろうな…。私ってばっ!!
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箱根板橋 内野家住宅特別公開

2013年12月06日 06時03分38秒 | 箱根・小田原周辺
訪問日は2013年11月23日。
WEBで小田原宿観光回遊バス<1日何回乗っても200円>という観光バスが10月5日から11月24日までの毎週土日・祝日に限り運行されているのを知りました。これ、いいっ!!
小田原へはあじさいの花見。小田原散策開始(2012年6月29日)の記事 小田原城東堀の紫陽花(2012年6月30日)の記事
明治の邸宅巡り。小田原清閑亭(2011年11月13日)の記事 「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事 北原白秋童謡館(2011年11月9日)の記事 龍馬暗殺現場に駆けつけた?(2011年11月8日)の記事 伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事
小田原城総構え残存跡 小田原城幸田門口跡(2010年5月1日)の記事 小田原城総構えを歩こう(2010年5月7日)の記事 早川口遺構と大久保一族の墓(2011年11月14日)の記事 小田原城東曲輪(2010年7月13日)の記事など既に何度か訪問していますが、未だに行けてない所があったのです。
それは豊臣秀吉の一夜城跡
パスしてる訳は、一夜城が低くはあるものの山の上にあるからです。でも小田原宿観光回遊バスの運行コースのバス停に石垣山一夜城歴史公園が入ってるのだ!これはもう行くしかあるまい~と。ワクワクして出かけました。
ただ、観光回遊バスの始発が、小田原駅東口発午前10時ってどないよ?秋の夕暮れをなめてるのか?キ~~~っ!と半分やさぐれてバス乗り場に到着したらば、既にバス待ちの行列が出来てました。
あれ~~?だ・大丈夫か??
何を心配してるか?というと、『観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合は、次のバスにご乗車ください』の一文がありまして、どういう事かというと、立って乗車出来ません!って事ですね。ン~~??
なんとなく何でや!と不思議に思ってたんだけど、やって来た回遊バスは小型バスだった!だ、大丈夫かな~?
心配したものの、なんとか席も無事確保出来ました。バスは定時に出発。
観光回遊バスにはバスガイドさんがつきます。小田原宿の歴史や見所をガイドしてくれます。

小田原駅東口の次のバス停は「学び橋」。バスガイドさんは「学び橋の奥に小田原城の天守が見えます」でした。
う…。これは…。木が大き過ぎるかも?木が高過ぎるな。
10時3分。学び橋を通過。バスは旧東海道に出ます。次のバス停は「中宿町」。お正月の箱根駅伝の中継ポイント近くです。そしてバスは箱根方面へ。
板橋見附でかつての東海道の名残を残す細い道へ。すぐに次のバス停「松永記念館入口」へ。10時8分ここで下車します。
と。バス停の向かいにレトロ建築がありました。ここが内野家住宅です。
箱根板橋 内野家住宅(旧内野醤油店)特別公開公開時間:午前10時ー午後3時半。 入館料150円。
内野家は明治36年に建築され、醤油醸造業を経営していました。
明治の頃、川越で大火事があったけれども、土蔵造りの家だけは火事に合わなかった事から、当時土蔵造り風の町家が流行しました。内野家の当主も、土蔵造りを取り入れました。トップ画像は旧東海道に面していた側の建物です。土蔵によくあるなまこ壁が見えます。
石造りアーチなど、和洋折衷風の特徴がある意匠が取り入れられた建造物となっています。


まずは受付で入館料を支払いますと、受付の方が屋内に向けて声をかけました。「お客さん~。ご案内して~」
ん?
と。室内から法被を着た人が登場~。
んん~?もしかしてガイド付き??
ハイ。予想通り!内野家の公開は板橋まちなみファクトリーさん主催の公開イベントでした。
写真右手の男性が、内野種三郎氏。
内野家は酒の醸造業を営んでいた本家から内野種三郎氏(万延元年・1860生まれ)が分家して、箱根板橋で醤油醸造業を始めました。この種三郎氏が、内野家の建物を明治36年(1903)2月に着工、同年11月に竣工しました。
当時、川越の大火事で蔵造りの建物は被害を受けなかった事から、種三郎氏の意向で防火重視の蔵造りで建設。道路に面して袖蔵・店蔵が並んでいます。石のアーチの入口を入ると右手に小さな座敷があり、そこで客と対応してたそうです(画像取り忘れ)。
客と対応した小部屋の奥が母屋の住居部分。


レトロ建築は最近マイブームであれこれ見て回ってますが、入れ物だけ公開されてもどう使ってるか?想像が働かないのが残念でした。この内野家は内部もかつてのあれこれが展示されてて嬉しいです。

先ほどの部屋の奥にあるのがここ(上の画像は奥が旧東海道に面する表部分)。座敷ですね。欄間が女性の櫛にデザインしてあるのは、この部屋が女性用だから。なんか家の行事する時に使用したそうです。
この部屋で間に合わない時は、ふすまを払って一部屋にして使用したとか。尚、内野家では、襖と障子は夏用・冬用があるそうで、訪問した11月23日には既に冬用に取り変え済みでした。
床の間の脇の指物の細工がピカ一です。これは~、箱根だからかも?
さて、家の左側へ移動。
こちらはかつての隠居部屋。


 
後から増築した部屋だそうです。炉が切ってあって、趣味の部屋ですね。

趣味の部屋の廊下は窓の外のデザインも素敵です。
さて、内野家には階段が2つあります。来客用と普段用。まずは来客用の階段を上がります。
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鎌倉の化粧坂切り通しの通行止めが12月5日より解除されました。
10月11日午後に発生した倒木と土砂崩れで源氏山公園内の化粧坂切り通し。通れるようになりました。源氏山公園はお弁当を食べれる貴重な場所。寿福寺や浄智寺、銭洗弁天からも上れるけど、海蔵寺と組み合わせて観光すると化粧坂が使えないのは辛い。早く通れるようになってよかったです。鎌倉市にしては早い対応ですね。この早さを釈迦堂の切り通しでも発揮してくれよ。もう何年通行止めが続くんだ…。
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武蔵国分寺跡僧堂金堂・尼寺

2013年12月05日 05時09分46秒 | 歴史散歩
「天平13年(741)、聖武天皇は鎮護国家を祈念して、諸国に国分寺(僧寺【金光明四天王護国之寺】と尼寺【法華減罪之寺】)を建立するように命じました。武蔵国では国府(現府中市) 武蔵国府跡(2011年4月22日)の記事 に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線の麓、豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれました。
国府とともに政治・文化の中心として栄えましたが、鎌倉時代末に分倍河原の戦いで焼失しました。
武蔵国分寺跡と関連する遺跡は、東西1、5キロ。南北1キロにおよび、諸国の国分寺跡と比べ規模が大きく、歴史的に指定されました。現在は、僧寺中枢地区の史跡整備を行っています。(国分寺の歴史と観光マップより)」
トップ画像は、昨日の記事最後に出て来た真言宗国分寺から南へ徒歩数分の所にある武蔵国分寺跡僧寺金堂跡です。
柱が乗っていた基盤の石しか残ってない。や。これだって、元からあったかわからない。
再現図解のある説明板発見:

金堂は本尊仏を安置する重要な建物です。現在は、基壇の高まりとともに19個の礎石が往時のまま残っていました。」
おおっ!この石は国分寺がこの地にあった頃に実際に使われてた石なのですね。それは凄いです。
「金堂は桁行7間(東西約36、1メートル)梁行4間(南北約16、6メートル)の四面庇建物です。
軒の出は、16~17尺と推定され、組み物を多用した大きな屋根がかかっていたと考えられます。

基壇
深さ1、3メートル程の彫り込み地業を伴う版築工法により積み上げられ、外装は河原石による乱石積です。規模は東西約45、4メートル。南北約26、2メートルを測り、外周には雨落石敷がめぐります。高さは北東部分で約95センチ。北面中央で約80センチ。東西で約125センチと場所により異なります。

礎石
本来は36個の礎石が存在していましたが、後世に持ち去られ、19個の礎石が残存しています。礎石は多摩川上流から運ばれたものと思われます。」
画像に写っている生徒達は、校外学習中の…中学生かな?校外学習は複数班に別れて実施中。
私の田舎にも母神山という古墳群があります。ンでもきちんと保存されてなく、あんまり学習には役立たない。ちゃんと遺跡調査発掘してなおかつ保存してる国分寺市は偉い。キミ達がどんなに恵まれてるか大人になり『我がふるさとの歴史』に興味が出た頃にたぶん気付くよ。
さて、金堂を見た後、どっちへ行けば…。
あ。校外学習の別の班が西伸びる道からやってきた。あっちに何かあるんだな。
行ってみた。
と。中学校の校舎の一角に、文化財資料展示室発見!
国分寺市文化財資料展示室は入館無料。(休館日:月曜・9:00-17:00)。
中学校内から出土した瓦・土器・鉄製品などが展示されています。ここからすぐの国分尼寺の整備事業を紹介する資料もある。

上の画像は、今から20年前の国分寺市の空撮写真に、天平の国分寺史跡を重ねたらかつての国分寺がとても大きかった事がわかります。ちなみに、上の画像の上部1/3程の所を横に連なる緑の部分、だいたいこの辺りに国分寺崖線があると思って下さい。あと、画像中央に四角が二重・三重に重なっている部分が先ほど見て来た金堂跡です。
資料展示室でとても丁寧に説明して下さったおじさんに感謝です。ちなみに、昨日・今日の記事に何度も登場する『国分寺歴史・観光マップ』はここでいただきました。先に手に入れる事が出来ていたら、真姿の池湧水群の所で崖線を上ってました!くう~~。
さて、おじさんに教えてもらった武蔵国分尼寺跡に向かいます。
JR武蔵野線の線路の下をくぐるとすぐに見えて来た。
「平成19年に日本の歴史公園100選」に選定されました。
尼寺は東山美道武蔵路の西側に建立されました。現在は史跡の保存整備も終了。

公園には尼寺の主要伽藍の規模、基礎工事の様子を見学出来るように、堀立柱塀の一部復元や、東門、中門の位置表示、尼坊の礎石復元、指定金堂跡の基壇復元。基壇版築のはぎ取り標本の観察施設などがあります。(国分寺歴史・観光マップより)」
復元図もありました。



この木株もただモノではない。
尼坊跡の復元図もある。

尼坊は、尼僧(女性の僧侶)の住まいです。桁行き15間(約44、5メートル)、梁行き4間(約8、9メートル)の東西等暦石建物)の本瓦、切妻造りでした。
柱の下にあった礎石70個は全て失われましたが、基礎工事の礎石据付掘方が規則正しく並んでいます。

ナナメに突き出した丸太は、どう竿(かん)跡です。
上の画像奥に、尼寺の北側の壁の一部が再現されています。
また、尼坊跡に置いてある礎石は、整備にあたり往時と同じ多摩川産の石を新たに据えたものです。
尼寺は、奈良時代中頃、聖武展王の詔により、鎮護国家を祈願する官立寺院として国分寺(僧寺)とあわせて国分尼寺が国ごとに建立されました。尼寺の正式名称は、「法華現在之寺」と定められた。「法華経」は女人成仏を説いており、尼寺の成立には女人救済を願う光明皇后の意向が大きく働いたものとも考えられています。
尼寺は東西約150メートル。南北160メートル以上の範囲を素堀溝で区画した中に、南大門(未確認)・中門・金堂・講堂(未確認)・尼坊を中軸線上に並べてありました。
以上、説明板に詳しく書かれてました。

国分尼寺跡には公園が隣接しています。木は秋色でとても綺麗です。
さて、次は…。「国分寺の歴史・観光マップ」を取り出すと、すぐ北に伝鎌倉街道があります。
ン?鎌倉街道って、町田の薬師池公園近くにもあったよね?あれのこと??

行ってみた!
いい感じに紅葉してた。ここを歩くのも楽しそうだ。
っと…。反対側まではすぐだった!ちぇっ。

さて、またまらマップを広げてみる。と。伝鎌倉街道の両側に、伝祥応寺と塚跡というのがありました。
階段発見!上がってみた。

うん。何もないっ。しかも落葉が多くて礎石があるかどうかも分からない。
説明板発見:伝祥応寺跡(中世寺院跡)
本跡は尼寺伽藍の一部とする説もあったが、近年の調査によって、鎌倉時代末頃に建てられた寺跡と判明し、本多4丁目の祥応寺の前身にあたると考えられている。旧鎌倉街道と言われる切り通しに東面して土塁(基底部幅3メートル・高さ1、2メートル以上)と溝とで東西30メートル、南北45メートルの長方形の区画が形づくられている。現存する大小15個の礎石の分布などから、東西9メートル、南北18メートルほどの規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物だったと推定される。
とありました。階段を降りて伝鎌倉街道へ。反対側には塚跡ああるハズ…。って、つ・疲れた。最早階段を上がるのが嫌!坂道も嫌!!
なので。塚跡はパスします。つー事で、もうJR西国分寺駅を目指そうかな~??
いや。ここまで来たならば。
『ブラタモリ』でタモリさんが歩いてた道が見たい。
って事で、再び武蔵国分寺公演を目指す事に。ああ…JR武蔵野線の上部を横断する道の階段が辛い…。
 
そんなこんなで到着した市立歴史公園、史跡東山道武蔵路です。
上の画像は、東山道武蔵路の南側の延長にあります。わかりにくいのですが、画像の手前から奥に伸びる赤い線。これは画像の左側にも伸びてますね。この幅にかつて道が走ってました。一見してもわかりませんが、かなり広いです。先日、旧品川宿東海道を北品川駅から青物横丁駅まで歩きましたが、旧東海道の倍以上広いかも?これが奈良時代、天平の時代に奈良まで続いていたとはっ!!びっくりですね。
ちなみに、タモリさんが歩いていたのはこちら。下の画像のとても広い歩道の左右に、不自然な黄色いペンキみたいにあるのが、かつての東山道武蔵路の跡です。
国史跡
日陰になって分かりにくいので、説明板の上から見た写真を。
 
約340メートルの直線道路跡が復元されています。つーか…。なぜに奈良時代にこんなに広い道を作る必要があったんだろう…。こんなに広い道が必要なのってーー巨人なの?
何言ってんだ~~っ!!自分にツッコミしたものの、頭の中で進撃の巨人の紅蓮の翼が鳴り続けちゃいましたっ!!
この後、JR西国分寺駅へ向いました。最後に落し穴…。駅の入口が分からない~~。何でや~~っ!!
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東京・神奈川の紅葉2013

2013年12月5日:12月3日に撮影した新宿御苑の紅葉の画像を約20枚追加しました。
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国分寺の美しい散策路

2013年12月04日 05時18分35秒 | マンホールのふた
訪問日は2013年11月29日。JR中央線国分寺駅南口から2分の近代別荘庭園・殿ケ谷戸庭園(一般:150円)で紅葉を満喫した後、国分寺市の観光協会推奨のウォーキングコースから「こくぶんじ恋のみちコース」を選択。その選択はど~よ?って気もちらりとしましたが、このコースはなかなかの歴史散歩コースでもあるのです。
コースは不動橋と石造物ー都立武蔵国分寺公演ー真姿の池湧水群ー国分寺市武蔵国分寺跡資料館ーお鷹の道ー国分寺市おたかの道湧水園ー史跡の道おたカフェー国分寺ー万葉植物園ー武蔵国分寺跡僧寺金堂・七重塔とか(国史跡)ー市立歴史公園武蔵国分尼寺跡(国史跡)ー伝鎌倉街道(市重要史跡)距離:5キロ。所要歩行時間:約1時間50分となっています。
では早速。
殿ケ谷戸庭園から南へ。すぐに国分寺崖線が現れます。崖線はいわゆる多摩川の段丘です。過去にも、静嘉堂文庫~喜多見までウォーキングした時世田谷散歩開始(2013年1月12日)の記事 岩崎家廟(2013年1月14日)の記事 に、国分寺崖線のせいでウォーキングコース内に何度も坂が現れて大変だったのですが、今回の国分寺ウォーキングでも崖はウォーキングの難易度を上げてくれます。
ではウォーキング開始。まず現れたのがトップ画像の不動橋と石造物
こちらは国分寺村の元町用水と野川が合流する所に架かる橋です。橋の北側に不動明王碑が祀られていることから、名付けられました。碑の横には庚申塔があり、松の木をはさんで、石橋供養塔があります。供養塔は、かつて石橋だった不動橋を供養する意味と、村に災害の侵入を防ぐ意味から天保3年(1832)に建立(再建)されました。「以上、国分寺歴史・観光マップより」
石橋を渡ると西へ向かいます。道の入口に「お鷹の道」はこちらの案内が出てます。
生活道路をしばし。と。何かある!

撮影禁止と書かれてあったので、少し離れて店の外観を撮影してみた。何が撮影禁止なのか?といえば、店の入口に生きたふくろうが2羽木に止まってるのだ!目が合った~~。驚いた~~。
生活道路だからか?昔道なのか?道路は結構曲がりくねってて、三叉路とか、二叉道が次々と現れて惑います。
ああ、動揺する心を慰めてくれうカラーマンホールよ…。
やがて、「お鷹の道入口」とある細い道発見!

お鷹の道は小さな水路を伴ってます。地元の愛好家がこの水路でカワニナを育ててるようで。「カワニナを取らないで下さい」との札も出てます。どうやらホタルの出現ポイントなのね。
って!!ここは東京都の生活道路だよ?ホタルがいるんか~~??凄過ぎる…。

お鷹の道は良いウォーキング道です。今どきは住宅の庭のモミジも綺麗ですし。
ちなみに「お鷹の道」の名前の由来は、江戸時代に尾張徳川藩の御鷹場だったことから名付けられた散策路なんだそうで。
お鷹の道に沿って流れていた水路はある時北へと折れてました。

視線の先に斜面があります。あれって国分寺崖線だよな~。って事はまだ上り?…ま。行ってみるか?
斜面の手前にあったのが真姿の池湧水群です。
東京都指定名勝・全国名水百選(昭和60年)・都名湧水57選)
嘉祥元年(848)、絶世の美女・玉造小町が思い病気に苦しみ、国分寺の薬師如来に祈ると、一人の童子があわられ池の水で身を清めるように言いました。小町が身体を洗うと、たちまち病気が治癒し、元の美しい姿に戻ったという伝承から、この池を「真姿の池」と呼ぶようになりました。
真姿の池湧水群などの国分寺市内の湧水は、野川の源泉です。
野川は世田谷区の二子玉川で多摩川に合流しています。(国分寺歴史と観光マップより)
さて…。
実はですね、ウォーキングにあたり、YAHOO!の地図をプリントアウトして持参してるのですが、真姿の池湧水群周辺は既に旧武蔵国分寺跡で史跡公園にあたる事はわかるのですが、広い公園のどこに史跡があるのか?が分からない。しかもっ!!現地に来てみて分かりましたが、公園内を国分寺崖線が横切っていて、公園内には高低差が発生し公園を見渡す事が出来ないのです。
どこに行けば…。取り合えずお鷹の道に引き返し、更に西へ向かう事に。や。目の前の坂道は、出来る事なら上らずにおきたい…。帰宅後気付いたんだけど、歴史散策の観点から見ると、ここで崖線は上っておくべきでした。実は斜面の上に史跡武蔵国分寺跡・僧寺北東地域に該当し、かつての国分寺の北限の境界溝の様子を復元した断面などがあったのです。やっちまったぜ…。道沿いに設置してある地図を見て後悔したものの、今更引き返すのは…。惰弱な体力がな…。

お鷹の道沿いになんかあった!

おたかの道湧水園・武蔵国分寺跡資料館です。入園料:一般100円。
ハイっ!ケチッちゃいました!私のアホ~~っ!!視界の奥にこれ見て入るのをケチる自分が哀れじゃ…。
なぜにパスしたかというと、携帯電話の残り撮影可能枚数です。昨日の記事でもぼやいてますが、訪問日の11月29日はお正月の帰省切符の12月29日分予約発売日でして、町田駅に朝予約に向かったのです。例年ならば、ここで新宿御苑で紅葉の様子を撮影してまた町田駅へ引き返します。ところが、携帯電話の撮影可能枚数があと50枚程度しかなくてですね。急遽行き先変更したのです。だからして、ここで撮影してしまうと国分寺跡の撮影が出来ない~~っ!とま、諦めたのですよ。や。綺麗な紅葉は一期一会。歴史巡りは今にこだわるモノでもなかったのでここは入場しとくべきだったと、帰宅後反省しましたよ。
お鷹のみちを更に西へ。
と。突然でかい楼閣が見えてきた!
何コレッ!?
あ。説明板発見:市指定重宝・国分寺楼門昭和51年10月7日指定
建物は間口三間(約6、2メートル)奥行き二間(約3、7メートル)の楼門造り、板金葺きで、江戸時代の建築様式をよくとどめています。
この門は、米津出羽守田守(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものです。国分寺の境内の諸建築物とともに、国分寺の変遷を知るうえで重要な建物です。
*米津出羽守 出身地は、三河の国碧海郡米津村で出羽守田盛の時に久留米村前沢を知行地とする。
       石高は、一万五千石。大阪常番を勤める。

先ほどの狭いお鷹の道の先に突然現れたから驚いた!
楼門の奥には真言宗のお寺もあった!や。跡地だと思ってたからして、まさか国分「寺」が現存してるとは…。
地図にあったのは万葉植物園だったんだけどね。ホラ。今秋でしょ?となると、植物はあらかた葉を落としてます。もう説明板に書かれてる植物がどれがどれなんだか???
さて…。次はどこへ行こうか?って。なんか校外学習の集団が南へ向かっています。
ーーー着いてってみようかな?
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殿ケ谷戸庭園の紅葉

2013年12月03日 05時30分12秒 | 紅葉散歩
2013年11月29日。今年も年末年始の新幹線の帰省切符の指定席予約の日がやってきた。朝一、降圧剤の効果のおまけのめまい・動悸に悩みつつJR町田駅に到着した。到着したのは午前9時前だったけど、行列がなかなか進まない。予約券を無事発券出来たのは9時15分。毎度の事ながら大変です。予約券なのは、切符の受け渡しが12時から~だから。待ち時間を使って、毎年新宿御苑へ紅葉散歩に出かけます。今年も~ってアレ??
携帯電話のっ撮影可能残数がっ!!50枚ないっ!!
新宿御苑で100枚も撮影出来ないって~~~っ!!
あ~~~~~~~~っ!!2GBの予備のMicroカードを持って来るのを忘れた~~。
何はともあれ、やってきた小田急に乗り込んだ。そんで新百合ケ丘駅で、急行から区間準急に乗換えた。乗車してまずやったのは、携帯電話で撮影済みの画像の消去です。せめてあと50枚は増やさないと~~。無理っ!何も考えずに画像消去したら後で後悔するっ!!
そんで、新宿御苑を諦めました。まずは登戸駅で下車。そこからJR南武線に乗り換えて…。北へ行くか?南へ行くか?
以前から一辺行ってみたい所があったんだよねっ。
って事で、目指したのはJR中央線の国分寺駅です。国分寺駅南口から徒歩2分で都立文化財9庭園の一つ殿ケ谷戸庭園に到着です。この庭園にはモミジが190本植栽されています。
入園料は一般150円。65歳以上70円。お達者クラブな年配のご婦人が、「70円でいいのよ~」といい笑顔でつぎつぎと入って行く。ちっ!これ見る度に理不尽だって思うけど、大人しく150円支払って園内へ。
実は私はこのお庭は初訪問です。
ともあれ、画像を貼付けて行きますね。

まず目に入って来たのは黄色に紅葉したイチョウです。そしてその先に真っ赤なモミジ。わ~い。コラボ写真だ~~。

ン??
遠くに一杯あるモミジは、なんか、変だ??何が変って、木の下の方が…。おかしいでしょ!
確認してみる。

ハイ、斜面でした~。

楽に見上げる画像が撮影出来ます。それはそれで楽しいんだけどね。

私の撮影はほら、携帯電話な訳です。しかもだいぶん旧式のいわゆるガラケーです。望遠撮影は出来ないんだよ~。
こう構図がねっ。素敵な感じに切り取りたいじゃない~~。

頭の上を見上げて写してみた。

画面の真ん中に横一文字に空が抜けてて何だか間抜けな構図だわ~。
もう一枚頭の上を。

さて、わき水の池は次郎弁天池と名付けられ、この周辺も沢山のモミジが植栽されています。
ですが、このあたりのモミジは見頃が早いのかあらかた落葉しちゃってました。今年の紅葉の進みは早いですからねっ。訪問が遅かったようです。

愚痴ってないで、庭園の説明に戻ります。
斜面の正体は、武蔵野段丘。いわゆる「国分寺崖線」と呼ばれる段丘の崖です。庭園は段丘崖と下端部付近の礫層から浸出するわき水を利用し、雑木林の風致を生かして作られた近代の別荘庭園です。
上の画像の斜面の上に写っているのは、紅葉亭。三菱の岩崎彦彌太が昭和9年(1934)に新築しました。

殿ケ谷戸庭園は、三菱合祀会社の社員で、後に南満州鉄道副総裁から貴族院議員にもなった江口定條が大正2年(1913)~4年(1915)にこの地に別荘を構え、「随宜園(ずいぎえん)と命名しました。
昭和4年(1929)に三菱合資会社の経営者であった岩崎彦彌太が江口家から別荘を買い取り「国分寺の家」として親しむようになりました。
 
彦彌太は昭和9年(1934)に和洋折衷の木造主屋に建替え、庭園建築として紅葉亭を新築すると共に、主屋前面の芝生地と崖線下方の湧水及び園地を結んで回遊式庭園を完成しました。
昭和40年代の周辺の開発計画の折り、住民運動が発端で都が買収。平成23年9月21日に国の名勝に指定されました。(パンフレットより)

おばさま達の会話が耳に入る。曰く「岩崎家の方々はみな『彌』の字がついてるんだけどね。時代が下がると在庫切れになってね。もう変な名前しか残ってないんだって!」マジか?
視線を下げると、岩崎彌太郎父彌次郎からの家系図がありまして、これがっ、『彌』で苦労してる様が見て取れた!

紅葉亭は大人気です。私も休憩がてら座ってみた。

湧水の周辺には、黄色のツワブキが色を添えてます。
いかがです?JR国分寺駅から徒歩2分というのが魅力でしょ?おススメです。
この後、国分寺市観光協会推奨のウォーキングコース、お鷹の道散策路ー真姿の池湧水群ー武蔵国分寺跡<天平の国分寺の敷地はハンパなく広いです>巡りの後、JR西国分寺駅から帰途に…。って、町田に戻り無事帰省の新幹線のチケットをゲットしました~。
 
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豪徳寺の紅葉後編2013

2013年12月02日 05時20分43秒 | 紅葉散歩
3回に渡りお届けした豪徳寺紅葉散歩も今日で最終回。今年の紅葉は2010年と同じ位早く進んでる?私が訪問した2013年11月27日は、前日の早朝の強風と雨の影響もあったのか、豪徳寺さんに到着した時「あ、遅かった!」と思いました。それをふまえても豪徳寺には沢山のモミジが数種類あるので撮り回るのは楽しいです。
では早速紅葉画像の紹介です。まづはトップ画像から。
これは豪徳寺さんが近江彦根藩井伊家の墓所でして、この区画は代々の藩主・奥方の墓所の入口です。かの桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もあります。今回は墓所巡りカテゴリーじゃないからして、紅葉の画像優先で。
  

 

 

 

モミジの影が、木の幹や、背後の木板や、地面にもあって、どう撮影してやろうか?などと。




結局11時30分過ぎから、12時40分過ぎまでみっちり1時間も豪徳寺さんで写してました。

満足して帰る途中、行きでチェックした世田谷八幡宮によってみた。
 
世田谷八幡宮ではイチョウが境内を彩ってました。
境内には土俵と傾斜を利用した観客席があります。そこで小学生がほうきで落ち葉を集めてました。
帰り道、酉の日を知らせるポスターを見つけました。今日は3の酉の日だったのね…。どうすっかな~?と迷ったものの、そもそも今日は体調が今一で豪徳寺の紅葉散歩を選択したのです。今から浅草ってないわぁ~…。と。スゴスゴと撤収する事に。
あ~くそっ!!体力ってスーパーに売ってないかしら~?
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2013年度の紅葉散歩のフォトチャンネルを作成しました。
まだ完成してません。これから画像を追加してく予定です。よかったら見てやって下さい。
東京・神奈川の紅葉2013

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