アーク・フィールドブック

四万十フィールドガイド・ARK(アーク)のブログ

ヒカリの春に、途上の春に

2025-02-02 | ・最新のお知らせ・イベントなど

「ヒカリの春に、途上の春に2017年 早春に書いた「旅雑文」です。期間限定公開中。

  最高気温14、4度。

 「2月は光の春」

高気圧におおわれた四万十は、快晴。おだやかな青空には、一片の雲も見えません。

強さを増した陽ざしに、本格的な春の近さを感じる2月の日曜日です。

 

 村人はにこやかに、洗濯物やフトンを干し、窓を開け、ひとあし早い春を歓迎している。

あたたかな光に服を脱がされた僕は、今年初めて、

上半身ハダカのデカパンオヤジと化して、ベランダの折り畳みベッドの上で本を広げました。

(四万十を留守にしていた)冬のあいだに、

すっかり白くなっちまった肌に、しみいるようなぬくい陽がなんとも気持ちイイです。

 【旅とは何か。その問いに対する答えは無数にあるだろう。

だが、私には、大槻文彦が「大言海」で記した次の定義がもっとも的を得たもののように思われる。

《家ヲ出デテ、遠キ二行キ、途中二アルコト》

旅とは途上にあること、と言うのだ。

ここから人生は旅に似ている、あるいは旅は人生のようだという認識が生まれてくる。

人生もまた「途上にあること」と定義されうるからだ。

 

 トールマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」の主人公ホリーの名詞には、

「トラベリング」という文字が刷り込まれていることになっている。

彼女にとっては、南米の海岸やアフリカのジャングルだけでなく、

ニューヨークのマンハッタンに住んでいるときでさえ、「トラべリング:旅行者」であることに変わりはないのだ。

まさに、ホリーは「途上にある者」ということになる。

しかし、旅は同時に終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。

そこに、旅を作る、という要素の入り込む余地が生まれるのだ。】 

*「深夜特急ノート」 沢木耕太郎 著より

 読みかけの本を閉じた僕は、ぼんやりと春のヒカリとしたしみました。

「カツーン・・コツーン・・」茶色くしなびたセンダンの実が、屋根に落ちる音。

(すくすく育った裏庭のセンダンの木。気がつけば、その枝が屋根にかかるほどに。切らなくては。)

 

 イヌノフグリの小さなムラサキ色の花も咲く陽だまりの庭では、

見たことがない毛の長いネコが、こちらに背中を向け、じーっとうずくまっています。

ベランダから声をかけてみるが、ネコはぴくりとも動かない・・・。

その姿は、何かを真剣に考えている哲学者のようにも見えるのでした。

ネコモマタ、タビノトジョウニアルノデショウ。
 
 

 ラジオの天気予報は、「明日から木曜日までぐずついた天気に」と伝えてます。

ウエィテング オン ア サニーデイ、か。でも、作物、植物、生き物、にとっては恵みの雨。

春は、一雨ごとに近づいてきます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レターフロムS・2012 ... | トップ | この冬、発信してほしいフィ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

・最新のお知らせ・イベントなど」カテゴリの最新記事