米メディアによると
元プロボクサーのルビン・カーター氏(米)が、
20日カナダ・トロントの自宅で死去されたとの事。76歳。
死因は明らかにされていないが、前立腺ガンの罹患は発表されていた。
米ニュージャージー州生まれのカーター氏。
1961年にプロボクサーとしてデビューし、「ハリケーン」のニックネームで1966年まで活躍。
軍隊でのアマチュア経験もあって頭角を現すのは早く、2年目にはミドル級の強打者として知られた。
ミドル級世界3位として、後に2階級制覇を果たす現役ウェルター級王者エミール・グリフィスと対戦し、
初回で衝撃的なKO勝ちを飾った試合が印象深い。
※丸太ん棒のような左腕で放つフックの写真が凄かったのよ!

ただし、プロ入り3年目(1964年)に実現した世界戦は、
時のミドル級王者ジョーイ・ジャルデロに15R判定で惜敗。
実際、世界タイトルには手が届かず。
「前半は強いが後半の持久力に疑問あり」という声もあった。
選手として6戦をこなした66年、ニュージャージー州で3人の白人を射殺したとして
有罪判決を受け、投獄される。
無実を主張するカーター氏は1974年、自伝"The Sixteenth Round"
(第16ラウンド)を出版し、冤罪を訴えた。
事件は公民権運動と結び付き、
米歌手ボブ・ディランが歌の題材に取り上げ(タイトルは「ハリケーン」!)、話題にもなった。
※90年代には、デンゼル・ワシントンが自ら主役を務めカーター氏の半生を映画化。
結局、検察側の証人(全員が白人)の偽証や、検察による人種差別的な追及があったなどとして、
再審請求が認められ、米連邦地裁は1985年、ついに有罪判決を破棄。
拘束から実に19年、遂にカーター氏は釈放された。

1994年、WBCが世界ミドル級名誉チャンピオンの称号とチャンピオンベルトを授与。
その後、カーターはカナダのトロントに自宅を構え、冤罪救済の活動を行なった。
その活動の中には日本の袴田巌さんへの応援もあった。
東日本ボクシング協会主催の「袴田巌再審支援チャリティBOXING」では
後楽園ホールのスクリーンで流れるメッセージを送った事があるそうな・・・。
なお、日本プロボクシング協会は5月19日に東京・後楽園ホールで開催する、
「ボクシングの日」のイベントに袴田巌さん(78)を招待し、
WBCから贈呈された「名誉チャンピオンベルト」を袴田さん本人に手渡すとともに
ルビン・カーター氏に感謝状を送る事を発表している。
私がボクシングファンになった頃は、すでに投獄されていた両者。
カーター氏の釈放まで実に長く感じてたし、
ましてや袴田氏の事件は風化するのに充分な年月が経っていた。
カーター氏は袴田氏の解放を知っておられただろうか?
謹んでルビン・ハリケーン・カーター氏に追悼の意を表したいと思います。
【ルビン“ハリケーン”カーター】
1937年5月6日生 米ニュージャージー州パターソン出身
身長173cm 右利き
戦績40戦27勝19KO12敗
1961年9月22日プロデビュー
同年4戦4勝
1962年12戦10勝2敗
10月27日には強豪フロレンティノ・フェルナンデスをロープ外に叩き出すセンセーショナルな初回KO!
1963年
02月02日 ○10R ゴメオ・ブレナン
03月30日 ●KO6R ホセ・ゴンザレス
05月25日 ○10R ジョージ・ベントン
(後の名トレーナーに判定勝ち)
09月14日 ○10R ファリド・サレム
10月25日 ●10R ジョーイ・アーチャー
(2年後S・R・ロビンソンに引導を渡すアーチャーに判定負け)
12月20日 ○KO1R エミール・グリフィス
(当時25歳の現役世界ウェルター級王者を初回KO!)
1964年
02月28日 ○10R ジミー・エリス
(後のWBA世界ヘビー級王者に判定勝ち)
06月24日 ○10R クラレンス・ジェームス
12月14日 ●15R ジョーイ・ジャルデロ
(世界ミドル級王座に挑み判定負け)
1965年
9戦5勝5KO4敗
グリフィスのライバル=ルイス・ロドリゲスに2判定負け、
ハリー・スコットと1勝1敗、
元世界ミドル級王者ディック・タイガーに判定負け
(タイガーは次戦でジャルデロに雪辱し王座奪回)
1966年
2勝3敗1引き分け
元プロボクサーのルビン・カーター氏(米)が、
20日カナダ・トロントの自宅で死去されたとの事。76歳。
死因は明らかにされていないが、前立腺ガンの罹患は発表されていた。
米ニュージャージー州生まれのカーター氏。
1961年にプロボクサーとしてデビューし、「ハリケーン」のニックネームで1966年まで活躍。
軍隊でのアマチュア経験もあって頭角を現すのは早く、2年目にはミドル級の強打者として知られた。
ミドル級世界3位として、後に2階級制覇を果たす現役ウェルター級王者エミール・グリフィスと対戦し、
初回で衝撃的なKO勝ちを飾った試合が印象深い。
※丸太ん棒のような左腕で放つフックの写真が凄かったのよ!

ただし、プロ入り3年目(1964年)に実現した世界戦は、
時のミドル級王者ジョーイ・ジャルデロに15R判定で惜敗。
実際、世界タイトルには手が届かず。
「前半は強いが後半の持久力に疑問あり」という声もあった。
選手として6戦をこなした66年、ニュージャージー州で3人の白人を射殺したとして
有罪判決を受け、投獄される。
無実を主張するカーター氏は1974年、自伝"The Sixteenth Round"
(第16ラウンド)を出版し、冤罪を訴えた。
事件は公民権運動と結び付き、
米歌手ボブ・ディランが歌の題材に取り上げ(タイトルは「ハリケーン」!)、話題にもなった。
※90年代には、デンゼル・ワシントンが自ら主役を務めカーター氏の半生を映画化。
結局、検察側の証人(全員が白人)の偽証や、検察による人種差別的な追及があったなどとして、
再審請求が認められ、米連邦地裁は1985年、ついに有罪判決を破棄。
拘束から実に19年、遂にカーター氏は釈放された。

1994年、WBCが世界ミドル級名誉チャンピオンの称号とチャンピオンベルトを授与。
その後、カーターはカナダのトロントに自宅を構え、冤罪救済の活動を行なった。
その活動の中には日本の袴田巌さんへの応援もあった。
東日本ボクシング協会主催の「袴田巌再審支援チャリティBOXING」では
後楽園ホールのスクリーンで流れるメッセージを送った事があるそうな・・・。
なお、日本プロボクシング協会は5月19日に東京・後楽園ホールで開催する、
「ボクシングの日」のイベントに袴田巌さん(78)を招待し、
WBCから贈呈された「名誉チャンピオンベルト」を袴田さん本人に手渡すとともに
ルビン・カーター氏に感謝状を送る事を発表している。
私がボクシングファンになった頃は、すでに投獄されていた両者。
カーター氏の釈放まで実に長く感じてたし、
ましてや袴田氏の事件は風化するのに充分な年月が経っていた。
カーター氏は袴田氏の解放を知っておられただろうか?
謹んでルビン・ハリケーン・カーター氏に追悼の意を表したいと思います。
【ルビン“ハリケーン”カーター】
1937年5月6日生 米ニュージャージー州パターソン出身
身長173cm 右利き
戦績40戦27勝19KO12敗
1961年9月22日プロデビュー
同年4戦4勝
1962年12戦10勝2敗
10月27日には強豪フロレンティノ・フェルナンデスをロープ外に叩き出すセンセーショナルな初回KO!
1963年
02月02日 ○10R ゴメオ・ブレナン
03月30日 ●KO6R ホセ・ゴンザレス
05月25日 ○10R ジョージ・ベントン
(後の名トレーナーに判定勝ち)
09月14日 ○10R ファリド・サレム
10月25日 ●10R ジョーイ・アーチャー
(2年後S・R・ロビンソンに引導を渡すアーチャーに判定負け)
12月20日 ○KO1R エミール・グリフィス
(当時25歳の現役世界ウェルター級王者を初回KO!)
1964年
02月28日 ○10R ジミー・エリス
(後のWBA世界ヘビー級王者に判定勝ち)
06月24日 ○10R クラレンス・ジェームス
12月14日 ●15R ジョーイ・ジャルデロ
(世界ミドル級王座に挑み判定負け)
1965年
9戦5勝5KO4敗
グリフィスのライバル=ルイス・ロドリゲスに2判定負け、
ハリー・スコットと1勝1敗、
元世界ミドル級王者ディック・タイガーに判定負け
(タイガーは次戦でジャルデロに雪辱し王座奪回)
1966年
2勝3敗1引き分け