33歳になった体を鍛え直し、五輪選考大会を兼ねる日本選手権に出場した
北島だったが。
全盛期の勝負強さを発揮できず、最後のチャンスとなった200m平泳ぎでも
成長した後輩たちの前に5位で終了。
5大会連続の五輪出場代表ならず、第一線からの引退を表明した。
北島康介は「最後の挑戦」としてリオ五輪を目指し、中学生時代からの恩師
平井伯昌コーチの下、この半年間で高地合宿も行ない、8年前の北京大会と
同じような厳しい練習を重ねてきたという。
スペインでの高地合宿では、萩野公介ら一回り以上年下の選手と同メニューに
取り組み、スピードと持久力を磨いた。
それでも叶わなかった代表行き・・・。
力を出し切った北島選手は、レース後プールに足を浸けてなかなか上がらず、
客席から声が掛かると手を上げて応え、ようやく上がった後はプールに一礼し、
会場中からの大きな拍手に、頭上で両手を叩いて応えながらプールサイドを
歩いた。
「康介、ありがとう!」の声が聞こえた・・・。
勝負に敗れて観客に「ありがとう」と言われ、拍手で送られる選手は稀です。
北島選手のこれまでの歩み、数々の挑戦に多くの人が心を動かされたという
事でしょう。
ゲストの寺川綾さんも涙を浮かべていました。
200m1位と2位の選手がインタビューを受ける脇を通り過ぎ、別エリアで
マスコミの取材を受ける北島。
敗者がインタビューを受けるのは異例。やはり北島の存在の大きさゆえだ。
NHKのインタビュアーも涙声で、実際に泣いていたという事だが。
やはりNHKのアナウンサーは実況もインタビューも担当するし、それに際して
取材も重ねる人ばかりの筈。
競泳を担当するアナウンサーは、とうぜん北島康介に対し特別な思いがあって
然るべきだし、(おそらく最後になるであろう)インタビューを行なうに当たり、
こみ上げてくるものがあっても不思議ではなし。
あのアテネの名言「チョー気持ちいい」を引き出し、北京オリンピック男子200m
平泳ぎ決勝の実況も担当したNHKの石川洋アナウンサーは、2013年に病気のため
53才で亡くなられているのだから、なおさら万感が胸に迫ってもおかしくない。
ロンドン五輪で個人のメダルが取れなかった時点で第一戦を退くムードもあった。
「子どもたちと楽しく泳いで水泳普及に貢献しよう」という気持ちも見て取れた。
それがリオが近付くにしたがい、五輪出場への本気モードに進んでいった。
当初は驚きを隠せなかった競泳ファンもいつのまにか本気で北島なら行けるかも
知れないと応援するようになった。
確かに北京の後、日本コカコーラと契約を結んだが、国際大会で勝てないなど
結果が残せないレースが続いた。
苦しい時期も所属を継続してくれたコカコーラの企業名を公共放送で挙げたのは
北島選手からの最大の感謝とも思われた。
北島だったが。
全盛期の勝負強さを発揮できず、最後のチャンスとなった200m平泳ぎでも
成長した後輩たちの前に5位で終了。
5大会連続の五輪出場代表ならず、第一線からの引退を表明した。
北島康介は「最後の挑戦」としてリオ五輪を目指し、中学生時代からの恩師
平井伯昌コーチの下、この半年間で高地合宿も行ない、8年前の北京大会と
同じような厳しい練習を重ねてきたという。
スペインでの高地合宿では、萩野公介ら一回り以上年下の選手と同メニューに
取り組み、スピードと持久力を磨いた。
それでも叶わなかった代表行き・・・。
力を出し切った北島選手は、レース後プールに足を浸けてなかなか上がらず、
客席から声が掛かると手を上げて応え、ようやく上がった後はプールに一礼し、
会場中からの大きな拍手に、頭上で両手を叩いて応えながらプールサイドを
歩いた。
「康介、ありがとう!」の声が聞こえた・・・。
勝負に敗れて観客に「ありがとう」と言われ、拍手で送られる選手は稀です。
北島選手のこれまでの歩み、数々の挑戦に多くの人が心を動かされたという
事でしょう。
ゲストの寺川綾さんも涙を浮かべていました。
200m1位と2位の選手がインタビューを受ける脇を通り過ぎ、別エリアで
マスコミの取材を受ける北島。
敗者がインタビューを受けるのは異例。やはり北島の存在の大きさゆえだ。
NHKのインタビュアーも涙声で、実際に泣いていたという事だが。
やはりNHKのアナウンサーは実況もインタビューも担当するし、それに際して
取材も重ねる人ばかりの筈。
競泳を担当するアナウンサーは、とうぜん北島康介に対し特別な思いがあって
然るべきだし、(おそらく最後になるであろう)インタビューを行なうに当たり、
こみ上げてくるものがあっても不思議ではなし。
あのアテネの名言「チョー気持ちいい」を引き出し、北京オリンピック男子200m
平泳ぎ決勝の実況も担当したNHKの石川洋アナウンサーは、2013年に病気のため
53才で亡くなられているのだから、なおさら万感が胸に迫ってもおかしくない。
ロンドン五輪で個人のメダルが取れなかった時点で第一戦を退くムードもあった。
「子どもたちと楽しく泳いで水泳普及に貢献しよう」という気持ちも見て取れた。
それがリオが近付くにしたがい、五輪出場への本気モードに進んでいった。
当初は驚きを隠せなかった競泳ファンもいつのまにか本気で北島なら行けるかも
知れないと応援するようになった。
確かに北京の後、日本コカコーラと契約を結んだが、国際大会で勝てないなど
結果が残せないレースが続いた。
苦しい時期も所属を継続してくれたコカコーラの企業名を公共放送で挙げたのは
北島選手からの最大の感謝とも思われた。