1月13日、ザ・ローリング・ストーンズ初代マネージャーの
ジョルジオ・ゴメルスキー氏が癌で亡くなった。82才。
60年代、ロンドンのクロウダディ・クラブを所有しいた彼は、
ザ・ローリング・ストーンズを箱バンとして起用。
1963年にアンドリュー・ルーグ・オールダムに代わるまで、
ゴメルスキーはザ・ローリング・ストーンズのマネージャーを
務めた。
当時の英国ロックは百花繚乱の時期(またはその前夜)。
ストーンズの後釜として白羽の矢が当たったのはヤードバーズ。
立て続けに人気バンドを手掛けるゴメルスキー氏にも注目が
集まった。
ストーンズとの決裂後はバンドと反目。「スタジアムで演奏して
大金を稼ぐ方法に誘惑されてしまった」とコメントしている。
※これには私も同意です。
60年代後半にはレコード・レーベルを運営。
結果的に短命なレーベルとなったが、契約アーティストには
ブライアン・オーガー、ジュディ・ドリスコール、ジョン・
マクラフリンなどが居たという。
プロデューサーとしても、関わったミュージシャンには
アレクシス・コーナーやグラハム・ボンド、ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジ、ロッド・スチュアート、ソフト・マシーンら
(主に初期)の名前が挙がっている。
そうなんですよ、
ストーンズやモッズシーン絡みで胡散くさい(過剰な)仕掛け人の
ように思われるゴメルスキー氏ですが、ジャズ・ロックなどの
プログレ畑でヨーロッパ~英国の橋渡しをした人物でもあるんですよね。
その後、ニューヨークに移住したゴメルスキー氏は、ポスト・
パンクのバンドを手掛けたり、クラブやスタジオを経営したり、
クラブDJを務めたり・・・と自由な活動していたという話。
若い素材を見いだし、そのミュージシャンが自力でスタジオ・
ワークやプロデュースを行なえるようになるまでの後見人の
ような・・・そんな印象でした。
※ゴメルスキー氏本人はズッと手の中にしときたかったけど、
相手が羽ばたいて行ってしまったのかな・・・。
60年代もっとも熱かったロンドン音楽界で活躍した人物。
ジョルジオ・ゴメルスキー氏よ、安らかに。
ジョルジオ・ゴメルスキー氏が癌で亡くなった。82才。
60年代、ロンドンのクロウダディ・クラブを所有しいた彼は、
ザ・ローリング・ストーンズを箱バンとして起用。
1963年にアンドリュー・ルーグ・オールダムに代わるまで、
ゴメルスキーはザ・ローリング・ストーンズのマネージャーを
務めた。
当時の英国ロックは百花繚乱の時期(またはその前夜)。
ストーンズの後釜として白羽の矢が当たったのはヤードバーズ。
立て続けに人気バンドを手掛けるゴメルスキー氏にも注目が
集まった。
ストーンズとの決裂後はバンドと反目。「スタジアムで演奏して
大金を稼ぐ方法に誘惑されてしまった」とコメントしている。
※これには私も同意です。
60年代後半にはレコード・レーベルを運営。
結果的に短命なレーベルとなったが、契約アーティストには
ブライアン・オーガー、ジュディ・ドリスコール、ジョン・
マクラフリンなどが居たという。
プロデューサーとしても、関わったミュージシャンには
アレクシス・コーナーやグラハム・ボンド、ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジ、ロッド・スチュアート、ソフト・マシーンら
(主に初期)の名前が挙がっている。
そうなんですよ、
ストーンズやモッズシーン絡みで胡散くさい(過剰な)仕掛け人の
ように思われるゴメルスキー氏ですが、ジャズ・ロックなどの
プログレ畑でヨーロッパ~英国の橋渡しをした人物でもあるんですよね。
その後、ニューヨークに移住したゴメルスキー氏は、ポスト・
パンクのバンドを手掛けたり、クラブやスタジオを経営したり、
クラブDJを務めたり・・・と自由な活動していたという話。
若い素材を見いだし、そのミュージシャンが自力でスタジオ・
ワークやプロデュースを行なえるようになるまでの後見人の
ような・・・そんな印象でした。
※ゴメルスキー氏本人はズッと手の中にしときたかったけど、
相手が羽ばたいて行ってしまったのかな・・・。
60年代もっとも熱かったロンドン音楽界で活躍した人物。
ジョルジオ・ゴメルスキー氏よ、安らかに。