旧朝倉家住宅
所在地:渋谷区猿楽町29
建設年:1919(大正8)
備考 :重要文化財
Photo 2009.08.30
中庭も美しい。
庭園と土蔵
Photo 2009.08.30
土蔵も大きく立派。斜面にはかなり大きな樹木もあり、ちょっとした林のよう。
槇文彦氏設計のヒルサイドテラスがある場所も、以前は朝倉家住宅の敷地の一部だったという。今でも広大な敷地を持つ邸宅だが、以前は倍以上の面積があったようだ。
持ち主は変わったりしたようだが、建物と庭園の多くが以前のまま残されて、文化財となったのは喜ばしい。ただ、昔の土地持ちの屋敷は、階級構造を背景にしてかなりのものだったんだなぁと改めて思う。
大きな邸宅とその庭園からなる緑地は、都市環境的には良いものなのだが、社会の構造として、一部の人だけが不当ともいえるぐらいの広大な敷地を持つのはやはり疑問だ。でも相続の問題から、立派な洋館や庭園が失われて細分化が進み、共同住宅が建ったり、高層化が進んで行くのを見ていると、そのあたりにまで踏み込んで考えないと、東京の都市環境は良くならないのではないかとさえ思われてくる。
話はちょっと飛ぶが、フランスのヴェルサイユ宮殿などは、王が居た当時から、常時一般人が内部まで見学していたと聞いたことがある。こうなってくると、王のものではあるが、国民のものでもあるような感じだ。王が庭園散策のための解説まで作ったという話もあって、そうなるとそれはほとんど公園である。
イギリスのロンドンなどは、ごくわずかな有力者だけで街全体の土地を持っているという。だが彼等は、ただそれを貸して財を蓄えるのではなく、インフラや街の公共施設等に多大な投資している。日本で税金を基にして自治体や国が行っていることを、土地所有者が自己責任でやっているわけで、こういう例を見ていると「関係性がうまく行くのなら」大地主と店子の構造も悪くないのではないかと思えてきてしまう。
ただ、そこには世襲の問題がついて回る。代々に渡って持てる者と持たざる者が固定化されるわけで、階級制社会というものはそういう閉鎖的な面を当然持つ。日本の場合、戦後、大地主と小作という仕組みが解体された。今にして思えばやや乱暴なやり方で、大地主は一夜にして土地を失い、小作は土地所有が可能になった。ある意味、社会主義的な構造を部分的に取り込んだようなところもある。不当に働かされて搾取されていた人々にとっては、非常に良かったし当然あるべき方向性だったし、社会的な平等の観点からすると、正しく近代的な方向性だと思う。
だが別の面から見れば、小作は大地主の傘の下での安定が確約されなくなり、自立が求められたわけでもある。私の実家の方などでは、旧小作は土地を手にした後、その多くが土地を売り払ったり、担保にして事業に乗り出し失敗したりしたという。言い換えれば、旧大地主は土地活用のプロだったが、旧小作はそれに関しては素人だったわけで、結果的に農地は荒れた。兼業農家が次第に増え、小規模農地のため生産性が低いのも、乱暴な筋立てかもしれないが、農地解放に由来する面がある。大地主と小作という前近代的構造に戻ることへの懸念もあってか、会社のような組織的な農業もなかなかできない。
話は全然まとまらないが、旧朝倉家住宅とは全く異なる方向へ展開してしまったので、いきなり今回はここで終了。
金持ちは大きな土地や屋敷を持っちゃってずるいよねぇ的な批判は、確かにそうなのだが、単なる妬みの面もあって、そこから解決の糸口はたぶんない。カップルが縁側で寝そべったり化粧をしたり(両方とも見学のマナーに反してますが・・・)しながら、こんな建物売って税金安くしてくれればいいのにだとかいうことをグチャグチャと長時間話しているのを見て、かなりグッタリした気分になりながら、あれこれ考えさせられた見学なのだった。
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