東京新旧写真比較(1990/2008) No.17
Photo 1990.6(ノーマル時)、Photo 2008.3.4(マウスオン)
みやこホテル
所在地:新宿区高田馬場1-24-18
構造・階数:木造3F+塔屋
大学4年の時に、高田馬場駅周辺を対象とした設計課題を同級生と共同でやることになり、とりあえず数人で高田馬場駅周辺を見て回った。大学は大久保3丁目にあるので、高田馬場駅は毎日のように利用していたのだが、駅周辺の街は意外に知らない場所が多く、歩いてみるとなかなか新鮮だった記憶がある。
みやこホテルはその時に何気なく撮ったもの。最近になって当時の写真を引っ張り出して唖然。ホテルという名が付いているが、なんだこりゃ? お寺みたいでもある。北側にはほとんど窓がない。怪しいお堂といった体だ。
こんな事だったら玄関先もちゃんと撮っておけば良かった。とりあえずググッてみたが、ほとんど情報はなし。高田馬場周辺の戦後郷土史の資料か何かを読めばあるいは載っているのかもしれないが、そちらは未調査。とりあえずネット上に載せてみることにする。いつ頃まであったのかも不明。
現在はアサイガーデンコートという一部5F建てのマンションが建っている。1Fには美容院とコンビニも入居している。
この写真を撮った道も実は変な道で、小学校の南側をクランクしながら巡り、更に東側の路地へと繋がっていく。早稲田通りの裏道で、遠回りである気がする道なのだが、なぜか駅への抜け道として利用する人が多い。
Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 新宿区 #失われた建物 新宿区
みやこホテル、凄いですね!!
怪し過ぎです。
私もひと目見たかったものです。
写真の整理法も凄いですね。
私はズボラなもんで、段ボールにぶちこんだままです。
ごぶさたしております。
増築を重ねたのでしょうか。かなり奇妙な外観です。
モルタルの外壁が雨で汚れているため、怪しいお化け屋敷状態ですね。
しかしなぜ頂部に宝珠を載せたんだか・・・。
今となってはわかりませんが、内部や玄関先の状態が気になります。
写真の整理は、仕事絡みの面もあったため、できているようなもので、基本的には私もかなりずぼらです。
懐かしい写真で、感激しております。
みやこホテルは、祖父(故人)が建てました。
看板の後方に写っているビル、これも祖父が建てました。
祖父は元設計士で、かつては工務店を営んでいたそうです。(戦前の話です)
現在の建物は私がプロデュースしました。
ちなみに、私は大工です。
ご興味があればお教え出来る事柄もあるのですが、宝珠の事など今となっては分からないことも・・・・
懐かしい我が家、ネットにご紹介していただきありがとうございました。
はじめまして。
お祖父様が建てられたとのこと。
まさか直系の方がお読みになってコメントを頂けるとは思っておりませんでしたので、驚きました。
コメント頂きありがとうございます。
怪しいお堂のようだなんて書いてしまってすみません・・・。
さて、戦前に工務店をなさっていたとのことですが、この建物はいつ頃建てられたのでしょうか?
また、いつ頃までホテルとして営業を続け、現在の建物になったのは何年のことなのでしょうか。
差し支えのない範囲で、お教え頂ければ幸いです。
>怪しいお堂のようだなんて書いてしまってすみません・・・。
いいえ、近所の子供たちには「お化け屋敷」と言われておりましたから・・・(笑)
さてこの建物ですが、建て始めたのは戦後すぐのことだそうです。
祖父と父は資材を盗まれないように寝ずの番をしていたと、聞かされたことがあります。
その後、増築を重ねて(継ぎ接ぎの感じはその為)あのような建物になりました。
このホテルは、割烹旅館と観光旅館の二つの顔がありました。
近隣の製薬会社や運送関係の会社の接待や宴会に使われたりもしました。
またJTB・国鉄(当時)の指定旅館でもあり、当時のバレーボール日本男子代表チームや富士フィルムの男子バレーボールチームの宿舎となっていたこともあります。
またアメリカのガイドブックに載ったこともあって、
一時青い眼の観光客が多い時期もありました。
あと場所がら、受験シーズンになるとW大の受験生で満杯になりましたね。
そうそう、W大・理工学部建築科の教授がよく利用されておりましたよ。今は引退されたかな?
この建物は、写真を撮っていただいた1年後ぐらいに解体しました。
理由は隣が小学校の為、風営法により(旅館業も対象になります)補修以外の増改築が認められなかったので、営業の継続が困難になりました。
またその少し前に祖父が他界して、相続の問題もありました。
その後3年ほど更地だったのですが、サラリーマンだった私が会社を辞めて、現在のビルを企画・立案しました。
平成8年着工、翌年4月竣工です。
お役に立てましたでしょうか?
祖父の血なのでしょうか?私は建築デザインに興味がありますので、貴方様のblogを楽しく拝見させていただくことが出来ました。
また時々、覗かしてください。
詳細な経緯をお教え頂き、本当にありがとうございます。
私の中で長い間、謎だったことがすっきり分かって、感激致しました。
結構大きな建物だった記憶もあるので、昭和の時代には宴会や宿泊で賑わったのでしょうね。
場所柄、受験の宿になっていたというのも納得です。
割烹旅館や観光旅館という、賑やかな使われ方を踏まえて考えてみると、
宝珠のあたりも竜宮城かなにかをイメージして作られたのかな、
などという気もしてきます。
風俗等営業の範疇に関しては、昔の考え方が現在に至るまで踏襲されていて、実情にそぐわないところも多々あるようですね。
木造旅館が奇妙な形で老朽化しつつ(失礼な言い回しですが・・・。)、そのままであり続けていたことに、そのような理由があったとは全く知りませんでした。
しかし、私も含めて、何故かこの建物は印象深いものでした。
お祖父様の思い入れが形になっていたのかもしれませんね。
ご親族の方々などにとってはきっと思い出深い建物なのでしょう。
高田馬場駅周辺の戦後の記憶として、Web上ではありますが、記録に残しておければと思っています。
写真を見てとても懐かしく感じています。
写真を撮った位置は戸塚第二小の裏門の位置です。
小学校6年間、この道を毎日通学路として通っていました。
右手にはすぐ、校舎があったはずですが、写真は
その後の様子だと思います。
「みやこホテル」の名前は子供心に強く残っています
このように懐かしい写真を見れました事、
本当にうれしく思います。
ありがとうございます。
離れもあり、都内とは思えない厳かな場所だったと記憶しております。
コメントありがとうございます。
そうでしたか〜。
はなれとかもあったとは、写真の建物だけではなかったのですね。