6世紀になるとブトリントにはキリスト教の
洗礼所や聖堂が造られていきますが、
洗礼所は当時最大級のものであったそうです。

この頃にはビザンツ帝国の領土でしたが、
7世紀に第一次ブルガリア帝国が興るとその支配を受け、
9世紀には再びビザンツ帝国に取り戻されています。

帝国は1204年の第4回十字軍の攻撃によって分解。
亡命政権の一つエピロス専制侯国の一部となり、
その後何世紀もの間、領有者は次々と変わりました。

ブトリント湖に囲まれるようにある古代都市、
この地形も領有者にとっては魅力であったでしょう。

次第に衰退していたブトリントですが、
1797年、カンポ・フォルミオ条約に基づき、
ナポレオンにこの地域が割譲されてフランスの支配下に。
1799年、オスマン帝国の地方総督が征服。

1912年にアルバニアは独立しましたが、
すでにブトリントにはわずかな居住者しかおらず、
遺跡は沼地に埋もれて植物の
生い茂るままの状態となっていたのです。
アルバニア・ブトリント
2017.7.6