備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

繰り返される「安全軽視」

2009-07-27 22:35:30 | 社会

Kodak DC4800

'07/05/21の朝刊記事から

繰り返される「安全軽視」
企業の隠蔽文化払拭を

                        ノンフィクション作家 柳田邦男


「隠蔽」「改ざん」「偽装」という言葉は、2000年代になって人の命にかかわる報道で、一体何回使われたか。

2000年の雪印乳業の乳製品による大規模食中毒、02年の雪印食品の牛肉偽装、02年にクローズアップされた長年にわたる三菱自動車・三菱ふそうの大型車欠陥隠蔽と東京電力の原発損傷データ改ざん、04年の三井物産のディーゼル車排気ガス浄化装置データ改ざんなどが、まず相次いだ。
これで産業界は教訓を活かして清新な体質改善が図られたと思ったら、期待は甘かった。

生かされぬ教訓

今年の年明け早々、不二家がかねて期限切れの牛乳を原料にした乳製品を製造・出荷するなどさまざまな安全軽視の問題を起こしていたにもかかわらず、隠蔽や偽装をしていたことが発覚。

3月には、北陸電力志賀原発1号機で原子炉の制御棒が抜け、重大な臨界事故が1999年に起きていたのに隠蔽していたことが公表されるや、東北電力女川原発、中部電力浜岡原発、東京電力福島第一・第二原発と柏崎刈羽原発でも、78年から2000年にかけて同じような制御棒トラブルが続発していたことが明らかにされた。

原子力安全・保安院が発電所不正総点検を行った結果、電力12社の発電所不正報告は、原発だけでも12原発計97項目もあったことが分かった。(3月30日公表)

このほか、昨年問題になった建築設計の耐震データ偽装事件や製品の欠陥を公表しないまま21人もの死者を出したパロマ工業製ガス瞬間湯沸かし器による一酸化炭素中毒事件もある。

なぜこうも日本の企業は、事故・トラブル・不正行為の隠蔽や改ざんや偽装を行うのか。
これだけ同種の事件が続くと、これはもう一企業の体質と言うより、日本企業に染みついた「隠蔽文化」と呼ぶべきではないか。
かって国際的に高い信頼感を得ていた日本企業に対する評価が凋落したのも当然だろう。

私の長年にわたる取材経験から、隠蔽、偽装の背景要因を分析すると、その実態は次のように愕然とするばかりだ。

(1)問題を軽く見る。その中身は次の三つに分けられる。
①本気で大したことではないと見る。②法規に違反していなければよしとする。③一般人には技術的なことはどうせわからないと考える専門家の独善と傲慢。
(2)事故の本質がわかっていない。
(3)人命を最優先する考えが根づいていない。
(4)企業イメージ、製品イメージの低下と営業成績の低下をおそれる。
(5)とくに原発については、地域の反発や社会の批判をおそれる。
(6)企業の現場も幹部も保身の意識が先に立つ。社内で率直な議論ができない空気がみなぎっている。
(7)被害者の訴えを避けるため事実を公表しない。訴訟になっても不利にならないようにする。
(8)役所の介入を防ぐ。

この結果、何が起こるかは明快に指摘できる。
事故やトラブルの真相、とくに構造的な問題点や安全のための組織の取り組みの問題点が明らかにされないから、技術的な教訓も組織の取り組みの教訓も生かされない。

人命を最優先に

このようなリスク情報を自社内はもとより、広く業界に流通させて、事故防止に役立てるのを「リスク情報の水平展開」と言う。
これは安全確立の重要な視点なのに、流された情報でさえ「水平展開」がなされていないのが、日本企業の実態だ。

ちなみに、不二家は雪印乳業の教訓を全く生かしていなかった。
電力各社の原発における一連の制御棒トラブルは、もし最初の78年に起きた東京電力福島第一原発での事故が公表され、業界がこぞってその問題解決に取り組んでいれば、十分に防ぎ得たものだった。

企業は国民を一時的にだませても、「欠陥は必ず事故を招く」という技術の論理まではだませない。
その恐ろしさと責任の重さを自覚して、今こそ「隠蔽文化」の払拭に努めるべきだ。
重要なのは、企業のトップが保身に走らず人命を最優先する意識改革を行い、社員が事故原因や安全問題を堂々と議論できる「文化革命」の先頭に立つことだ。

コメント
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