'07/01/07の朝刊記事から
核搭載米艦船の寄港容認
74年に日米が検討 米公文書
【ワシントン6日共同】
先月死去したフォード米大統領(肩書きは当時、以下同)が初来日する直前の1974年11月、核兵器を搭載した米軍艦船が日本寄港や領海通過の権利を公式に認める代わりに、空母ミッドウェーの横須賀母港化を中止する案を日米両国が検討していたことが6日、機密指定を解除された米公文書で分かった。
日米両国は核搭載艦船の日本寄港をめぐり「あいまい戦略」をとり続けてきたが、これを変更する選択肢が70年代に検討されていたことが判明した。
ラロック退役海軍少将が74年9月、核搭載艦船の日本寄港を米議会で証言、日本で反発を招いたため、大統領訪日への影響を懸念した両国がミッドウェーの母港化中止で事態の沈静化を狙ったと見られる。
米シンクタンク「国家安全保障公文書館」が文書のコピーを入手した。
74年11月11日の国務省幹部会議の議事録によると、日本担当のハビブ国務次官補は「日本が核関連で実に興味深い提案を行う気だ」と述べ、18日からの大統領訪日時に日本が新提案を行う方向だとキッシンジャー国務長官に報告した。
在日米軍削減狙いか
我部政明・琉球大教授(国際政治学)の話
初めて聞く話だ。
核を搭載した米艦船の寄港や領海通過は、日本側の都合で「密約」になっていただけで、米側にしてみれば(公式に認められたとしても実際には何も変わらない。
しかし、日米安保を積極的にとらえようとする日本政府の姿勢の表れとみえたのかもしれない。
当時はデタント(東西の緊張緩和)が進行中。
日本政府は、在日米軍のさらなる削減が可能になると考えて、空母ミッドウェーの母港化中止を提案した可能性もある。