’08/02/04の朝刊記事から
内田樹の常識的 「子供」ばかりの日本社会
(うちだ・たつる=神戸女学院大教授)
この連載も今回で最終回、最後に今の日本についていちばん懸念していることを書いて読者諸氏の熟慮を促したいと思う。
日本のシステムは今うまく機能していない。政治も医療も教育も年金も、すべてがきしんでいる。危機意識はおそらく国民全員が共有している。だが、それに対してどう応じるかで国民は二分される。「誰か何とかしろ」という告発と叱責の言葉を口にする人と「困った。何とかせねば」と青ざめる人である。
システムの不都合を咎めることはシステムの保全のためにはむろん必須のことである。けれども、全員が不調を指摘するだけで、「すみません。すぐ治します」と言う人が出てこなければ、システムはそのまま崩壊する。
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システムの不調について専一的に批判するだけでよく、補修の義務を免除されているものを人類学的には「子供」と呼ぶ。子供はシステムの制度設計や運用にこれまで携わってこなかったから、システムの不調に責任がない。だから子供には思い切りシステムを批判する権利がある。
けれども、みんなが子供では困る。システムのメンテナンスを本務とする人が必要である。それが「大人」である。
大人と言うのは、たまたま割り当てられた仕事を粛々と果たしている人のことである。システムを一望俯瞰しているわけでも、全体をコントロールできる権限を与えられているわけでもない。彼にできるのは自分の持ち分の仕事だけである。
とりあえず、自分の割り前については、汗をかいて、きちんと仕事をする。担当部署で不備があると知らせを受けたら、すぐに駆けつけて補修する。そういう「まっとうに自分の仕事を遂行する」人たちが一定数確保されてはじめて共同体の骨格は保たれる。残念ながら、そのことはもう常識ではなくなった。
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社保庁のように役人たちがあれほど節度なく仕事を怠ることができたのは、「自分たちが少しくらいさぼってもシステムは揺るぎなく盤石である」と信じていられたからである。防衛事務次官が民間企業との癒着に久しく安んじていられたのも、少しくらい「つまみ食い」しても税金はさして目減りするわけではないし、自衛隊への国民的信頼が傷つくはずもないと「高をくくる」ことができたからである。
システムの安定性を過大評価し、その保全は「誰か自分ではない大人」がちゃんと引き受けてくれるはずだという考え方を採用できる人は、実年齢にかかわらず子供である。この生き方の範を垂れたのは、「誰かが何とかしてくれるだろう」と後先考えずに政権を放り出した先の総理大臣であった。
これらの事実から推して、日本のエスタブリッシュメントの相当数はすでに子供たちによって占められているようである。
子供たちだけでもなんとか管理運営できてきたということは、それだけ日本的システムの「できがよかった」ということである。先人たちの築いてくれたこの社会の精妙さはおそらく世界に誇ってよいと思う。けれども、黙々とメンテナンスをしてくれる大人はもう絶滅危惧種になってしまった。子供たちだけしかいない社会システムがこの先どれだけ持つか。私にはよくわからない。たぶん、あまり長くないだろう。
2006/09/26 ~ 2007/09/26 第90代総理大臣 安倍晋三
2007/09/26 ~ 2008/09/24 第91代総理大臣 福田康夫
エスタブリッシュメント=社会的な権威を持っている階層。