ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Victoria de los Angeles live in concert: Two Songs by Fernando Obradors (c.1958)

2015年11月10日 | 歌曲

★ スペインの歌曲はソプラノのヴィクトリア・デ・ロスアンへレスが最高!!
オブラドルスの曲は美しい。


Victoria de los Angeles live in concert: Two Songs by Fernando Obradors (c.1958)

(1) Del cabello más sutil
(2) Coplas de Curro Dulce

音楽でスペイン情緒を。激動の歴史の中でこのような美しい曲が・・・。

次はテノーレのホセ・カレーラスの同じ曲。カレーラスの繊細な表現が素晴らしい。

Jos�・ Carreras - Del Cabello Mas Sutil


★ 毎日、嫌なニュースで本日は逃れます。また明日書きます。También escribiré mañana 


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元衆議院議員、渡部篤氏のサイトにKenさまのエッセイを発見!!

2015年10月01日 | 歌曲

★ これはわがブログにも時々コメントでいらっしゃる若きバリトン歌手、Kenさまの20代後半の時のエッセイである。
政治家渡部篤氏がブログにKenさまのエッセイを全文そのまま貼り付けている、というのはよくわからないが、
なつかしいエッセイなので「共有」ボタンを押してここに転載した。

私は、このKenさまのエッセイを以前何度も拝読していたので間違いない。
なお、世界で活躍中のKenさまの実演を横浜日帰りで直接聴いたことがあるが、その歌の気品・音楽性と声において、きわめてすぐれた歌い手と直感した。特にチャイコフスキーの「あこがれを知る人だけが」はロシア語で歌われ、ホロストフスキーすら側にも寄れない名唱だった。

私のブログへのコメントにはダヌンツィオやバイロンなど熱く語られたのが印象深く、文学・歴史と音楽を常に結びつけ、その解釈には常に一流の芸術家の魂を感じさせるものであった。


http://blogs.yahoo.co.jp/atunao2002/65372330.html



「三島由紀夫はダヌンツィオを生涯にわたって愛したが。」 

トスティのダヌンツィオの詩による「4つのアマランタの歌曲」から第二曲目、「暁は光から」。歌うのはテノールのダニエーレ・バリオーニ。わたし自身もコンセルヴァトワールの記念演奏会で歌った歌曲集である。3曲目の「虚しき祈りInvan oreghi」などはイタリア歌曲の名歌ではあるまいか。
また彼女のもうひとりのマエストラ、Gabriera Besanzoniはダヌンツィオからその歌声を愛され、「ガブリエーレからガブリエーラ」へ、という指輪を贈られたという。
ダヌンツィオの歌曲で終えることができたことは感無量である。そしてその後もわたしはこの歌曲集を歌い継ぎ続けるであろう。
この第二曲目はもっとも有名であるとともにトスティのエッセンスであり、同時にダヌンツィオのエッセンスでもある。
この曲はイタリアが誇れる作曲家と詩人との偉大なる交差点であり、いわば二人の最高の愛児であり、また二人の魂の眠る十字架である。

この詩はいっけん情熱的だがなかなか内容は深くまた多様な解釈を含んだ魅力的な詩だ。
詩人ダヌンツィオの血潮から夜をも照らす芸術の太陽が生まれてほしいという理想的な願い。
これは音楽なき世は錯誤であるという、ダヌンツィオの尊敬するニーチェのことばを思わせるではないか。(わたしがこれを訳すとき、最後にニーチェ的に、倒置法で訳してみた。)
だがそれだけの詩ではない。
これは同時にダヌンツィオによるヴァーグナーへのオマージュでもある。
ダヌンツィオが愛した「トリスタン」がところどころにちりばめられる。

O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.

このくだりは即座に、トリスタンを彷彿とさせるだろう。
「おお、降り来よ、愛の夜を、
我が生きることを忘れさせよ。
汝のふところに我を抱き上げ、
現世から解放せしめよ」
(トリスタンとイゾルデ 第二幕)
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
Per amor del mio sogno e della notte.
わたしも死ねばよい、昼など見たくはないのだから
わが愛の夢、愛の夜がために。
このくだりはやはり有名なトリスタンのこの歌へと直結していく。
「こうして私たちは死ねばよい、
離れずに、永遠にひとつとなり、
果てなく、目覚めず、不安なく、名もなく、
愛に包まれ、我らかたみに与えつつ、
愛にのみ生きるために!」
(トリスタンとイゾルデ 第ニ幕)
が、この詩とトリスタンの違いは、この詩には恋人は出てこないということだ。
この詩は、詩人の一方的な愛であり、一方的な願いなのだ。
詩人はトリスタンの語り口は借りたが、かれが語りたいのは耽美的で閉鎖的な恋人たちの共同体のことではないのだ。
とりあえずここではそうではない、、、。


三島由紀夫はダヌンツィオを生涯にわたって愛したが、かれの存在は同時にダヌンツィオという詩人を解き明かす鍵でもあるとわたしは思ってきた。
この詩における太陽、それは「豊穣の海」の勲が最期にみた太陽と重なるのはわたしだけであろうか。
「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」(豊穣の海 第二巻 奔馬より)
憂国の士である勲のまぶたに昇った太陽は天皇陛下の象徴であり、日本そのものの姿であった。それは崇高な太陽だった。
ダヌンツィオもまた憂国の士であった。
だから、
O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.
このくだりの神聖なる愛とは、ただのことば遊びではないはずだ。
この太陽はダヌンツィオにとってはイタリアそのものであり祖国であった、と考えることもじゅうぶんに出来るのだ。
そうすると、母なる胸、青ざめた(荒廃した祖国の)大地、ということばが急に、憂国的なものに思えてくる。
この詩における夜が、ある時代を覆う''夜''であると思えてくる。


まあ、もっとも詩を解釈しようなどという愚かなことはこの辺でやめよう。
一週間後、わたしはイタリアに二週間研修し、さいごは完全な休暇として、ふたたびガルダ湖で過ごそうと思う。
湖のほとり、朝まだき、わたしはこの詩をつぶやき歌うだろう。

この歌曲ほど名演に恵まれたイタリア歌曲もない。
とくにテノールが覇を争い、さいごのアクートは、ほとんどプッチーニの最高音を聴くかのようだ。
ティート・スキーパのまさにローマのダヌンツィオの時代を感じる演奏、
このバリオーニによるドラマティックな演奏(いちばんわたしのダヌンツィオのイメージに近い)、
クラウスによる詩人のデリケートさが出た演奏、
さいきんではファン・ディエゴ・フローレスのパリでの演奏が素晴らしく感じた。
リクエストしてみたいひとはヨナス・カウフマン。
バリトンは、、、バリトンが歌うときは最後のアクートはソ、音域も広く、難しい。
でも、やっぱりわたしは歌いたい。
バスティアニーニが歌ったものがあったらよかったけど。。。
''L'alba separa dalla luce l'ombra'' Gabriere D'Annunzio
L'alba sepàra dalla luce l'ombra,
E la mia voluttà dal mio desire.
O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.

Pupille ardenti,O voi senza ritorno
Stelle tristi,spegnetevi incorrotte!
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
Per amor del mio sogno e della notte.

Chiudimi,O Notte,nel tuo sen materno,
Mentre la terra pallida s'irrora.
Ma che dal sangue mio nasca l'aurora
E dal sogno mio breve il sole eterno!
''暁は光から'' ガブリエーレ・ダヌンツィオ
暁は光から闇を分かち、
わが欲求から快楽を分かつ。
おお、愛しき星たちよ、滅び行く時は来た。
さらに崇高な愛が 夜空からお前たちを退かせるのだ。

燃ゆる瞳よ、おお、もはや戻らぬお前たち、
哀しみの星たちよ、けがれなきまま輝きを消すがいい!
わたしも死ねばよい、昼など見たくはないのだから、
わが愛の夢、愛の夜がために。

わたしを包んでほしい、おお夜よ、お前の母なる胸に、
青白い大地が露に濡れるあいだに。
ねがわくば、わが血からは暁が、
わが儚き夢からは生まれてほしい。
永遠の太陽が!
訳 Ken WATANABE  (以上・・・文中、太字にしたのはベッラです。






★ ではベッラが選んだのはこの演奏、まだ電気録音ではありませんが、1917年録音のエンリーコ・カルーソの歴史的録音を。
後世のすべての名歌手がカルーソの歌にあこがれ、勉強しました。
トスティは偉大な歌手カルーソの声を頭に置いてこの曲を捧げたのでした。それがこうして実現したわけです。
バリトンのバスティアニー二やカップッチッリが歌うと「憂国」の思いとゆるぎない自分の信念が確かなものになったと思うのです。
ヴェルディのオペラのように・・・。

Enrico Caruso, Tosti: L'alba separa dalla luce l'ombra (Victor, 1917)



★ それでは往年の名テノーレ、バリオーニの歌唱をお聴きください。

曲は違いますが「マリウ、愛の言葉を」をどうぞ。

かってマリオ・デル・モナコがこのバリオーニのドラマティックな声に驚愕したと言っていましたが、
この曲は録音が良好なので往時の偉大な声を再現しています。

Daniele Barioni - Parlami d'amore Mari�・ - RAI 1966



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リヒァルト・シュトラウスとその恩師リヒァルト・ワーグナー、ドイツの素晴らしい名歌手の演奏で。

2015年08月29日 | 歌曲

★ ドイツの名歌手をふたり、最初はディートリッヒ・フイッシャ―=ディスカウのバリトンでリヒァルト・シュトラウスの歌曲「明日」

Dieskau Sings "Morgen" By Richard Strauss



Morgen!

Und Morgen wird die Sonne wieder scheinen, und auf dem Wege, den ich gehen werde,
wird uns, die Glücklichen, sie wieder einen inmitten dieser sonnenatmenden Erde...

Und zu dem Strand, den weiten, wogenblauen, werden wir still und langsam niedersteigen.
Stumm werden wir uns in die Augen schauen,und auf uns sinkt des Glückes stummes
Schweigen...






★ 次はワーグナーです。
往年のワーグナー歌手、アストリッド・ヴァルナイ(ソプラノ)が歌うワーグナーのオペラ

 「タンホイザー」から~歌の殿堂

Astrid Varnay as Elisabeth in Tannhauser

・・・これは素晴らしい!!



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小休止・・・音楽をどうぞ。・・・緊急追加、馬淵睦夫氏が語る「岡本行夫氏発言、また日本のリスク」

2015年07月27日 | 歌曲
 
★ 暑い日々、いかがお過ごしでしょうか。音楽をお楽しみください。(曲を変更しています)

 
The 3 Tenors - Parlami d'amore・・・ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラス





では、フランコ・コレッリがナポリ語で歌ったカンツォーネ『なぜ?』

Franco Corelli " Pecch�・ " Malinconica nostalgica canzone


★ 私は夏バテ気味、昨日は京都まで西田昌司議員の会に行きましたが、西田先生ご本人から「安保法制」のグループには排除されていると伺い、一気に力が抜けました。
そして今日はブログを書けず、あちこちのブログを拝見するだけです。

こちらのブログのエントリ、どうぞご一読ください。

『情報戦争、有事にテレビ局をどう扱うべきか』(「美しい国への旅立ち」ブログ)http://nihonnococoro.at.webry.info/201507/article_26.html



追加動画です。

★ 馬淵睦夫氏の動画を追加しました。元外務省岡本行夫氏の不見識な発言。
・・・また「日本にとってのリスク」か・・・


【深層、真相、心操!】謝罪の勧め?同期入省・岡本行夫君の不見識に物申す![桜H27/7/27]

2015/07/27 に公開
戦時中の三菱が、アメリカ人捕虜に労働を強いた責任を取るとして、後身の三菱マテリア­ルが謝罪を表明した。これに対し、元外務官僚で三菱マテリアル社外取締役の岡本行夫氏­が称賛し、さらなる展開を後押しするコラムを発表したが、白人の人種差別や戦争犯罪に­目を瞑り、偏った人道だの人権だのの論議に落とし込む岡本氏の論調が如何に危険である­か、3つの論点から整理していきます。

おやすみなさい。




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名歌手カルロ・ベルゴンツイ、「イル・モンド」を歌う

2015年07月11日 | 歌曲
 
★ イル・モンド ~世界に、の意。

CARLO BERGONZI SINGS " IL MONDO "


★ 「真正のヴェルディ歌手」ヴェルディを歌って右に出る者はいないほどの崇高な歌を歌った名歌手、
カルロ・ベルゴンツイが歌うカンツォーネ。


梅雨でジメジメしていますが、心は青空で・・・少し「ヤセガマン」の心情です。



ベルゴンツイの思い出・・・N女史は「ベルゴンツイのところに勉強に行きましょう」って声をかけてくださった。
もう昔のことですが、カルロ・ベルゴンツイの引退コンサート、素晴らしかった!!
当時ベルゴンツイは80歳近い年齢でしたが、声の衰えもなくより輝かしい音楽的表現に深い感動を受けました。

ベルゴンツイ夫人の隣の席で聴くという栄光は今でも忘れられません。
夫人は長年ご主人を支えられてきた思い出が一気に心に迫ったのか、涙ぐんでいらっしゃいました。

ベルゴンツイは第二次大戦の時、イタリア軍兵士でしたが戦場で高熱に苦しみ、捕虜になってしまったそうです。
チーズ職人の息子として育ち朝4時からチーズ作り、音楽の勉強は音叉を頼りに音程をとり、ほとんど独学だったといいます。
フランコ・コレッリの親友でもあり良きライヴァルでした。
端正な表現、誇り高い声で歌われるヴェルディの数々のオペラはその正統的なベルカントにおいて、バリトンのカップッチッリと双璧でした。
(「西村眞悟の時事通信」のエントリの下に書いた私の文を転記)
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/4faf938e565c32ce257459fa51b9dec0


Carlo Bergonzi - Tecnica vocale - How to sing
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