Aprile Millo sings "Mesicku Na Nebi Hlubokem"
第一次世界大戦でボヘミア(今のチェコ)は戦場になった。
ニューヨークにあるメトロポリタンオペラハウスで、プリマドンナとして名声を馳せていたボヘミア出身のソプラノ、エミー・デスティンはプリマの座を捨ててボヘミアへ帰り、各地でこの歌を歌った。
ドヴォルザーク作曲のオペラ『ルサルカ』~「白銀の月」。
デスティンはやがて獄中の人となるが、戦争が終わり、再び歌い、祖国の作曲家、ドヴォルザークやスメタナの曲を広め、人々を励ました。
メトロポリタンの誇る名歌手、アプリーレ・ミッロが歌う「白銀の月」、
ピュアな美声と豊かな声量で聴き手を圧倒した。
これは東京でのライヴ録画である。
実際にエミー・デスティンの歌を聴いたことのあるピアニストのルービンスタインは、晩年のインタビューで語った。
ルービンスタインは、『当世の多くのピアニストに問いたい、あなた方は技術は確かに完璧かもしれない、
だが一体、いつになったら「音楽」を奏でるのか』、と音楽の魂について語るなかで、
自分がエミー・デスティンの透明な声とその歌と音楽に魂を奪われ、涙がとまらなかった時の感動を回想し、
自分が彼女の歌から演奏の霊感とヒントを得たこと、『歌う』ということ、ブレス、魂の共鳴についてを語っている。
Rubinstein at 90 interview
ルービンスタイン90歳の時のインタビュー見つけました!!
16分からエミー・デスティンの歌を聴いたことを話しています。
(アルトゥール・ルービンスタイン 1887~1982)
第一次世界大戦でボヘミア(今のチェコ)は戦場になった。
ニューヨークにあるメトロポリタンオペラハウスで、プリマドンナとして名声を馳せていたボヘミア出身のソプラノ、エミー・デスティンはプリマの座を捨ててボヘミアへ帰り、各地でこの歌を歌った。
ドヴォルザーク作曲のオペラ『ルサルカ』~「白銀の月」。
デスティンはやがて獄中の人となるが、戦争が終わり、再び歌い、祖国の作曲家、ドヴォルザークやスメタナの曲を広め、人々を励ました。
メトロポリタンの誇る名歌手、アプリーレ・ミッロが歌う「白銀の月」、
ピュアな美声と豊かな声量で聴き手を圧倒した。
これは東京でのライヴ録画である。
実際にエミー・デスティンの歌を聴いたことのあるピアニストのルービンスタインは、晩年のインタビューで語った。
ルービンスタインは、『当世の多くのピアニストに問いたい、あなた方は技術は確かに完璧かもしれない、
だが一体、いつになったら「音楽」を奏でるのか』、と音楽の魂について語るなかで、
自分がエミー・デスティンの透明な声とその歌と音楽に魂を奪われ、涙がとまらなかった時の感動を回想し、
自分が彼女の歌から演奏の霊感とヒントを得たこと、『歌う』ということ、ブレス、魂の共鳴についてを語っている。
Rubinstein at 90 interview
ルービンスタイン90歳の時のインタビュー見つけました!!
16分からエミー・デスティンの歌を聴いたことを話しています。
(アルトゥール・ルービンスタイン 1887~1982)
